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「絶望の中で見出す希望」 ヨハネの黙示録12章7~12節

2022-04-24

 ヨハネの黙示録は不思議な書です。 人間に見えていないことを、幻や象徴や譬えなどを用いて解明しようとする黙示文学の形を取っています。 なかなか理解しがたい特異な文章となっていますが、書かれた時代背景など考えながら読み進めていくと見えてくるものがあります。 ローマ皇帝に対する礼拝の強制という厳しい抑圧の中で、身の危険や死の危険を感じながら生きて行かなければならない人たちに向けて、隠されている真実を「イエス・キリストの黙示」として明らかにしています。 筆舌に尽くしがたい迫害の中でも、勇気と希望を与えようとしています。 「天で戦いが起こった」、「ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだ」と言います。 「ミカエル」とは、イスラエルを守る天の使い、一方、「竜」とは「悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者」と言われています。 神と、神に敵対し人間を惑わす悪の霊との戦いが起こったということでしょう。 時代背景から、「竜」とはローマ皇帝であると容易に想像できます。 人間を惑わし、破綻させ、神のもとから離れさせようとする霊なる力に天は戦いを挑んだと言うのです。 その戦いの結末は、「竜とその使いたちは勝てなかった。 もはや天には彼らの居場所がなくなった。 竜とその使いたちは天から地上に投げ落とされた。 今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。 神のメシアの権威が現れた。 小羊の血と証しの言葉で打ち勝った。」と言うのです。 「小羊の血と証しの言葉」とは、イエス・キリストの十字架の死、十字架にまで従ったイエスのお姿とみ言葉を暗示します。 全人類を惑わす者は地上に投げ出された。 天ではもうすでに打ち破られて、その居場所さえなくなった。 彼らは、「残された時が少ないのを知って、怒りに燃えて地上に降って行った。」と言うのです。 イエス・キリストの十字架の死と復活によって、悪魔とかサタンとか呼ばれるものは敗れ去り、地上に投げ落とされた敗者に過ぎない。 勝敗の決した後の本当の「希望」、「復活することになっている希望」が、天では既に定められている。 彼らが投げ落とされた地上もまた、神ご自身が創造された世界である。 だから、地上で起こる目に見える一時の出来事に目を奪われることのないようにと「黙示録」は語っているのです。 キリストの復活がなければ、私たちの復活はないのです。 キリストは、私たちの「初穂」として、代表として「復活」してくださり、その「復活の希望」を保証してくださっているのです。 私たちの罪の赦しや平安や喜びに留まることなく、最後の敵である「死」を乗り越えて、神のもとに引き渡されたどり着く。 神のみ心の最終目的は、この地上のすべての権威や支配がキリストの足もとに降り、そのまま父なる神のもとに引き渡されるという壮大な救いの業なのです。 「終わりの日に現わされるように準備されている救い、もうすでに勝敗が決して定められている本当の希望を受けるために、神の力により信仰によって今の地上の世界、地上の時を私たちは守られている」と言うのです。 ですから、現状がどうであれ、「絶望」の中にでさえ「希望」があります。 何もなくても、何かを奪われても私たちは「豊か」です。 これらの「希望」も「豊かさ」も、私たちの信仰や努力のご褒美ではありません。 神ご自身のみ心の最終目的のためです。 神がすべてにおいてすべてになられるためです。 このような確かなことが、この世にあるでしょうか。 今の現実の姿から、その真の「希望」を見出そうとしても見出せないでしょう。 このお方の確かなみ心から眺め直すなら、すでに定められている、約束されている「希望」から、私たちの絶望に思える今現在を見つめ直すなら、新しい力、揺るがない希望が湧いてこないでしょうか。 私たちは目を上げて、天からくる助けを仰ぐのです。



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