秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「起きなさいと言われるイエス」 ルカによる福音書7章11~17節 

2022-06-26

 聖書箇所の冒頭に「それから間もなく」とあります。 カファルナウムでローマの百人隊長に重んじられていた部下が病気で死にかかっていた際に、その部下が病気から元気になったというイエスの癒しの業が引き起こされた直後、ナインという城壁に囲まれた町での出来事です。 その町から外に向かって出て行く葬儀の列の一行と、反対に町の中に入ってくるイエスの弟子たちと群衆の一行が交差するのです。 葬儀の列の先頭は、「一人息子を亡くしたやもめ」であった。 早くして夫を亡くし、続いて今一人息子を失って悲しみに暮れるひとりの女性でした。 「町の人が大勢そばに付き添っていた」と、葬儀によって母親を慰めようとしているのです。 町の中に入って行こうとするイエスを先頭とする列の一行が、母親の涙を止めるだけでなく、当時の「泣き女」に象徴されるような嘆きの儀礼で飾るような葬儀にストップをかけるのです。 「主はこの母親を見て、憐れに思い」とあります。 イエスではなく「主」という称号は「復活されたイエスの称号」です。 「わたしたちの主」という当時のキリスト者の最も簡潔な信仰告白の言葉です。 「憐れに思われた」という言葉は、主であるイエスだけに用いられている「はらわたのそこから愛する憐れみ」という言葉です。 イエスが同情という一般的な感情を越えて、神のご愛を示されたということです。 人間にとってどうすることもできない冷徹な「死」を前にして、イエスは「はらわたに痛みを憶えるほどの神の憐れみ」を示し、この母親に近づき、「もう泣かなくともよい」と語りかけられたのです。 死体に触れてはならないという当時の律法を越えて、イエスは「棺に手を触れられた。 するとその葬儀の列は立ち止まった。」と言うのです。 驚くべきはその直後の、「若者よ、あなたに言う。 起きなさい。」という語りかけの言葉です。 「起きなさい」とは、神が死人の中から復活させる時に用いる言葉です。 「よみがえりの主」が、神の御心に突き動かされて神のご愛を表された瞬間でした。 「すると、死人は起き上がってものを言い始めた」と言います。 生きている者だけの町の中から、墓に向かって町の外に運び出されていた「棺」が、思いがけず復活の主と出会ったのです。 神の激しいご愛が主イエスを通して目に見えるものとなったのです。 諦めていた「死」から解放される道があること、神ご自身の固い決意により道が切り開かれ、備えられた神の国があることを示すために、その「棺」にイエスは手を触れたのです。 死んだ者に「起きなさい」と命じることのできるお方がおられることが示されたのです。 イエスはその一人息子を生き返らせただけでなく、「その母親にお返しになった。」 人の「死」の支配から、母親と一人息子の小さな家庭を解放させたのです。 「わたしたちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ローマ8:39) 私たちの側の状態に関係なく、父なる神の憐れみにより、突然の神との出会いにより、神の国に導かれ引き戻されるのです。 私たちが通らなければならない道を、私たちの初穂として歩んでくださった主イエスを仰がなければなりません。 そのイエスを遣わしてくださった父なる神のご愛に賛美の礼拝をささげなければなりません。 イエスの「死」によって、かつて天地創造の際には備えられていたはずの「生」を取り戻すことが示されたのです。 このイエスを通して示された神のご愛の証人となることも、私たちにしか語ることのできない証言を語ることもできるのです。 よみがえりの主イエスは「起きなさい」と呼びかけ、「この神のご愛をなぜ受け取らないのかと」嘆いて涙しておられるのです。 



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