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「ペトロの恵み」 使徒言行録10章1~16節

2020-01-05

 場面は、カイサリアという町にいるコルネリウスとヤッファという町にいたペトロとの出会いです。 カイサリアもヤッファもともに、地中海に面するパレスチナ地方の代表的な港町です。 ヤッファは、エルサレムと密接につながる保守的なユダヤ主義の町です。 カイサリアは、ヘロデがローマ皇帝のために年数をかけて築いたローマによるユダヤ支配の象徴的なギリシャ文化の色濃い町です。 コルネリウスは、そのカイサリアに常駐する「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長でした。 ギリシャ文化に包まれたカイサリアに住む純粋なローマ人です。 「信仰厚く、一家そろって神を畏れ、民には多くの施しをし、絶えず祈っていた。」と、理想的な信仰者の姿であったと言います。 一方、ペトロは、かつてガリラヤの漁師であったユダヤ人でした。 イエスと出会い、聖霊が降り、別人のように変えられた人です。 方々を巡り歩き、イエスの語った福音を宣べ伝え、病を癒し、不思議な業を行い、ユダヤ主義の色濃いヤッファに滞在していたのです。 そのようなローマ人とユダヤ人であった二人を、神は出会わせようとするのです。 神の福音自らが場所と文化と人種を超えて、二人を用いてその壁を突き破っていこうとするのです。
 最初に、カイサリアにいるコルネリウスに神は呼びかけます。 「ヤッファにいるペトロをカイサリアに招きなさい。」という分かりやすく、具体的な呼びかけでした。 一方、ヤッファにいるペトロにも神は呼びかけます。 しかし、その呼びかけは難しく、理解不能なものでした。 「大きな布のような入れ物に入っているものを屠って食べなさい。」という呼びかけでした。 その入れ物の中には、「律法に戒められていた清くない物、汚れた物が含まれていた。」とペトロは拒みます。 それでも、「わたしが清めたものを、清くないなどと言ってはならない」と神はペトロを戒めます。 これが三度繰り返されたと言います。 ペトロは、この神の呼びかけを食べ物のことであると決めつけて、思い込みで三度も拒んだのです。 そこで、コルネリウスにも神の呼びかけがあったことをペトロは初めて知らされて、この神の呼びかけは食べ物のことではなく、人間に対する福音を宣べ伝えることであることを知らされたのです。 ペトロはコルネリウスに出会って、「神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないとお示しになりました。 神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。」と語っています。 
 一方、ペトロを迎えるコルネリウスは、最大限の敬意をペトロに払います。 親類や親しい友人を呼び集めてペトロを待っていました。 ペトロの姿を見るや、足元にひれ伏して、「今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」とまで言います。 コルネリウスはペトロを迎えたというより、神を迎え入れて、そのみ前に進み出ていると言っているのです。 ペトロも同じでした。 「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人であるわたしは外国人と交際したり、訪問したりすることは律法で禁じられています。 けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないとお示しになりました。 それで、すぐにここに来たのです。」と、先立って行われた分け隔てなさらない神の働きだけを見つめているのです。 この三度も繰り返し神に砕かれたペトロが、コルネリウスのもとに遣わされたのです。 そこで、神の前に進み出てペトロが語る福音を聞き逃さないようにと多くの人々が待っていた恵みに、ペトロは与ることができたのです。 福音を伝えられたコルネリウスたちも、福音を伝えたペトロも、ペトロについてきた人たちもそこで、神の働きに与ることができたのです。 パウロは言っています。 「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。 わたしが福音に与る者となるためです。」(コリント一9:23)



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