「十字架のイエスとともに」 コリントの信徒への手紙一 2章1~5節
パウロがコリントの教会に初めて行った時のことです。 「神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした」と言います。 知恵にあふれた言葉によらないで、一般的には愚かなものを用いた宣教でした。 「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。」と言います。 「十字架につけられたキリスト」という言葉は、過去形ではなく、現在完了形で記されています。 過去のある時点での状態を言っているのではありません。 今もなお、その状態が続いているとパウロは言っているのです。 1章23節の箇所も、ガラテヤの信徒への手紙3章1節の箇所も同じことです。 文語訳聖書では、そのところを正しく「十字架につけられ給ひしままなるイエス・キリスト」と訳しています。 今もなお、「十字架につけられてしまったままでおられるイエス・キリスト」とパウロは言うのです。 わたしの言葉も、わたしの宣教も、このお方の霊と力の証明によるものである。 人の知恵によらず、衰弱しているわたしの言葉は、神の力によるものであると言うのです。
パウロは、「わたしもそちらに行ったとき」と言います。 私『も』衰弱していたと言うのです。 この「十字架につけられてしまったままでおられるイエス・キリスト」と同じように、私『も』また衰弱していた。 イエス・キリストは、この私と並んでこのような衰弱の状態を担ってくださったと言うのです。 パウロの体には、「肉体のとげ」が与えられていました。 復活された主イエス・キリストに、このとげを取り去ってほしいと三度願い出たとあります。 しかし、主は「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。 そして、パウロは「わたしは弱いときにこそ強いからです」と言っています。 『逆説』を語っています。 人間が捉えているものとは逆の捉え方です。 主イエス・キリストが「言われました」というのも、現在完了形です。 ここでパウロに語ってくださった言葉を、今もなお語り続けてくださっているということです。 歴史の一時点に十字架にかかってくださったその復活のイエスが、「十字架につけられたまま」、恐れと不安と、弱さと愚かさの状態を今もなお担い続けてくださっている。 パウロは、歴史上のイエスを語っているのではなく、真理としてのイエスを語っているのです。 それは、目に見える歴史的な事実とは異なる「十字架につけられたまま」のイエスなのです。
十字架上での「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)という、大声で叫ばれたイエスの言葉、イエスの最後の姿はどうしてなのでしょうか。 このイエスの最後の姿を見て、「百人隊長」が「本当に、この人は神の子だった」と言っています。 何がその根拠であったのでしょうか。 やはり、『逆説』です。 愚かなところ、泣いているところ、そこには真理がある。 弱いところ、貧しいところ、そこにも真理がある。 十字架の上にまで、そのようなものになってくださっている。 ご自分の体をもって現わしてくださっている。 私たちは奇跡を望みます。 しかし、神はそうではない。絶叫したイエスこそ、私たちのキリストです。 十字架につけられたままのキリストだからこそ、痛みが分かっていてくださる。 パウロと並んでくださっているイエス・キリスト、目に見えるものではない、逆説的な意味でのイエス・キリストを語っているのです。 私たちはバプテスマによって、このお方と共に葬られ、その死にあずかり、新たに生まれ変わるものとなったのです。
「わたしの霊を御手にゆだねます」 ルカによる福音書 23章44~49節
イエスの地上の生涯の最後、息を引き取る直前に語られたイエスの言葉です。 朝九時から六時間もの間、十字架につけられたまま語られた最後のイエスの言葉に耳を傾けたいと思います。 「全地は暗くなり、太陽は光を失っていた。」 この世を、暗闇が覆ってしまっていた。 世の光として私たちのところに遣わされたイエスを殺してしまって、私たちはその光を失ったのでした。 「自分が何をしているのか知らない」私たちを再び神のもとへと、とりなしてくださっている、そのイエスを殺してしまった。 神もまた、みこころのゆえに沈黙しておられる。 まさに、神からも人からも捨てられたイエスの姿。 これこそ、罪に打たれて死んでいくはずの私たち自身の姿です。 そのイエスの最後の言葉が、今日のみことばです。 マタイも、マルコも、「イエスは大声で叫び、息を引き取られた」と記しています。 しかし、ルカは、このイエスの最後の大声の叫びが何であったのかを聴き取っています。 「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。 こう言って息を引き取られた。」と、ルカは証ししています。 このみことばは、詩編31編6節です。 この詩は、「夕べの祈り」です。 人々が、一日の業を終えて床につく時の祈りです。 一日を守られた感謝が込められるでしょう。 いろいろな出来事のなかに悔い改めも込められるでしょう。 これから迎える夜の眠り、朝の目覚めに備える祈りが込められるでしょう。 イエスにとっては、もはや、明日の朝はないのです。 イエスはかつて、ある金持ちに「眠りに備え、今のうちに神の前に豊かになるように」と諭されました。 イエスは、明日の朝のない地上の最後の時に、ご自分を遣わしたお方、ご自分を知り尽くしておられるお方を仰いでおられる。 そのお方のみこころにゆだねておられる。 父なる神のもとを離れてしまった私たちを取り戻すために遣わされた、その地上の戦いの最後の日に、父を仰いでご自身のすべてを委ねられたのでした。 地上の最後の祈りの叫びを、この「夕べの祈り」として唱えられたという事実をルカは証ししています。
ローマの百人隊長が、この姿を見ていたのです。 見物に集まっていた群衆が、これらの姿を見て、胸をうちながら帰って行ったのです。 イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちが、遠くに立って、これらの姿を見ていたのです。 「百人隊長」は、この十字架刑を執行し、監督する立場の責任者でした。 だれよりも間近に、イエスの十字架上の一部始終の姿を見つめた人物でした。 その人が、「本当に、この人は正しい人だった」、マルコ、マタイの表現を借りれば「この人は、神の子だった」と言って、神を賛美したのです。 彼が聞いた叫びは、地上の最後に祈るイエスの祈りでした。 父が守ってくださること以外には、何も求めていない子どものような祈りであったでしょう。 暗闇が覆い、父なる神の裁きを招いている絶望の中で祈る、父に対する信頼の祈りであったでしょう。 最初の殉教者と言われるステファノもまた、人々が石を投げつけるその間中、「主イエスよ、わたしの霊を御手にゆだねます」と、イエスと同じように呼びかけています。 今日、この祈りを聞くことができるのは、これら一握りの証人たちによって伝えられた証言があったからです。 イエス・キリストが十字架のうえで叫ばれたように、なおも「ゆうべの祈り」として眠りに備えて祈る。 この父なる神への信頼が、父なる神に連なる平安を産み出す。 み子になされたように、復活させられるという本当の望みを産み出す。 この祈りによって私たちに新しい道が開かれ、よみがえりの命がここから始まったのではないでしょうか。
「彼らをお赦しください」 ルカによる福音書 23章32~43節
今、私たちは4月5日のイースターまでのレントと呼ばれる受難節に入っています。 イースターが、復活の命を受け取って私たちが立ち上がって歩み出す時であるとするなら、今のこの時期こそ、私たちは静かに立ち止まって主の十字架を仰ぐ時なのではないでしょうか。 この主の十字架を、「十字架の上で語られた主イエスの七つの言葉に集中して耳を傾けたいと思います。 その十字架のうえで最初に語られたと言われているイエスの言葉に注目します。 「父よ、彼らをお赦しください。 自分が何をしているのか知らないのです。」 このお言葉でした。 十字架につけられたイエスの刑は、釘づけの刑であったと言われています。 手や足に釘を打ちつけられたのでしょう。 わき腹も槍で突かれたのでしょう。 そして、そのままにそこに放置されたのでしょう。 しかし、聖書は驚くほどそのことを詳しく書いていません。 詳しく描いているのは、十字架のもとにある人間の姿です。 二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。 犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。 民衆は立って見つめていた。 議員たちも、もし神からのメシアで、選ばれた者なら、「自分を救うがよい」とあざ笑った。 兵士たちもイエスに近寄り、「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」と侮辱した。 十字架にかけられていた犯罪人の一人が、「お前はメシアではないか。 自分自身と我々を救ってみろ」とののしった。 すでにそこから逃げ出してしまったイエスの弟子たちも、実際に手を下したローマの兵士たちも含めて、すべての人がイエスの敵となったのでした。 しかし、イエスは、その自分を、今、殺そうとしているこれらすべての人々のために、「父よ、お赦しください」ととりなしの祈りを父なる神にささげておられる。 すべての人の目には、この祈るイエスの姿を、「やはり自分を救うことのできなかった哀れなメシア」だと映っている。 しかし、聖書は、ただ一人そうではない人物がいたことを語ります。 イエスと同じように十字架にかけられたその場所で、祈りを間近に聞いた、自分と一緒に死んでくださろうとしているお方の姿を間近に見た「もうひとりの犯罪人」です。 彼は、今、処刑されようとするその死に際にイエスに出会ったのです。 父なる神がこのイエスを通して裁いているのは、この十字架のもとにあるすべての人々の罪である。 今、裁かれようとしている自分の罪である。 その裁きのために、このお方が十字架から降りようともしないで、そこに身を置き続けておられる。 それだけではない、そこで「彼らをお赦しください。 自分が何をしているのか知らないのです」と祈り続けておられる。 ですから、この「もうひとりの犯罪人」はイエスに向って、「赦してください」とは言えなかったのでしょう。 「自分のやったことの報いを受けているのだから当然だ。」 「イエスよ」と呼びかけて、「わたしを思い出してください」と言うのが精いっぱいであったのでしょう。 その祈りに、彼の願いをはるかに超えて、思ってもみなかった約束が与えられたのです。 「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」というイエスの祝福でした。 十字架につけられたキリストとともに味わう永遠の「今日」、そして「楽園」です。 今にも死んでゆこうとする「もうひとりの犯罪人」の最後の極みに、入り込んでくださったイエスの約束でした。 彼の精いっぱいの祈りがあったからではありません。 十字架のうえで、血を注ぎながら先立って祈られたイエスのとりなしの祈りがあったからです。 そのイエスの祝福とは、十字架の足もとにあるすべての人の罪からの解放でした。 一緒に死の痛みを担ってくださる十字架につけられたキリストとともにある喜びでした。 思いがけない恵みの喜びでした。
[fblikesend]「いのちのパン、救いの杯」 ヨハネによる福音書 6章34~40節
「わたしは羊の門である。 わたしを通って入る者は救われる。 その人は、門を出入りして牧草を見つける」というイエスのみことばがあります。 「わたし」という門から入る羊は、牧草を見つけて食べるようになる。 それは「命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」と言われました。 そして更に、「わたしは良い羊飼いである」、牧草を与えて養っている「自分の羊のために命を捨てる」、「わたしは自分の羊を知っており、自分の羊もわたしを知っている」と言われました。 うかつに聴き流していれば、羊飼いと羊とのやさしい関係だけの物語となってしまいます。 そこに留まらないで、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊がいる。 その羊も導かなければならない。 こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」と言われました。 この羊の門の囲いの中では、必要な養いが与えられる。 からだの養いだけでなく、そこに生きる命が与えられる。 また、その養いを捨て、命を捨てて囲いの外に迷い出たあるいは出て行ってしまった失われた羊のためにも、「わたしは命を捨てる」という「キリストの十字架」を語っています。 キリストに導かれる一つの群れ「教会」を語っています。 それだけではない。 「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。 わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。 これはわたしが父から受けた掟である。」と、「キリストの復活」と父なる「神のみ心」まで語っているのです。 主イエスは、「命に通じる道はなんと狭く、その道も細いことか。 それを見いだす者は少ない。」とも言われました。 幸いに、私たちは恵みにより、信仰により、この道を知らされました。 この道はたとえ狭く細くても、すべての人に開かれている道であり、門です。 わたしたちが、この門をくぐって歩いていなければ見えて来ない道であり、門です。 「はらわたが引き裂かれる痛み」までをもって、私たちを待ち続け、招いてくださっておられる道であり、門です。 ですから、私たちは苦しくても、痛み傷ついても、この門をくぐります。 この道を歩きます。 それが、私自身が、また私とのかけがえのない交わりにある隣り人が、まことのパンを得るためです。 囲いの外にあるさまよう羊が命を得るためです。
五千人に食べ物を分け与えるという奇跡を起こされた直後に、なおも「しるし」を求めた群衆に、「わたしが命のパンである。 わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と言われました。 この「しるし」を起こされた神がお遣わしになったイエスご自身を信じること、これをお求めになったのです。 そして、これが父なる神の「み心」である。 私はこの神の「み心」に従っている。 その「み心」とは、「わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。」と言われたのでした。 残念ながら、群衆のみならず弟子たちもまた、この「復活のまことのパン」を信じることはできませんでした。 それどころか、十字架のもとから逃げてしまう弟子たちでした。 しかし、その弟子たちを選んで、復活した命の姿を四十日間にわたってお見せになりました。 弟子たちにとっては必要な四十日間でした。 その十日後に、約束の霊を受けて、キリストの群れが立ち上がったのでした。 彼らは「毎日ひたすら心を一つにして、家ごとに集まってパンを裂き、一緒に食事をし、神を賛美した」とあります。 復活されたキリスト、命のパンと救いの杯に与かる。 このキリストにつながり続ける。 「主よ来たりませ」と待ち望む。 これが、初代教会の礼拝の姿です。 「わたしは命のパンである。 わたしを食べなさい」と招いてくださるお方を信じます。 そのお方を遣わした「み心」を信じます。
「新しい命に生きるために」 ローマの信徒への手紙 6章1~11節
この手紙の当時、パウロは非難と誤解のなかにありました。 律法をしっかり守ることにより、自分たちが犯す罪を乗り越えようとする努力を、なぜ否定するのかという教会の外からの非難でした。 もうひとつは、「罪が増したところには、神の恵みはいっそう満ち溢れる」と福音を語れば語るほど、今の生活のままで自分たちが何も変わらないで神の恵みだけを受けようとする教会の中の誤解でした。 この非難と誤解に、パウロは「バプテスマ」をもって答えているのです。 パウロの表現で言えば、私たちは「罪に死んだ者」です。 罪を犯さないということではなく、「罪」の支配する力とは関係のなくなった「神の恵み」に支配されている者ということです。 ですから、「罪に死んだ者」は、もはや「罪」のもとに留まることはできなくなるはずである。 そのようなところに留まりようがないとパウロは語り、その理由が「バプテスマ」にあると言うのです。
パウロは、自分が語る福音の中で最も大切なことは四つあると言っています。 「キリストがわたしたちの罪のために死んだこと」、「キリストが葬られたこと」、「キリストが三日目に復活したこと」、「その復活されたキリストが私たちに現れたこと」であると言っています。 このキリストの死に私たちが与かるために、キリストとともに葬られるために、キリストが復活させられたように私たちが新しい命に生きるために、キリストの復活の姿に私たちがあやかるためにバプテスマを受けたことを、「あなたがたは知らないのですか」とパウロは私たちに迫っているのです。 かつて不思議な力に押し出されて一歩踏み出したあの一度限りの私たちのバプテスマは、このキリストの死と、葬りと、復活と、現れに与かるためのものだった。 このキリストと共に歩む新しい人の姿に変えられる救いの事実であった。 それを私たちのからだに刻みつけるものであった。 そのことを「あなたがたは知らないのですか」と私たちが問われているのです。
パウロは、「バプテスマ」を「接ぎ木」に譬えています。 野生のオリーブである私たちが切り取られて、キリストという根株に「接ぎ木」される。 そして、キリストという根から豊かに養分を受ける。 支えられる。 不信仰によって古い根から切り取られるけれども、信仰によって新しい根に「接ぎ木」される。 キリストの命を吸い上げて生きるようになる。 私たちは新しく生きるために、切り取られて死ぬのです。 そこには、痛みと苦しみがあるでしょう。 しかし、自分だけではない、キリストの十字架の死に与かるということです。 そして、古い自分が死んだことを見極め、確認をする大切な時が「葬り」の時です。 そして、神の恵みのもとで新しくキリストと共に生きるためです。 これが、「私たちの古い自分がキリストと共に十字架につけられる」理由です。 水に浸されることによって、キリストの死に与かり、キリストと共に葬られる。 水から引き上げられることによって、よみがえられたキリストと共に新しい命に生きる。 私たちはこのバプテスマにより、キリストと結びつけられ、一体とされるのです。 パウロは、「あなたがたは、罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きている」と言います。 私たちのバプテスマは、イエス・キリストの十字架の死と復活という一度限りの救いの出来事に基づいています。 このキリストに結びつけられるためです。 教会という神の民の群れを離れてバプテスマはありません。 キリストに結ばれていますかと迫るパウロのこのバプテスマの語りかけに、もう一度、私たちは振り返って、耳を傾けたいと願います。
「信じて待つ人」 ヨハネによる福音書 2章1~11節
「ぶどう酒がなくなりました」 イエスに向けて語られた、母マリアの必死の祈りの言葉です。 当時のユダヤの婚礼の席に欠かせないぶどう酒が、宴たけなわの中で今にも切れそうになっていることに気づいたマリアの訴えです。 このままでは、せっかくの婚礼の席に傷がつく。 その場が一変するという恐れです。 今からではどうすることもできないことは分かっている。 けれども、何とか用立ててほしいと息子イエスに訴えたマリアの祈りです。 このマリアの訴えに、イエスは「わたしの時はまだ来ていません」と短く答えただけでした。 息子であるにも関わらず、「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです」と答えるイエスになぜですかと問いたくなる。 しかし、イエスは道徳を語らず、父なる神のみこころの時がまだ来ていないという信仰を語ります。 母マリアの願う「時」、今ほしいと願う「ぶどう酒」ではない。 神のみこころの「時」と、神の願う「ぶどう酒」を待っておられるのです。 そのことを察知したマリアは、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と召使たちに命じているのです。 この短いマリアの言葉に、イエスに対する信頼の姿を見ることができます。 祈る人とは、このイエスの言いつけを待っている人です。 困り果てている自分自身を差し出して、神のみこころに向って祈り、待っている人です。 そして、これから起こるであろうイエスの言いつけを、受け取ることができるようにと備えている人ではないでしょうか。 私たちの祈りは、願うだけで留まってはいないでしょうか。 マリアは、その祈りの答えを受け取ることができるようにと備えているではありませんか。
そして、ついにイエスの口から、「水がめに水をいっぱい入れなさい」という言いつけが出てきたのです。 イエスの言う水がめは、汚れた体を洗い流す、清めのための儀式用の水を蓄えるものです。 用意された六つの水がめにいっぱいとは、相当な量です。 召使たちは、なぜ、このような時に何度も井戸に足を運んで水を汲んで来なければならないのか分からなかった。 その満たされた水を「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持っていきなさい」と、召使たちは命じられた。 その意味が知らされる「イエスの時」が、ここに来たのです。 分からないままに、井戸から水を汲んで水がめに蓄えた。 分からないままに、蓄えた水がめからその水を宴会のただ中に運んで行った。 それが、今までとは違ったぶどう酒に変わったことを知ることになったのです。 私たちは、いったいどんな意味があるのだろうと思わされることがあります。 どうしてこんなものを運んでいるのだろうとためらうことがあります。 しかし、それが、その場にもっともふさわしいものに変えられる。 そのことを知らされる「時」が与えられるのです。 イエスは、この「しるし」をガリラヤでの宣教の「最初のしるし」と言っています。 婚礼とは、神の国が訪れた喜びの場です。 そこに、イエスがともに出席されて私たちと一緒に祝福されておられる。 これから「時は満ち、神の国は近づいた。 悔い改めて福音を信じなさい」と語り始めた、その信仰を導く「最初のしるし」だと宣言されたのです。 律法の戒めに囚われた儀式用の「水」が新しい味をもった「取っておきのぶどう酒」に変えられた。 その「しるし」を見て信じたのは、弟子たちであったと聖書は記しています。 自分の願いが満たされることだけを求める人は、水がぶどう酒に変わったことに満足するでしょう。 しかし、それを変えたお方に目を向けることができた人、その「しるし」がどこから来たのか知ることができた人が、神の隠された働きを見出し、信じることができたのではないでしょうか。 その「しるし」は、弟子である私たちが信じて、命を得るためです。
「キリストが形づくられるまで」 ガラテヤの信徒への手紙 4章8~20節
パウロの時代には、ユダヤ教の律法主義者たちとの戦いや異邦人との戦いもありましたが、それだけではありませんでした。 キリストにある群れの中においても、律法から抜け切ることのできないユダヤ主義キリスト者たちとの戦いもありました。 パウロが苦労して築き上げてきたガラテヤ地方の教会の中にも、このユダヤ主義者たちが忍び込んで来たのです。 パウロが宣教した後の教会に出向いて行っては、キリストの福音から律法へ、神の恵みから人の行いによる努力へと逆戻りさせようとする。 この手紙は、そのガラテヤの人たちに、産みの親のように、耳を傾けてくれるようにと哀願しているパウロの「涙の祈りの手紙」なのです。
パウロは、かつてのガラテヤの人々の姿を、「神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていた」と言います。 イエスは「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」と言われました。 しかし、今、あなたがたは「神を知っている」はずである。 いや、「神に知られている」はずだと言い替えています。 全知、全能で、どこにでもおられる神を、私たちは知り尽くすことも、究め尽くすこともできません。 しかし、パウロは逆に、その神が私たちを知ってくださっている。 私たちがどこにいようが、どのような状態であろうが、私たちを知り尽くして、そば近くにおられる近い神であると言います。 そうであるのに、あなたがたはなぜ逆戻りして、無力で頼りにならないこの世の霊のもとに奴隷として仕えようとするのかと嘆いているのです。 その理由が、あなたがたをキリストの福音から熱心に「引き離そう」としている者たちがいるからだと言うのです。「割礼を受けなければ救われない」、「特別な日、特別な季節を大事にしなければならない」と行いを求める。 律法という行いを通して、キリストの福音の恵みから彼らを引き離そうとする。 ユダヤ人という身分を通して、キリストの自由な交わりから締め出そうとする。 キリストの弟子にしようとしないで、自分たちの弟子にしようとする。 これは、キリストの支配から自分たちの支配へとひっぱり込もうとする者たちとの戦いです。 この戦いは深刻です。 一見、何も変わらないかのように福音の根幹をひっくり返す。 キリストの十字架の死を骨抜きにしてしまうからです。 パウロは、「兄弟たち、お願いします」と語りかけます。 「わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください」 私に見倣えと言っているのではありません。「キリストは、神の身分でありながら、自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になりました。」 パウロも同じでした。 「すべての人に対してすべてのものになりました。 何とかして何人かでも救うためです。 福音のためなら、わたしはどんなことでもします。」と言って、異邦人のようになりました。 これは妥協ではありません。 福音のためなら相手のようになること、これがキリストの福音の姿ではないでしょうか。 更に「わたしたちの子供たち」とパウロは呼びかけます。 「キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。」 私たちの信仰は、このキリストの愛によって様々な人に祈られ、支えられています。 自分でつかんだものではありません。 ただ恵みによって、人を通して、霊によって与えられたものです。 人間の知恵によってではなく、聖霊によって与えられた神の祝福以外の何ものでもありません。 信仰の迷いの中で、もう一度立ち帰って、キリストの十字架の死を見上げ、悔い改めの道を歩んで欲しい。そこにキリストが誕生する。 キリストが宿る。 キリスト者が誕生するとパウロは願っています。
「最後まで従う信仰」 列王記下 5章1~14節
イスラエルと敵対関係にあるアラムの軍司令官とも言うべき勇士であったナアマンに、神は戦いの勝利と同時に、「重い皮膚病という病い」を与えておられました。 「重い皮膚病」と言えば、当時の状況では治ることのない病いでした。 主なる神の働きは、ナアマンが捕虜として連れ帰った一人の少女から動き始めます。 捕らわれ、召使となっていた名もないイスラエルの少女がナアマンの妻に言います。 「サマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病を癒してもらえるでしょうに。」 この召使の少女は、戦に負けたイスラエルの捕虜です。 自由を奪われた者です。 何の力もない少女です。 しかし、彼女は、預言者エリシャ、神の人の存在を知っていた。 そのエリシャを用いておられる神を知っていたのです。 そのことを証しする自由が、彼女にあったのです。 彼女は、自由を奪われた敵の地においても主なる神の働きを「証しする者」であったのです。
ナアマンは、この病いという「患い」を晴らしたいと心から願い、アラムの王に相談する。 アラムの王は、イスラエルの王に口添えをすると言う。 ですから、ナアマンは、アラムの王の手紙と、そのお礼のための金銀を携えて、預言者エリシャの家の入口にまで、最善の礼を尽くして出向いたのです。 ナアマンは、必ず、イスラエルの王が支援してくれるはずである。 そして、神の人エリシャ自ら出て来て、わたしの前に立ち、彼の神、主の名を呼び、恭しく患部の上で手を動かし、皮膚病を癒してくれるはずである。 そう信じて、イスラエルのエリシャの家に立ったのでした。 ところが、エリシャは自らナアマンに会おうともしないで、使いの者をよこして「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。 そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります。」と語らせただけでした。 不治の病を治すにしては、安易な扱いを受けた。 ばかばかしいと鼻で笑って、そんなことで病いが治るものかと憤り、身を翻して立ち去ったのでした。 そこでも、主なる神は、ナアマンの家来たちを用いて諌めます。 主なる神は諦めないのです。 そのために用いられた召使の少女であり、アラムの王であり、イスラエルの王であり、エリシャであり、家来たちであり、ヨルダン川であったのです。 ナアマンは心から癒されたいと願っていたのに、その癒され方に拘ってしまって背を向けたのです。 それでも、エリシャはナアマンを放置します。 直接、ナアマンの願いを聞くことさえ拒否します。 いくらばかばかしいと思われても、主なる神の約束の言葉として受け取ることだけを、ナアマンに求めたのです。 この神の約束は、主なる神へのナアマンの信頼だけによって成し遂げられるものである。 そのことを告げるためでした。 体に弱さを持っていたパウロも、同じ体験をしています。 自分の身に与えられた「一つのとげ」、これを私の身から取り去らせてくださいと三度祈ったとあります。 すると、主は「わたしの恵みはあなたに十分である。 力は弱さの中にこそ、十分に発揮される」と言われたのです。 それは、自分が思い上がることがないためであった。 そのことに気づかされたと告白しています。 私たちは、様々な人を用いて語りかける神の声に、謙虚に耳を傾けなければなりません。 最後に辿りつくまで、神は忍耐して待ってくださっているのです。 その時には分かっていなくても、それでも神の言葉に従う信仰に、主は祝福を準備して待っていてくださるのです。 私たちは、最後まで、約束のみことばに聞き従う者とさせていただきたいと願います。
「礼拝する者を求めておられる神」 ヨハネによる福音書4章20~24節
サマリアの女性とイエスとの井戸端での対話の中でのお話です。 彼女は、男性と女性、ユダヤ人とサマリア人、井戸の水を求める者と水を与える者という様々な壁をつくって、イエスに心を開きません。 そんな彼女におかまいなく、イエスは無頓着に語りかけます。 その時の常識と諦めに縛られて、また決して口に出すことのできない素性を隠していた彼女に、イエスは「渇くことのない生きた水」を与えようとして、この井戸端にやって来られたのです。 「わたしに水を飲ませてください」と言う弱々しい者の姿を取って、井戸端で彼女を待っていてくださったのです。 そのような時です。 彼女は、ユダヤ人はエルサレムの神殿で、サマリア人はゲリジム山の神殿で礼拝する。 礼拝する場所が違うと、またしてもその違いを主張したのでした。 この時のイエスの短い言葉が「ゲリジム山でも、エルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」「父は、礼拝する者を求めておられるからだ」と語られたのでした。 イエスの宣教は、礼拝から始まりました。 礼拝こそ、宣教そのものでした。 礼拝は、神が招いてくださる神の業でした。 イエスは、この礼拝は場所ではない、「礼拝する者を求めておられる神」の招きによって初めて礼拝となる。 礼拝は、父なる神が求めて招いてくださる所でなされると言われたのでした。 私たちは、神の愛に応えて、神が造り上げた世界に生きる者として創造されました。 神を賛美する者として創造されましたと聖書に記されています。 礼拝は、この神の招きによって初めてなされる神と人との交わりです。
更に、イエスは、「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。 今がその時である。」 「神は霊である。 だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」と言うのです。 イエスの宣教の始まりのころは、主の晩餐という食事の場で、神への賛美や交わりが行われていました。 礼拝は、神に招かれたすべての人がつくり上げる神の民の業なのです。 神からの招きと、神の前に私たちの真の姿を差し出す神への応答、この二つが一つとなるところ、そこが「霊と真理をもって父にささげる礼拝」なのではないでしょうか。 場所ではない、真実をもって神に応える礼拝。 神のみことばに応え、霊の賜物に感謝して、自分のからだを神にささげる礼拝。 これが、私たちに、今、赦されて与えられているとイエスは言われたのでした。 礼拝こそ、ひとつひとつの私たちが辿ってきた道に現れた神の愛、神の恵みを思い起こす場所です。 そして、もう一度、その愛に立ち帰ることを赦されている場所です。 その愛によって、立て直される場所でもあります。 それが、イエスの言う「まことの礼拝する者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時」なのではないでしょうか。 忘れてはならないことは、私たちがささげているこの礼拝には、この教会に関わってくださった方々、すでに神のもとに召されておられる方々、そして、これからこの教会に招かれようとされている方々とともに、その方々を代表して礼拝をささげているのです。 礼拝する者、宣教する者こそが、神の愛と苦しみのほんの一部を知ることができる。 そこには、本当の喜びがある。 すべての者が神から出て、神に保たれ、神に向っていることを知らされる。 私たちはそのために、今日もこの礼拝に招かれているのです。
「宣教する礼拝」 ローマの信徒への手紙11章33~36節
ルカによる福音書によりますと、イエスの宣教は、荒野で悪の霊の誘惑を退けた後にガリラヤで始められました。 「イエスは霊の力に満ちてガリラヤに帰られた」、「イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた」、「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとされた」とあるように、イエスが行われた宣教の働きは、霊に満たされて、安息日の会堂における礼拝の場から始まりました。 イエスが立ち上がって、みことばを語り、教え諭された。 礼拝自体が宣教でありました。 それと同時に、そこから宣教が始められる場でもあったということです。 神から祝福された者が祝福する者に変えられる。 そして、その神の祝福が隅々にまで深く、広く行き渡っていく。 そのために、礼拝の民が祝福する者として用いられていく。 これが、イエスの宣教の始まりでした。
神が私たちを招いてくださって、その神の働きに私たちが応えて、神のもとに集められる。 そして、神の祝福に満たされて、再び送り出されていく。 これが礼拝です。 神は、私たちに、神の業である宣教の働きを委ねてくださっているのです。 礼拝自体が、神の宣教そのものなのです。 私たちがささげる礼拝は、神の招きに対する直接の応答です。 このことを体現した人物、パウロの賛美が今日の聖書箇所に示されています。 パウロは、ユダヤの律法の最高の教育を受け、ユダヤ人でありながらギリシャ文化の教育も受け、ローマの市民権をもつユダヤ人でした。 ユダヤの律法を守らないキリスト者を徹底的に弾圧した人物です。 そのパウロが、よみがえりの主に電撃的に出会い、その後今までとは真逆の生涯、異邦人への福音の宣教の働きを担った人物です。 人間的には、健康に恵まれず、その姿はみすぼらしく、生活は「天幕づくり」で身を立てていたとあります。 そのパウロが、「イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト」(コリント2:2)だけを語り続けたのでした。 ユダヤの長い歴史を通して、また誤解と中傷の渦巻く異邦人への困難な宣教を通して、神が痛みと憐れみをもって貫き通してくださったことに対する、パウロの驚きと感謝と賛美が、「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。」という言葉でした。 パウロが賛美している「神の富」とは、その豊かさです。 異邦人にまで、神の救いの手が差し伸べられる。 また、十字架の赦しによって、ユダヤに再び祝福の手が差し伸べられる。 その神の憐れみの豊かさです。 パウロが賛美している「神の知恵」とは、悪の霊、人の罪の妨害にあったとしても、どのような状況の中にあってもみこころを貫き通す、隠されていた神の憐れみです。 パウロが賛美している「神の知識」とは、私たち自身以上に私たちを知っていてくださるということです。 パウロは、イエスに招かれて、祝福を受けて、イエスの宣教に応えて歩んだ生涯を通して、この神の憐れみの豊かさに打たれたのです。 どのような時にも貫き通す、神の真実の見事さを知ったのです。 隅々まで私たちを知っていてくださるという神の深さに心打たれたのです。 「神を知ることは神を礼拝し、賛美することである」とカルヴァンは言っています。 パウロの賛美と礼拝は、「すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向っている。 栄光が神に永遠にあるように、アーメン」となっています。 礼拝する、宣教する私たち自身が、この「神の富と知恵と知識」を知ることになるのです。 キリストにあって、キリストとともに礼拝と宣教をともにしなければ、私たちはこれが分かりません。 礼拝も宣教も、この神の憐れみに応えて行われる神の業なのです。 これに私たちは招かれています。
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