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「立ち上がるサウロ」 使徒言行録9章1~19A節

2019-12-29

 生まれたばかりのキリストの教会は、ひとりの人物の大きな変化によって新しい世界が拡がっていったと聖書は語っています。 その人物はヘブライ語読みで「サウロ」、ギリシャ語読みで「パウロ」です。 ユダヤ教の中から飛び出したキリスト者たちが、「十字架に架けられたナザレ人イエスが神の子であった。 すべての人々の救い主となった。 今もなお、死を乗り越えて生きて、自分たちに出会ってくださった。」と証言し始めたので、エルサレムでは神を冒涜する者であると激しい迫害が起こっていたのです。 その最前線で指揮を取っていたのがサウロです。 「十字架に架けられた者」は神に呪われた者であると学んできた律法からも、自分の信念からも断じて許すことができないと、「脅迫し、殺そうと意気込んで、見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行しようとした」のです。 そのサウロが、エルサレムから200キロ以上も離れたシリアのダマスコで、天からの光に照らし出され、自分の名を呼びかける声を聴いて地に倒れたと言います。 あまりの輝きに、サウロは驚いたのです。 「呼びかけるあなたはどなたですか」のサウロの問いに返ってきた「あなたが迫害しているイエスである」という答えに、サウロは混乱したのです。 迫害していたのは、イエスを神の子と仰ぐキリスト者たちでした。 サウロは今、迫害されたキリスト者たちの痛みを自分の痛みとするイエスの呼びかけに出会ったのです。 イエスは、神に呪われて十字架に架けられて殺された、それだけの人物である。 自分を神と一体としたために、神を冒涜する者として処刑された人物であるとばかりサウロは思っていたのです。 死んだはずのそのようなイエスが、今、生きてこの迫害する自分に呼びかけている。 サウロは、キリスト者たちの「イエスは復活した」という証言を思い起こしたに違いない。 イエスを十字架に架けて殺した人々と同じように、自分もまたひとりひとりのキリスト者たちを捕らえ、処刑して、イエスを痛めつけている者であることを知らされたのです。 サウロは自分の本当の姿を知らされて、三日間、目が見えなくなって、何も飲み食いができなくなったと言います。 この三日間は、サウロにとって必要な時、神の恵みの時でした。 このイエスは律法によって裁かれたのでも、処刑によって裁かれたのでもない。 神の愛によって、神の痛みによって、私たち人間の過ちを背負って、神の前に立って裁かれてくださった。 私たちの代わりに神に見捨てられてくださった。 神に見捨てられるという本当の恐ろしさを味わってくださった。 そのイエスが今、ここに生きて自分に呼びかけてくださった。 そのことを、サウロは聖霊によってやっと知らされたのでした。 
 そのような状態のサウロのもとに、アナニアという人物が遣わされます。 イエスはアナニアにも、「サウロのもとに行け。 サウロは、あなたが手を置いて、元通りに目が見えるようにしてくれるのを祈り待ちわびている。」と呼びかけます。 アナニアは、「サウロは、エルサレムでどれほどの迫害を、わたしたちに行ったのかを聞いて知っています。 ここダマスコでも、祭司長たちからイエスの名を呼び求める人たちを片っ端に捕らえる権限を受けてやってきています。」としり込みします。 イエスはそれでも、「サウロは、わたしが選んだ器である。 わたしの名による福音を、異邦人に、すべての神の民に告げ知らせるために、わたしが準備して、選んだ人物である。」と迫ったのです。 サウロの生い立ちも、学んできたことも無駄にされることなく、また誤った熱心さから起こした過ちもまた赦されて、相応しい援助者も与えられて、まったく方向の異なる方へ神のみ業のために用いられるよう整えられていったのです。 これはサウロだけの特別なことでしょうか。 ひとりの回心が、イエスの輝きでその周りを照らし出すのです。



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