秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

キリスト教や聖書、結婚式や葬儀も相談できるキリスト教会です。

「福音に仕え、教会に仕える」 コロサイの信徒への手紙1章21~29節 

2022-01-16

 パウロは直接訪問をしたことのないコロサイの教会について、「キリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について聞いた。 あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞いた。」と言います。 一方で、コロサイの教会が抱える問題をも語ります。 異邦人の地にある教会で、異教の習慣により元の状態に戻るかもしれない弱さをもちます。 掟や戒めに縛られるユダヤ教的な教えも入り込んで、「偽りの謙遜」とパウロは警戒します。 「人間の言い伝えに過ぎない哲学。 むなしいだまし事。」と称し、異端の脅威にもさらされていると警戒します。 これらは、「この世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。」 「わたしたちは、キリストと共に葬られ、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。」 そうであるのに、キリスト以外のものに支配されているとパウロは言うのです。 そのようなコロサイの教会の人々に向けて、「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。 しかし今や、神御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者とされた。」 これは、神が御自身の御子イエス・キリストの肉の体において、その死によってあなたがたと和解されたからである。 イエス・キリストとの出会いによって、福音を受け入れたことによって信仰が起こされたからであるとパウロは言うのです。 更に、「イエス・キリストこそ、見えない神の姿です。 神の御子です。 その体である教会の頭です。 死者の中から最初に生まれた方です。 神は満ち溢れるものを余すことなくイエス・キリストのうちに宿らせたのです。 イエス・キリストの十字架の血によって、暗闇のこの世界に平和をうち立て、御自分と和解させたのです。」とパウロは言います。 パウロにとって大事なことは、キリスト教という教えではなく、イエス・キリストそのものです。 このお方に結びついているかどうかだけなのです。 「ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、聞いた福音の希望から離れてはなりません。」と祈るのです。 そして、「この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。」と言うのです。 福音は、父なる神によって遣わされたイエス・キリストとの出会いによってもたらされるものでした。 福音が語られ、聞かれ、信仰が起こされるところには、必ずキリストが働かれるのです。 神の救いの業が引き起こされるのです。 教会はキリストのからだです。 その教会の頭はキリストです。 この世に教会が存在するのは、今もってキリストが働くためです。 キリストとの出会いに招くためです。 教会の存在理由は、福音を宣べ伝えるため、福音がもたらされたことを証しするためです。 「あなたがたのために、キリストの体である教会のために、神は御言葉をあなたがたに余すことなく伝えるという務めをわたしに与えられました。 この務めのために、わたしは教会に仕える者となりました。」と告白するのです。 私たちは、キリストの苦しみや悲しみの一端を味わっているでしょうか。 パウロは、「あなたがたのために苦しむことを喜びとしています。 このために、わたしは労苦しており、わたしの内に力強く働くキリストの力によって闘っています。」とまで言います。 信仰はこの闘いがあるからこそ、キリストの力と恵み、神のご愛を味わうことができるのです。 「福音に仕える。 教会に仕える。」とは、「人に仕える。 キリストに仕える。」ということでしょう。 自分自身が神に対するささげものになるということでしょう。 人を通して神に仕え、キリストに仕えるのです。 



バナー
バナー

お知らせ

過去の記事



〒010-0917
秋田市泉中央3−2−1
TEL/FAX 018-862-5357(教会)
TEL 018-863-4228(幼稚園)
牧師 村上悦二
協力牧師 渡部元