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「聖なる者」 ペトロの手紙一 1章13~26節

2015-08-23

 このペトロの手紙には、信仰を持ったがゆえに迫害され、離散して、慣れない異邦の地で息を潜ませ、肩身の狭い思いで暮らしていた寄留者たちの姿があります。 しかし、ペトロはその彼らに訴えます。 イエスの言う「隠された宝物」、「すべての持ち物をすっかり売り払っても惜しくないもの」を見出したではありませんか。 地上の生活では、失われて、貧しく、小さくなったけれども、枯れることのない、尽きることのない新しい命を得ることができたではありませんか。 「だから、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。」 「あなたがたは召し出してくださったお方は聖なる方であるから、あなたがたもまた生活のすべての面で聖なる者となりなさい。」と勧めます。   「聖なる者」とは、神によって神と同じものとして取り分けられる者という意味です。 父なる神が、そのもとから迷い出て、失われてしまった私たちを探し求めて、見つけ出して、ご自分の子どもとして取り分けてくださる。 ですから、この招きを受けた者たちの送るべき生活の姿をペトロは語るのです。 その姿は、いつでも心を引き締め、身を慎んでいる。 無知であったころの欲望に引きずられることなく、従順な子となっていると言います。 いつでも素早く動けるように準備をする。 肝心な時に目を覚ましている。 みことばに耳を傾けることができるようになっている。 招いてくださったお方と同じ「聖なる者」になる用意がなされたから、「イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい」と、祝福と希望を語っているのです。 
 ペトロは、「あなたがたの信仰と希望とは、この神にかかっているのです。」 それも、金や銀のような朽ち果てるものによらず、「キリストの尊い血によって」、「あなたがたが先祖伝来の空しい生活から贖われたのです。」 「朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。」と言うのです。 私たちは、信仰のゆえに苦しみと悲しみを余儀なくされた先人の生活と同じ様を見る思いがあります。 信仰生活の喜びが失われる。 教会に仕えることに息苦しさを感じる時もあるでしょう。 どんなにすばらしい希望が約束されていたとしても、その確信があったとしても、背負い続けなければならない、また乗り越えなければならない今の現実が、私たちそれぞれにあります。 しかし、それが悲しくとも、苦しくとも、味わっていなければ、このはかない現実にしっかりと目を注いでいなければ、神のみこころも、神の裁きも、神の赦しも、神の愛も見えて来ないのです。 神が共におられ、私たちのうちに働きかけて、忘れかけていた大切な信仰を呼び起こす。 与えられている信仰、希望を見つめ直す。 この信仰の営みが、悲しみの中にある、苦しみを背負っている私たちにこそ求められているのです。 そのために、父なるお方がどのようなお方であるか、いつでも、それもひたすらに、生活のすべての面において知っておかなければならないとペトロは言うのです。 神の恵みに立ちなさい。 神のみことばに立つようにされなさい。 新たに生まれ変わらせていただきなさいと励ましています。 この神の愛を受けて、その愛のうちに生きるように、迫害、悲しみ、苦しみの中にありながら、神の恵みに立ち続ける、朽ちない生きたみ言葉に立ち続ける。 これが「聖なる者になりなさい」、「キリストに従う」ということなのではないでしょうか。 神に対してささげるものは、自分自身です。 十分の一ではありません。 



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