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「主によって喜ばせてもらいたい」フィレモンへの手紙 8節~20節

2017-05-21

 フィレモンの手紙は、パウロの個人的な色彩の強い本当に短い手紙です。 端的に言えば、今は牢獄に囚われている囚人パウロから、その信仰の協力者フィレモンへ宛てられた個人的な、かつ具体的な願いが記されています。 フィレモンは、パウロによって信仰に導かれ、家族を挙げて自分の家を開放していたほどの、コロサイの群れの教会の中心人物です。 パウロはこの手紙がコロサイの群れの人たちの前で読み上げられることを承知のうえで手紙を書いています。 互いの信頼関係は強いものがあり、師弟関係にあったとも言えるでしょう。 そのパウロがフィレモンに、「年老いて、今はまた、キリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが、監禁中にもうけたわたしの子オネシモを、あなたのもとへ送り帰します。 オネシモをわたしと思って迎え入れてください。」 と、切なる願いを訴えています。 オネシモという名の奴隷がいた。 彼の主人はフィレモンであった。 今のオネシモは、パウロが「わたしの子オネシモ」、「わたしの心であるオネシモ」、「オネシモをわたしと思ってください」と言うほどに、パウロのもとで、パウロのために懸命に働いていた。 今の私たちには理解できない奴隷制度のようなものを用いても、聖書はつまずくことなく信仰の世界を見るように、霊の世界を見るようにと促しています。 
 オネシモは、主人フィレモンのもとを逃げ出した逃亡奴隷です。 逃亡奴隷が見つかれば、主人のもとへ戻されるか、ひどい仕打ちにあうのかどちらかでしょう。 しかし、パウロは一人の人間、奴隷オネシモの変化を丁寧に語っていることに気づかされます。 かつてのオネシモは、フィレモンのもとにいたたまれなくなって逃げ出してしまった人物でしょう。 パウロも「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でした」と認めている。 しかし、パウロはオネシモに失望していない。 そこには、神の目的、ご計画があった。 「しばらくあなたのもとからオネシモが引き離されていたのは、主人であるあなたが奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟として、いつまでもオネシモを自分のもとに置くためであったかもしれません。」と言っている。 パウロは奴隷という身分を取り払ってくださいとフィレモンに懇願しているのではありません。 オネシモが直ちに奴隷でなくなるわけでもないでしょう。 しかし、オネシモが奴隷であったとしても、またフィレモンとオネシモが主人と奴隷という関係のままであったとしても、主人であるあなたは、「もはや奴隷としてではなく、つまり愛する兄弟として、ひとりの人間として、主を信じる者として」、オネシモを迎え入れることができるはずだと訴えているのです。 オネシモは、獄中にあったパウロを通して霊的に生まれ育てられ、今は変えられている。 「わたしの子オネシモ」、「わたしの心オネシモ」と言わせるほどに、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっている。 「役に立たない者」から「役に立つ者」へと変えられている。 だから、「オネシモをわたしと思って迎え入れてください」と言うのです。 パウロは師弟関係にあったフィレモンに命令しているのではなく、フィレモンに「あなたの愛に訴えてお願いします」とあります。 フィレモンに満たされている、主イエスの十字架の赦しと和解の愛をパウロは十分知っている。 フィレモンがささげているその十字架の愛によって、私の願いを叶え、「主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。 キリストによって、わたしの心を元気づけてください。」と言っているのです。 フィレモンには、オネシモによってもたらされた痛みがあったでしょう。 オネシモもまた、自らの償いをどうしたらよいのかという苦悩があったでしょう。 パウロは「わたしの借りにしておいてください」、「わたしが自分で払いましょう」とまで言いつつ、唯一の償いの道、十字架の愛による和解と救いを語っているのです。 奴隷制度の社会の片隅で、パウロとフィレモンとオネシモとの間に、贖いの業が成し遂げられようとしているのです。



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