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「学んで確信したこと」 テモテへの手紙二3章10~17節 

2024-03-10

 「タラントンのたとえ」(マタイ25:14-30)があります。 ある主人が旅に出かけるとき、僕たちを呼んで自分の財産をそれぞれの力に応じて預けた。 すると、預かった財産を商売をして倍にした僕と、貴重な財産を減らしてはならないと土の中に隠した僕に分かれた。 主人が旅から帰ってきて、預かった財産の総決算をする時がきた。 財産を倍にした僕は、「忠実な僕だ」と主人に喜ばれ、一方、「ご主人様、あなたは厳しいお方だと知っていましたので、恐ろしくなり、あなたの財産を土の中に隠しておきました」と弁明する僕は、「怠け者の悪い僕だ」と主人に叱責されたと言う。 主人は、財産が増えたから喜んだのでしょうか。 旅に出る主人とは、十字架の死という受難の旅に出られたイエスのことでしょう。 主人に財産を預けられた僕たちとは、イエスの愛する弟子たちのことでしょう。 イエスと愛する弟子たちとは、しばしの間、別れることになる。 しかし、イエスが戻って来る時がやがてきて、弟子たちにとって精算の時となる。 イエスに託されたものを用いた者と用いなかった者とに分けられる。 人との比較ではなく、それぞれに託されたものに応じてその人自身がイエスの前で問われる時が必ずくるという、「終わりの日」の厳粛な風景でしょう。 十字架という苦難に自ら進んで行かれたイエスと、再三に亘るイエスの受難の予告にもかかわらず、イエスを見捨ててしまった弟子たちの姿があります。 この弟子たちが聖霊の導きにより、イエスの十字架のゆえに赦されて、イエスに託されたものが何であったのかを思い知らされ、喜びに満ち足りたのです。 イエスは弟子たちに何を残したのかという結果ではなく、何をなそうとしたのかというその思い、信仰をじっと見ておられるのです。 「神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」(ペトロ一4:10)と言われているとおりです。 イエスの留守の間、神の恵みによって託された大切なものを感謝して喜んで受け取るように、イエスを裁き主として恐れて、その戒めを守るためだけに、あるいは自分自身を守るだけに汲々とならないように、託されたものを用いて生き生きと生きるようにと願っておられるのです。 今朝の聖書箇所の前の段落に、「終わりの時の人々の有様」を19の人間の姿として記しています。 要約すると、「神を畏れない、神ならぬものを愛する自分本位の姿」でしょう。 パウロはこの手紙で、神のみ言葉を宣教する者、教会の群れの牧会者として奮闘する若いテモテに、「終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。」(3:1)、19の人間の姿に象徴される「こういう人々を避けなさい。」(3:5)と言うのです。 パウロは自分自身の生き様、姿を示して、み言葉に立ってみ言葉から語る人、神を畏れ愛する人、み言葉に従って生きる人に聴きなさいと言います。 そして、「あなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。」(3:14)と言うのです。 テモテは祖母と母親の信仰を通して、みことばを教えられ、その心の内に宿している。 パウロ自身が示してきたように、使徒として、宣教者として、牧会者としての姿、言葉、証しを通してでも培われてきたと言うのです。 み言葉は、神ご自身が様々な時代に、様々な人を用いて、様々な状況を踏まえて、伝えたい人々に向けてご自身のみ心を表したものです。 「たとえ」で示された主人より僕たちに預けられたものこそ、十字架の上で死んでくださったイエスご自身です。 「忠実な僕」と呼ばれた僕たちは、主人に託されたことを喜び、主人の思いに信頼と安心を寄せて生き生きと用いたのです。 イエスは、「聖書は、わたしについて証しするものだ」と宣言しておられます。 私たちは、この聖書のみ言葉の中に、イエスを「見つけ出そう、出会おう」という信仰をもって受け取っていかなければならないのではないでしょうか。



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