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「再び根を下ろし、実を結ぶ木」 イザヤ書37章26~31節

2017-01-01

 大国アッシリアは地中海への足がかりを得ようと、小さな国ユダの町や村を次々と制圧し、その首都エルサレムを包囲したのです。 アッシリア王は、「わたしの力を見なさい。 わたしの力のもとにひざまずくなら、あなたたちの身は守られる。 今の生活は保障される。」と無条件降伏をユダの国に迫ります。 脅迫され、行き場がなくなったユダの王ヒゼキヤは、心が揺れ動き、莫大な国の財産を差し出して命乞いをした。 それも金で覆われた神殿の扉や柱を一部切り取ってまで、賠償金として差し出したと言います。 私たちにとってのアッシリアとは何でしょうか。 「なぜ何の得にもならない、頼りにならない言葉に頼っているのか。」と、私たちに迫るものはいったい何でしょうか。 そうではない、ひょっとしたら私たちこそがそのように思い込んでしまっているのかもしれない。 ヒゼキヤの揺れ動く振る舞いは、私たちのうつろう姿を映し出しています。 「わたしたちの神に寄り頼む」と言いながら、その礼拝する場所の一部をはぎ取って迫りくる者にその場しのぎの犠牲を差し出してはいないでしょうか。 更に執拗に「お前が寄り頼んでいる神にだまされてはならない。 エルサレムは、アッシリアの王の手に渡される。 あらゆる国々の神々は火に投げ込まれて、それらの国を救い出すことはできなかったではないか。」と迫る手紙をヒゼキヤが手にした時です。 ヒゼキヤはその手紙を手に持って、自ら神殿に向ったのです。 神殿を傷つけてしまって顔を出すことも躊躇するようなところに、自ら決断し赴いたのです。 その脅迫の手紙を主の前に広げて、自ら祈り出したのです。 「イスラエルの神よ。 あなただけが地上のすべての国の神です。 あなたこそ天と地をお造りになったお方です。 主よ、この手紙に書かれている言葉に耳を傾けてください。 どうか今、わたしたちをアッシリアの手から救い、地上のすべての国が、あなただけが主であることを知るに至らせてください。」と祈ったのでした。 その時に告げられた主の御言葉が今日の聖書箇所です。 
 主はアッシリアの王に言います。 「お前は聞いたことがないのか。 すべては、はるか昔にわたしが計画を立てていたことである。 そのいにしえの日にここに描いていたことを、今、わたしは自ら実現させる。 今は、ユダの砦の町々を瓦礫の山にすることになった。 力を失ったユダの住民はうちのめされて恥に覆われ、野の草、青草のようになってしまった。 しかし、お前の奢りがわたしの耳にまで上ってきたために、わたしは行動を起こす。 お前が座っているのも、出て行くのも、入って来るのも、わたしに向って怒りに震えていることもわたしはすべて知っている者である。」と告げ、エルサレムはアッシリアによって滅ぼされることはないと約束してくださったのです。 一方、絶望の淵にいたユダの王ヒゼキヤにも主は言います。 「あなたにその救いの業の約束のしるしを与える。 このアッシリアによる傷跡のなかにも、わたしの民を養う。 最初は苦難が継続する。 しかし、三年目には種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を造り、その実りを食べるようになる。 そのために苦難を味わい、そこに留まり続けた残された者に、「再び根を下ろし、上には実を結ぶ木」を備えると告げられたのです。 主に真剣に祈る者には必ず主は応えてくださいます。 もう祈っても応えられないと諦めていることがあるでしょう。 もう変わりようがないと祈ることを止めていることがあるでしょう。 ヒゼキヤのように、神を罵る者の実情をみ前に広げて、そこに神の力が働くよう祈り求めてみませんか。 私たちが苦しんでいるのは、神に力がないのではありません。 私たちが力あるお方を本当に信じて、期待して、祈り求めて「待つ」ことができないからです。 主はいっぱいの実がなるようにと私たちに期待しておられるのです。



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