「力強く苦難に向かうイエス」 ヨハネによる福音書18章1~9節
「イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。 そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。」とあります。 他の福音書は、このオリーブ山のふもとにある園をゲッセマネと呼び、「苦闘の祈り」をイエスがささげられたと言います。 「わたしは死ぬばかりに悲しい。 父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。 しかし、わたしの願いではなく、御心のままに。」と祈られたと記されています。 しかし、ヨハネによる福音書は、この「ゲッセマネの祈り」は語られておらず、むしろ、「父がお与えになった杯は、飲むべきではないか。」と、苦悩の祈りの葛藤は克服されたものとして、自ら引き受ける決意の強さを感じさせるのです。 「イエスは弟子たちと共に度々、この園に集まっておられた。 イエスを裏切ろうとしていたユダも、その場所を知っていた。」と言います。 この直前の最後の晩餐で、イエスは「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。 わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ。」と言われ、ユダにそのパン切れをお与えになり、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい。」と言われ、ユダはそのパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。 夜であった。」と言います。 このような顛末があるなら、危険からご自身の身を守るためには、いくらでも逃げ延びることができたでしょう。 どう考えても、イエスは逃げるためではなく、捕らえられるためにユダもよく知っている場所に出向かれたとしか言いようがありません。 逮捕され、裁判にかけられ、十字架に処刑され、命を奪われることを承知のうえで、人としての苦難を敢えて自ら選び取られたイエスのお姿。 先が見えておられ、最も危険な行動を自ら取り、捕らえられるところに自ら進んで身を置かれた無防備なイエスのお姿に映るのです。 そこに、手に松明やともし火や武器を持っていた兵士たちが、ユダに導かれてやってきます。 「暗闇」の中に出て行ったユダが、再び、「暗闇」のような大勢の存在を引き連れてイエスのもとにやってきた。 イエス自らが「暗闇」の真っ只中に身を置くことによって、私たち人間の「暗闇」が引きずり出されるのでしょう。 「イエスはご自分の身に起こることを何もかも知っておられた。」と言います。 もうすでに、父なる神のご意志とご計画の中にあること、動かし難いものとしてイエスの心に受け止められていたのでしょう。 「だれを探しているのか」と兵士たちの前に進み出て、兵士たちが「ナザレのイエスだ。」と答えると「わたしである。」と答えたと言います。 かつてモーセに「わたしはあるという者だ。」と答えられた父なる神の名を、ここで、この時に、ご自身を表すものとしてイエスが答えられたのです。 これを聞いた兵士たちは、「後ずさりして、地に倒れた。」とあります。 他の福音書では、このような状態に「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。」と言いますが、このヨハネによる福音書では、イエスご自身が弟子たちを逃れさせたと言います。 「それは父なる神が与えてくださった人を、わたしは一人も失いませんでした」というイエスの御言葉が実現するためであったと言います。 イエスが立ち向かって進み出られたのは、兵士たちの前ではありません。 イエスは人間による裁きのためではなく、父なる神の御心を果たすための裁きの前に進み出られたのです。 そして、あらゆる人々を、この裁きから立ち去らせるようにと父なる神に向けて、とりなしの祈りをささげ続けてくださっているのではないでしょうか。 イエスご自身を裁きの場に立たせようとされているのは、父なる神です。 イエスはその父なる神に向けて、ご自身と同じ裁きの場に立たせないでくださいと祈ってくださっているのです。 罪のない神の子であるイエスが、その「神の怒りの杯」を飲み、本来飲むべきはずの杯を私たちが免れているのです。
[fblikesend]「交わりと慰めの回復」 コリントの信徒への手紙二7章8~16節
「あの手紙」とは、パウロが涙ながらにコリントの教会の人たちに書き記し、テトスに託して送った「涙の手紙」、パウロ自身に侮辱を加えた人物を除名するよう促す厳しさをもった手紙です。 直接話し合いをしようとコリントの教会に訪れたパウロに、激しい罵りの言葉を浴びせた人物がいたと言われています。 「確かに、あの手紙が一時にもせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。」とパウロは言っています。 「わたしたちの身には全く安らぎがなく、ことごとに苦しんでいました。 外には戦い、内には恐れがあったのです。」と言うまでに、悶々とした状態であったそのパウロが、「しかし、気落ちした者を力づけてくださる神が、わたしたちを慰めてくださいました。 今は喜んでいます。」と言うのです。 その理由は、コリントの教会の人たちが「ただ悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。」と言い、悲しみには「この世の悲しみ」と「神の御心に適った悲しみ」がある。 この二つの悲しみは、それぞれ異なったゴール、出口に私たちを導くと言うのです。 ユダの姿を思い起こしてみてください。 ユダはイエスの十二弟子のうちの一人です。 そのユダが、自分が描いていたメシアとは異なるイエスの姿に失望し、イエスを銀貨30枚で最後の晩餐の夜、祭司長たちに引き渡したのです。 イエスに有罪判決が下ったのを知って、ユダは「わたしは罪を犯しました」と言い、銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだと言います。 ユダは罪を後悔したけれども、再び主イエスを仰ぎ神のもとに立ち帰ることなく、自分で自分を裁いたのです。 聖書の言う「悔い改め」が生まれることなく、「この世の悲しみ」、出口のない悲しみに止まったのです。 一方、ペトロの姿を思い起こしてみてください。 ペトロは12弟子の代表者です。 「あなたはメシア、生ける神の子です。」と告白したその信仰の上に、主イエスは「わたしの教会を建てる」とまで言われた人物です。 そのペトロが、イエスが捕らえられた時、自分の身に迫る恐れにかられて今までこよなく慕ってきたイエスを、「このような人は知らない」と三度も否定したのです。 ユダに優るとも劣らない罪を犯したのです。 しかし、ペトロはそのような自分を悲しみながら、イエスの後を追い続け、ついによみがえられた主イエスによって三度の否定を打ち消すかのように三度も赦されたのです。 ペトロは自分の犯したことだけを後悔したのではありません。 神のみ前に立ち続け、自分の本当の姿に悲しんだのです。 「神の御心に適った悲しみ」とは、神の前に立ち続ける人の悲しみです。 神を見つめながら、今まで縛られていたものから神の方へ向き直したことからくる「悲しみ」です。 霊なる神の働きによって与えられる、信仰なしには起こりえない神の業です。 「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせる。」と言う。 主イエスが「時は満ち、神の国は近づいた。 悔い改めて福音を信じなさい。」と言われたように、自分の本当の姿を直視し、主イエスによる赦しと救いが備えられていることを知ることです。 離れてしまっていた神のもとに、赦されて立ち帰ることです。 パウロの「涙の手紙」は、自分自身の名誉回復のためでも、「例の事件」を引き起こした人たちの処罰のためでもなく、神の御前であなたがたの熱心を明らかにするため、パウロたちとコリントの教会の人たちとの間に、和解と赦しが与えられるためです。」と言うのです。 パウロはコリントの教会の人たちの「悔い改め」の姿からも、その吉報を持ち帰ったテトスの喜びの姿からも、「気落ちした者を力づけてくださる神」が働いてくださったことからも喜んでいるのです。 互いに経験した「悲しみ」は、神によってもたらされた、なくてならない「悲しみ」であったのです。 「神の御心に適う悲しみ」は、悲しみで終わることはありません。
[fblikesend]「自由にされるということ」 ヨハネによる福音書8章31~38節
主イエスは、ユダヤ教の会堂から外に出て「御自分を信じたユダヤ人たちに」、「わたしの本当の弟子とは、わたしの言葉にとどまる者である。 そうであるなら、あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」と言われたのです。 ヨハネの言う「ユダヤ教の会堂に未だに留まっている者」を、パウロもまた「石に刻まれた文字」をいかに守るべきかという「古い契約に仕える者」と言います。 モーセが神から二枚の掟の板を授けられた時、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。 そのため、モーセは自分の顔に覆いを掛けたと言います。(出エジプト34:29-35) モーセの顔に現れている神の輝きを、当時の人々は「顔の覆い」によって見ることができなかった。 主なる神そのものの輝きを表す「真理」に近づくことができなかった。 その「顔の覆い」が、イスラエルの人々の心を鈍くさせているとパウロは言うのです。(コリント二3:14) 文字に記された「戒め」を守っているという自分の熱心さによって、神に認めてもらえると信じている。 救いの根拠を自分たちの側に置き、神に受け入れられるものかどうかを念頭に置いていない。 この「覆い」によって、真理そのものである主イエスが隠されてしまっているとパウロは主張するのです。 主イエスは、「ご自身の言葉として」、「ご自身をメシアと信じ告白した者」に対し語られているのです。 ローマ総督の尋問に際しても、「わたしは真理について証しするために生まれ、そのためにこの世に来た。 真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。」と言われました。 また、「わたしは道であり、真理であり、命である。 わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」とも宣言されておられます。 聖書の言う「真理」とは、客観的な事実のことではなく、神自らが目に見える形としてこの世に現れてくださった主イエスのことです。 このお方に出会い、味わい、そこに注がれる父なる神のご愛とご真実に触れて、その御心を味わうことが「真理を知る」ということでしょう。 ユダヤ人たちはこのイエスの呼びかけに、「今まで奴隷になったことはありません。」と言い、「あなたたちは自由にされるとどうして言われるのですか。」とイエスに尋ねるのです。 ユダヤ人たちは「自由にされる」とは、奴隷からの解放とだけ理解するのです。 しかし、主イエスは「罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。」と言います。 聖書の言う「罪」とは、神のみ前に進み出ることを拒む、神から注がれる祝福を受け取ることを拒むことです。 主イエスの言葉にとどまるなら、主イエスを通して父なる神との正しい関係に回復される。 「罪」の結果である、この世の「生」が途絶えるところで終わってしまう「死」、この「死」からも解放される。 今、この世の神ならぬものに懸命に縋っている「自分自身」からも、パウロが警鐘を鳴らしている「心を鈍くしているあらゆる覆い」からも、その時々に移り変わるようなはかない「道徳、ヒューマニズム、常識、伝統」といったものからも自由にされる。 「石に刻まれた文字」、人に罪を示し、罪に定める務めではなく、裁かれて向きを変えて霊の働きによって新しい契約に仕える者へと変えられる。 「十戒」というモーセを通して与えられた神の戒めは、神の民として生きる指針です。 やがて来られる救い主によって贖われなければ、その戒めからも解放されないものです。 それを自分たちの権威や正しさのために膨大な枠組みを作ってしまった。 もはや救い主を待ち望む時代は終わり、救いの恵みが明らかにされている時代を迎えている。 主イエスご自身の方に向き直ることによって、この心の「覆い」は取り除かれることになる。 「わたしの言葉にとどまるなら、父なる神との関係に取り戻される。 父なる神そのものである真理を知り、その真理はあなたたちを自由にする。」と、私たちの努力ではなく主イエスが約束してくださっているのです。
[fblikesend]「神を完全に信頼できないヤコブ」 創世記32章2~22節
父イサクを騙して、兄エサウを出し抜いて、エサウが受け継ぐはずであった神の祝福を、自らの知恵と策略で強引に奪い取ったヤコブでした。 後でこのことを知った兄エサウは、「いつの日か、必ず弟のヤコブを殺してやる。」と心に秘めるのでした。 そのことを察知した母リベカは、自身の兄ラバンのもとに逃げなさいとヤコブを促し、この逃走劇が始ったのです。 その逃亡の途中ヤコブは、主なる神が傍らに立って、『あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。 わたしは、あなたと共にいる。 あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。 わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。』という約束を語るのを聞く。 その逃亡先のラバンの家で、ヤコブは20年間も労働を強いられる。 神の約束を果たされる時がついにきたと、神が再び『あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。 わたしはあなたと共にいる。』と呼びかける。 ヤコブは妻や子どもたち、すべての財産を携え、再び逃亡の旅が始まったのでした。 神の約束があるとはいえ、故郷に帰れば兄エサウと顔と顔を突き合わせなければならない。 ヤコブは忘れていた過去の過ちを思い出し、エサウの復讐を恐れ、知恵を働かせ、様々な対策を練り実行する。 そうした準備をしたうえで、ヤコブは神に祈るのです。 過去に示された神の約束を訴える。 神の恵みの数々を憶え神に感謝するとともに、「受けるにふさわしくない者である」と告白する。 エサウが家族をも殺すかもしれないとただ神の約束にすがる。 そう祈りながらも、なおも抜け目のない才覚に溺れ、エサウに会うまでの作戦を立て、すべての準備を整え「ヤボクの渡し」に皆を渡らせ、何も持たず独りとなったヤコブでした。 神への信頼と人への恐れ、神への祈りにすがりながら知恵による策略に依り頼むヤコブでした。 しかし、ヤコブは兄エサウに、自分が故郷に戻ってきたことを予め伝えている。 神のみ前では、やり方はどうであれ神の約束に従っている。 心の憶測にある恐れを素直に訴え、懇願し祈る。 与えられた神の恵みこそ身に余るものであると告白する。 和解のため精いっぱいの慎重さをもって対処しようとしている。 考えてみれば、ヤコブはエサウとの関係を絶ち切って、逃亡先のラバンのもとで過ごすこともできたはずです。 神の呼びかけに立ち上がり、和解のために自分の身を再びもっていこうとしているではありませんか。 このヤコブに対する神の応えが、「ベヌエルの格闘」と「兄エサウとの再会」でした。 「祝福してくださるまでは離しません」と、今までと変わらず神と格闘するヤコブに、自分の知恵に頼るヤコブの腿の関節をはずし、無力なものとして砕く。 20年ぶりに自らの過ちの前にヤコブを再び立たせる。 「人を押しのける者ヤコブ」ではなく、イスラエルの12部族の族長となると「イスラエル」という新しい名を与え、兄エサウに再会させるのです。 「エサウが400人のものを引き連れて来るのを見て、ヤコブは兄エサウのもとに着くまでに七度ひれ伏した。」と言う。 無力とされたヤコブには、兄エサウへの恐れは微塵もなかった。 兄エサウの恨みも、20年の月日を経て消えてなくなっていた。 エサウはヤコブのもとに「走って来てヤコブを迎え、抱きしめ、首を抱えて口づけし、共に泣いた。」と言う。 神はご自身が語られた約束を、自らの働きをもって果たされたのです。 ヤコブは兄エサウの中に、約束を必ず果たされる神、赦しを与えてくださる神を見たのです。 このヤコブの姿は族長という一人の個人の姿ではなく、神の子とされた私たちキリスト者の姿に映ります。 ヤコブの時代にはなかったキリストの福音が、私たちにはすでに与えられ成し遂げられています。 完全に信頼し切ることのできない弱い私たちを、神がキリストの福音を通して自ら果たしてくださるのです。
[fblikesend]「拡がるキリストを知る香り」 コリントの信徒への手紙二2章12~17節
トロアスは、キリストの福音がヨーロッパにもたらされたその契機となった、パウロにとってとても印象深い町です。 一人のマケドニア人が、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください。」と願った幻をパウロは見たのでした。 そのトロアスに「キリストの福音を伝えるために」再び訪れたパウロは、「主によってわたしのために門が開かれていました」と証言するまでに、そこでの宣教活動は順調でした。 トロアスを訪れたもう一つの理由に、この地で弟子テトスと落ち合う約束があったのです。 コリント教会の混乱ぶりに対し、パウロが書きテトスに託した「涙の手紙」をコリントの教会の人たちが読んでどのような反応を示したのか、パウロは一刻も早く知りたかったのです。 その肝心のテトスが約束通りにトロアスに来なかった。 そのテトスに少しでも早く近づくため、トロアスの宣教活動を切り上げてマケドニア州に入って行ったのでした。 その時の心境を、「不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました。」と記しています。 パウロは、様々な教会の心配事に常時悩まされていたのです。 そのような状態にある中で、パウロは「神に感謝します。」と言っています。 パウロが感謝していることは、「キリストの勝利の行進に連ならせてくださっていること」だと言います。 それも「いつも」です。 そして、「神が」主イエス・キリストを通してそうしてくださっていると言うのです。 古代ローマの凱旋の行進をもって、イエス・キリストがこの世で歩む姿をパウロはなぞらえるのです。 「イエス・キリストの凱旋する勝利の行進」とは、父なる神のもとから私たちのために遣わされ、この地上の生涯を経て、父なる神のもとへと帰り着く全く新しい道を歩まれたお姿そのものを示すのでしょう。 私たちのために父なる神に献げられた「十字架の死」、そこからの「よみがえり」という道。 神が備えて与えてくださった、この世からの解放と救いと赦しの入り混じった人間が歩むべき唯一の道の行進です。 それに私たちを招いて、呼びかけ、加えてくださっている。 パウロ自身がこれまで味わってきた様々な苦しみ、不安、痛みはそのためのものだった。 主イエスが辿った道のほんの一端を味わうものだった。 私たちと同じように人間として「苦しみ、不安、痛み」を味わいながら歩まれた主イエスの新しい命を携えての行進に加えられるためのものだったとパウロは思い起こすのです。 パウロが感謝しているもうひとつのことは、「キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださっていること」だと言います。 「キリストを知る知識」とは、主イエスに出会い、呼びかけられ、とりなしの祈りに支えられ、それに従ったがゆえに味わった体験、知らされた神の知恵と力の味わいを指すのでしょう。 その味わった「香り」が、「わたしたちを通して」、「至るところに」漂うと言うのです。 この「香り」は、パウロたちを用いておられる神ご自身が漂わさせてくださっていると言い、そこに留まらず自分たちのことを「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。」とまで言うのです。 「キリストの香り」という犠牲の香りが、神に向かって献げられ、神が受け入れてくださっていることが大切なのです。 「良い香り」が、救われる者にとって幸いをもたらし、滅びる者にとって裁きとなるとしても、その働きはすべて神のみ手の中にあるはずです。 その働きに「与ること」が赦されていることに、パウロは気づかされ神に感謝しているのです。 パウロのごとく、不安や弱さを憶えつつも神にその働きを感謝しつつ、委ねつつ、逃げることなく委ねて結果はどうであれ進むのです。 そうすれば、自分を見つめることから始まって、主イエスを仰ぎ、励まされ、主イエスの神のもとへと凱旋していく行進に加えられていることに気づかされ、神に受け入れられる「良い香り」を漂わせてくださるのです。
[fblikesend]「キリスト者の誇りとは」 コリントの信徒への手紙二1章12~14節
パウロは、コリントの教会の人たちとの間に発生した問題を赤裸々に語ります。 パウロが危惧したことは、パウロ個人に対する批判のことではなく、パウロが使命としている異邦人宣教として語ってきた主イエスの福音が歪められて、その福音に対する疑いが起こっていることです。 自分自身に対する弁明ではなく、福音の内容に対する誤解を解くことだけを念頭にパウロは行動したのでした。 「このような確信に支えられて、わたしはあなたがたがもう一度恵みを受けるように」と呼びかけています。 前もって書き送った「涙の手紙」により、コリント教会の人たちとの関係が好転したとは言え、今もなお完全に一つとなり得ていないコリントの教会の人たちを「あなたがた」と呼んで、パウロは個人的な私信ではなく主イエスの福音に支えられているすべての信仰者を含めて「わたしたちは」と言って呼びかけるのです。 「わたしたちは世の中にある」と言います。 教会の群れはこの世の中に存在し、決して現実の外にあるのではありません。 従って、少し気を許してしまうと、いつの間にか「世の中」と全く変わらない、人間の知恵が闊歩する事態に容易く陥るのです。 教会は神のみ心を尋ね求めながら歩む群れである。 なのに、今やコリントの教会がそうした教会であることを捨て去ろうとしている姿にパウロには映ったのでしょう。 創立に関わった指導者パウロ個人との人間関係に関わる枝葉末節の軋轢の問題ではなく、神のみ心に従った群れとして今後も存立することができるのかという問題であると見極めたのです。 パウロは、「人間の知恵によってではなく、神の恵みの下に行動してきました。」と明確に述べています。 教会は私たち人間の働きや知恵によってではない、主イエスの働きである。 その都度のご都合で自分勝手に判断し、宣教を推し進めてきたのではない。 神の憐れみ、神の赦しに支えられて、「神から受けた純真と誠実によって、神の恵みの下に行動してきました」と言うのです。 ここでパウロは「良心」という相対的な言葉をもって、「信仰そのもの、神のご真実そのものにかかわること」を忍耐しながら呼びかけるのです。 自己中心的な思いと、神のみ心に従おうとする思いの狭間で、「神の恵みの下に行動してきました。 このことは、良心も証しするところです。」と、マルティン・ルターが語る「神の言葉に縛られている良心」を痛めることなく、偽りなく語るのです。 外に現れ出てくる言葉と行動と、内に秘められている思いとが一致していないのは、今、コリントの教会を席巻している偽教師たちの方である。 正しく導いているようで、パウロ個人を無きものとし、自分たちの思いを果たそうとする巧みに人間の知恵によって生きていく生き方に、パウロは警鐘を鳴らすのです。 そして、「このことは、わたしたちの誇りです。」と言います。 「誇り」とは、その人が何を拠り所として生きているのかを示すものです。 キリスト者が避けなければならない「誇り」は、この世のこと、自分自身のことに対する「誇り」でしょう。 パウロは「誇る者は主を誇れ」と言います。 パウロ自身の「誇り」ではありません。 パウロが、コリントの教会の人たちの「誇り」、コリントの教会の人たちが、パウロの「誇り」だと言うのです。 自らの生きた足跡が実となり、「誇り」となるものが神さまから与えられる。 「終わりの日」には、完全に与えられることになる。 パウロはその照準をもって、この世の現実の今を生き、コリントの教会の人たちとの和解に向かったのです。 もし、この「誇り」を「喜び」と解するなら、パウロとコリントの教会の人たちとの関係の回復が果たされるなら、互いにその回復を導いてくださった神を喜ぶことが生まれ出てくる。 主を誇りとし、神のみ前に恥じない行動と思いをもって生きるキリスト者の誇りと喜びは、互いに反目し合っていたとしても持つことができるのではないでしょうか。
[fblikesend]「生きる望みさえ失った苦難から生まれるもの」 コリント二1章8~11節
コリントの教会の人々の深い悔い改めの後に、パウロは「和解の手紙」を記しています。 自分を裏切った人々も、自分を激しく罵った人々も赦し、同時に、和解へと導いてくださった神さまへの賛美と感謝の思いが「和解の手紙」には滲み出ています。 その手紙の一部分である今朝の聖書箇所に、パウロは「アジア州でわたしたちが被った苦難をぜひ知っていてほしい。 知らずにいてほしくない。」と言います。 使徒言行録19章に記されているエフェソでの騒動のことです。 アルテミス神殿の模型を銀で造り、利益を得ていた銀細工の職人たちが、偶像礼拝を否定するパウロたちの教えに対し激しく迫害したのです。 パウロは自身の実体験を美談として示すのではなく、むしろ、敗者としての実体験を赤裸々に語るのです。 しかし、この体験でこそ、神を頼りにすることになりました。 神がこれほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、これからも救ってくださるにちがいないことが分かりましたと言うのです。 神のもと近くに留まるなら、測り知ることのできない神ご自身を知ることになります。 その神によって与えられる苦難や悲しみや喜びには意味があることを知らされるのです。 福音書では、「唯一のまことの神と、その神がお遣わしになったイエス・キリストを知ること、これが神によって与えられる賜物である。 永遠の命である。」と宣言されているのです。 今まで味わってきた恵みの実体験に支えられてきたパウロの、自身の使命について果たしてこれが神のみ心であるのかという信仰の根幹を揺るがす激しい葛藤であったのでしょう。 アブラハムがその息子イサクを焼き尽くす捧げものとして差し出すようにという神の命令に接したとき、また、すべてのものを奪い取られてしまったヨブが、それでも神さまへの信頼を失わず、友人や家族にまったく理解されなくとも、神のみ心だけを示してほしいと頑強に神に迫ったときのことを思い起こします。 パウロは、信仰者としての絶望を味わったのです。 問題の解決や具体的な助けを求めたのではなく、神のみ心が分からない、神から見放されてしまったのではないかという、信仰者の根本的な深刻な戦い、信仰があるがゆえの苦しみでしょう。 パウロは、これほどの苦しみを味わなければ分からないことがある、見えてこない景色、学べないことがあると分かって、「生きる望みを失った、死の宣告を受けた」と思わされるようなところからでも、「並み外れた偉大な力」によって救い出してくださるお方であることを改めて知って、このことを「知らずにいてほしくない」と赤裸々に語るのです。 私たちは苦難を求める必要はありません。 苦難そのものが問題なのではなく、苦難の中でこそ神から与えられることがあるのです。 私たちが経験したことのないパウロの経験から、パウロが「これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、これからも救ってくださるにちがいいないと、わたしたちは神に希望をかけています」という信仰を憶え、互いに執り成し合う祈りをささげることが赦されているのです。 私たちは苦難が臨む時、目や耳や心を目の前の苦しみに奪われてしまいます。 外的な変化ではなく、内的な変化、苦しみや悲しみそして喜びをどのように受け止めるのかによって、苦しみや悲しみそして喜びの内容が劇的に変わるのです。 「わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。 また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めとなり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。 あなたがたについてわたしたちが抱いている希望は揺るぎません。 なぜなら、あなたがたが苦しみを共にしてくれているように、慰めをも共にしていると、わたしたちは知っているからです。」(6,7)と語るパウロとコリント教会の人々の交わりの在り方のように私たちもかくありたいと願います。
[fblikesend]「表され、知らされ、全うされる愛」 ヨハネの手紙一4章7~21節
コリントの信徒への手紙一13章のパウロの「愛の賛歌」では、いずれ消えてなくなってしまうものではなく、いつまでも残るものとして、この「神の愛」を知ること、味わうことが「最高の道である」と断言しています。 これとは別に、ヨハネが語るもうひとつの「愛の賛歌」がここに記されています。 「愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っている。」(7)と言います。 神は愛を持っておられると言うのではなく、愛そのものであると言うのです。 神は愛そのものであるから、私たちもまた「互いに愛し合いましょう」とヨハネは呼びかけるのです。 神との交わりを「遮るもの、隔てるもの」がこの世にある。 聖書はこの「神のもとから離れてしまっている状態」を「罪」と言っていますが、これを取り除くことは神以外にはできないのです。 これを取り除くためには、神が決して相容れることのできない「罪」を正しく裁き、神の怒りをそこで終わらせなければならないと言う「宥めの側面」があります。 神は正しいお方であるがゆえに、この「罪」の状態を赦すことも、相容れることもできない怒りをもって対峙しなければならないお方なのです。 そこから私たちを救い出すためにはもうひとつ、神の赦しという側面、その一切合切を背負わせるために御子であるイエス・キリストを遣わされたという「贖いの側面」があるのです。 この神のご愛と神のご真実という二つの側面が折り重なって起こされた出来事、これがイエス・キリストの十字架の出来事なのです。 「神は、独り子を世にお遣わしになりました。 その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。 ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。 ここに愛があります。」(9-10)と語っているとおりです。 このイエス・キリストの十字架の出来事から離れた「神の愛」をいくら宣べ伝えたとしても薄っぺらいものとなるでしょう。 神のご愛に裏打ちされた神の厳しい正しい裁きがあるのです。 この神の厳しい裁きに裏打ちされた、憐れみ、恵みとしか言いようのない「神のご愛」がここに示されているのです。 私たちはこの神との交わりが始まりますと、人が神に近づいて行けば行くほど、神をとことん味わうことになります。 なぜなら、神から注がれる聖霊という賜物による働きが、様々な知恵と力、そして出来事を起こしていくのです。 神は愛そのものだと言われる。 それが私たちの内にとどまるなら、神の愛が私たちの内にとどまることが分かるだけでなく、それが動き出し働き出すというのです。 互いに神の愛をもって愛し合う時、その交わりの中に目に見えない神が共におられることが見えてくる、気づくことになる。 「神の愛がわたしたちの内で全うされる」と言うのです。「全うされる」とは、成し遂げられるということです。 私たちを通して、神の愛が完成されると言っている。 これほどの尊い人生がこの世にあるでしょうか。 「神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。 御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。」(13-14)と言います。 注がれた聖霊によって、私たちが神の内にあること、神が私たちと共にあることを確信させる。 目撃を完了した事実を証言すると言うのです。 私たちの信仰は、この目撃証言と復活されたイエスとの出会いの事実に基づいているのです。 この神の愛には流れがあります。 先ず神から私たちへと神の愛は流れてくる。 その愛が今度は、私たちの兄弟姉妹へと流れていく。 私たちが神の愛の内にとどまる限り、その神の愛の流れが全うされていくのを喜んでおられる神を、この地上においても見ることができるのです。 この神の愛の流れの一端を担う者として、この世に私たちは生かされているのです
[fblikesend]「今は見えると言う証し」 ヨハネによる福音書9章18~25節
9章には、「生まれつき目の見えない人の目をイエスが癒す」という出来事が記されています。 生まれつき目の見えない人、奇跡を起こしたイエス、奇跡を周りで目撃した人々、イエスを罪に定めようと企むファリサイ派の人々の姿が織り重ねられています。 イエスは「通りすがりに見かけられた」その人に目を留め、声をかけられた。 肉体的な不幸は罪の結果であるという、当時の因果応報の思想により苦難の原因にしか目が向かない弟子たちに向けて、「神の業が、遣わされたこのわたしを通して現れ出るためである。」と言われ、苦難の目的の方に焦点を当てようとされるのです。 言われただけでなく、「地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。」 そして「池に行って洗いなさい」とまで言われた。 イエスのとったこの行動はすべて、安息日にしてはならない行いです。 この律法に縛られた人々を前にして、救いの出来事をイエスは始められたのです。 ファリサイ派の人々は、「安息日を守らないから、イエスという人物は神のもとから来たものではない。」と、その戒めを破った確証を得るために、執拗に尋問を本人に繰り返すのです。 事実だけを答えるしかできない本人は、次第にイエスとは誰であるのかを考え始め、「あの方は預言者です」と奇跡を呼び起こす者として意識し始めたのです。 盲人の目が開かれることを信じることのできないファリサイ派の人々は、本人の両親を呼び出し「この者は生まれつき目が見えなかったのか」と尋問します。 この時、「イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放する」と既に定められていた。 この社会的な死を意味する恐ろしい規定が両親をして、真実を見ようとしない、目をそらそうとする、判断を避けようとする「見えない者」のようにするのです。 そこで、ファリサイ派の人々は、「安息日に戒めを守らないイエスは、罪ある人間だと知っている」と語りかけ、本人を追い込み迫るのです。 その時の本人の証言が、「あの方が罪人であるかどうか、わたしには分かりません。 ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」というものでした。 本人は社会的に追い込まれても、「今、ここで」自分に起こされた事実だけに立ち続け、「見える」という意味合いに新しい光が差し始め、「イエスとの出会いを味わった者」としての姿に変わりつつあるのです。 自分たちが望む回答を得るために質問を繰り返すファリサイ派の人々に、当の本人は「聞こうともしない、見ようともしない、受け止めようともしない」彼らに、「神は罪人の言うことはお聞きにならない。 神をあがめ、その御心を行う人の言うことはお聞きになります。」とまで語ったものですから、制定されていた追放規定により会堂から追い出されたのです。 この会堂から追放された本人に、イエスは再び出会ってくださるのです。 「あなたが見ている、話しているのがメシアである」と宣言し、「見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる」と言われて、全く無関心であったところから、預言者である、神のもとから来られた方である、あなたこそ救い主であると証言できるまでに変えられたのです。 肉体的な目が開かれてから救いの出来事が始まり、問い詰められるにつれてその事実をしっかり見つめ直し、その事実に立ち続けた本人の心の目、霊の目が開かれたのです。 そのイエスとの交わりから引き離そうとする力が働いたとしても、「今は見える」という立場に立ち続けることができた。 私たちが「見て、聞いて、触れることのできる」お方として、主イエスが父なる神を示してくださったのです。 病いが癒されたことが大切なことではなく、目に見える事実として神の働きに出会い、神のみ業が始まったことに気づくことが大切なのです。 主イエスは必ず自ら近寄って、出会ってくださるのです。 「目の見えなかったわたしが今は見える」という信仰へと導いてくださるのです。
[fblikesend]「神の子として生きる喜び」 ヨハネによる福音書10章22~42節
「神殿奉献記念祭」とは、シリアに侵略されエルサレム神殿の中に異教の神が持ち込まれたが、その後シリア軍を打ち破って、異教化されてしまったエルサレム神殿を取り戻したことを記念した国民的祭りで、「宮清めの祭り」とも訳されています。 ユダヤ人指導者たちとの対立が決定的になっていたイエスが、真の礼拝をささげる場となっていないエルサレム神殿を取り戻そうとされた、「宮清め」の働きを果たそうとされたとヨハネによる福音書は語りたかったのでしょう。 「神殿奉献記念祭」の時に、イエスは「神殿の境内でソロモンの回廊を歩いていた」と言います。 「ソロモンの回廊」とは、律法学者たちが常用していた場所であると言いますから、まるで「飛んで火にいる夏の虫」と言ったところでしょう。 エゼキエル書34章には彼らの行状は、「群れを養わず、自分自身を養っている。 弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。 追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した。」と記されているのです。 彼らはイエスに、「もし、メシアなら、はっきりそう言いなさい。」と迫ります。 イエスは今まで、自分自身のことを「たとえ」を用いて語っていたので、彼らは「その話が何のことか分からなかった」のです。 イエスは、「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。 わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証ししている。 しかし、あなたたちは信じない。」と反論し、「あなたたちは、わたしの羊ではないからである。」と語るのです。 イエスはこのように決定的に反目する者に対しても、諦めず最後まで「良い羊飼い」のたとえを用いて繰り返し訴えるのです。 私たちはこのイエスの訴えを聞き取らねばなりません。 「わたしの羊」と言うように、イエスの羊として既に知られている。 その事実のうえに、イエスの呼びかけを聞き分ける、従うという事実が加わって、イエスと私たちのつながりが確かなものとなっていく。 このイエスの手の中にあるという事実から、だれもイエスの手から奪い去ることができないと言われるのです。 ついには、「わたしと父とは一つである」と、人間としての一線を越えて語ったものですから彼らの殺意を呼び起こすのです。 彼らは律法に書かれてある(レビ24:15)「神を冒瀆する者はだれでも、その罪を負う。 共同体全体が彼を石で打ち殺す」と定められていることを十分承知のうえで「メシアなのか」とイエスに迫るのです。 彼らの言う「神を冒瀆した」というその「神」とは、自分たちが築き上げてきた宗教的権威や体制のことでしょう。 イエスは詩編82編を引用し、神の言葉を受けた人たちは「神々」と言われているではないか。 神にたとえられるほどの存在が、「ふさわしい務めを果たしていない。」と言い、今何が起きているのか、その現実を注意深く見聞きするようにと言うのです。 イエスは私たちと同じ肉体を担ってくださり、託された神の様々な業を通して映し出された諸々の事実、恵みの世界にある神を目の当たりに見るようにと示し、律法の戒めの中でしか神を見ることのできなかった彼らに言われているのです。 ただ恵みにより、神とイエスとの関係に招き入れられていること、この恵みの先行によって私たちの信仰が歩み始めることを忘れてはなりません。 イエスはその後、エルサレム神殿に戻らず、ヨルダン川の向こう側、ヨハネがバプテスマを授けていたところに行って、そこに滞在されたと言います。 「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、彼がこの方について話したことはすべて本当だった」という素朴な民衆の証しが述べられています。 エルサレム神殿の権威から解放されて、素朴に証しし、心からイエスを信じることができたという「救い」がエルサレム神殿の外にもあることを、指導者たちと素朴な民衆の姿を対比して示しています。
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