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「ひとりひとりに与えられる霊の賜物」 コリントの信徒への手紙一12章1~11節

2012-08-26

コリントの教会の中では、一人一人に与えられている賜物について、どのような賜物が優れているのか、
賜物の内容について争うような事態が起こっていたようです。 パウロはこのような事態に直面して、コリントの教会を愛しているからこそ、霊の賜物の意味について明らかにする必要に迫られます。 パウロは教会の人々に、まだ異教徒であった頃、言葉を語らない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているだろう。 
偶像は決して言葉を語ったりしなかったではないか。 あなたがたに語りかける力などなかったではないか。 イエス・キリストの神は、言葉によって世界を創造し、言葉によって世界を裁き救われるお方である。 
この神から出てくる神の霊は、この神の言葉に結びついている。 霊の賜物を受けるとは、この神の霊によって神の言葉を語ることができるようになることであると、パウロは言います。 「イエスはわたしたちの救い主である」と語ることができるようになる。 神のみ子であるイエスを信じるようになることであると言います。 しかし、パウロは、「一人一人に霊の働きが現れるのは、全体の益となるため」と言います。 わたしたちがともに進むために、わたしたち一人一人に霊の賜物が与えられていると言うのです。 一人だけのものではない。 勘違いをしてはならないのです。 全体とは、神の意志によってこの地上でイエスのもとに集められた群れのことです。 この聖書のところでは、コリントの教会のことです。 教会という群れを建て上げるため、キリストにつながる一人一人が互いに補い合うためのものなのです。 その霊の賜物を、同じ唯一の霊が、望むままに、それを一人一人に分け与えてくださっているのです。 わたしたちは、この霊の賜物を神の恵みとして受け取ります。 そこには、感謝と喜びがあります。 これこそが、教会の群れの生命線です。 この生命線を経たキリスト者の間には、たとえお互いに衝突が起こったとしても、人間の弱さを越えて、衝突を越えてイエスが立っておられることを知ることができます。 わたしたちには、残念ながら、他者の苦しみや喜びを心から共有することのできない限界と現実があります。 しかし、人の喜びを喜び、人の苦しみ
を苦しむことのできるただひとりのお方にわたしたちは結ばれているのです。



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