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「人間を誇ってはならない」  コリントの信徒への手紙一3章18~23節

2016-07-03

 パウロがコリントの教会の人たちに手紙を書き送っています。 コリントの教会は、パウロの開拓伝道によって築き上げられた教会でした。 一年半そこに滞在し、その後をアポロに託した教会でした。 ところがそのコリントの教会の中で、「わたしはパウロにつく、アポロにつく、ケファにつく」と、その指導者を巡り争いが起こっている。 イエス・キリストという土台を築いて、その上に建てられたはずのコリントの教会に呼び集められた群れが分裂状態になってしまっている。そのことを嘆いてパウロは、「アポロとは何者か。 また、パウロとは何者か。 この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。」と訴えています。 私も、アポロも神の同労者である。 神の働きがあって初めて、「イエスを主とする信仰の群れ」が生まれ、育てられたのである。 そのように、コリントの教会の人たちを戒め、成長させてくださった命の根源である神をパウロは指し示したのです。 更に、「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」とまで戒めています。 あなたがた教会は、イエスを主として信じるその信仰において集められた群れであるはずである。 そのキリストの信仰によって造り上げられた交わりの中に、神の霊が宿るようになる。 そのキリストとの交わりによって産み出される群れこそ、この地上で霊なる神が住まわれる場所である。 それが、神の神殿であるとパウロは宣言したのです。 ですから、この神の神殿を、あなたがた自身が壊してはならない。 私たちが心から賛美し、礼拝し、ひざまずいて祈るところ、地上で霊なる主が生きて働いておられるところ、そこがキリスト者の群れ、神の神殿である。 そこに私たちは選ばれて、招かれているとパウロは訴えているのです。 「パウロもアポロもケファも」ないのです。 すべて神に仕える同労者である。 人々を導くために等しく召された神の僕に過ぎないのです。 
 それと同じように、地上の「世界」も、すべての人に訪れる「生も死」も、「今起こっていること」も「将来起こること」もすべて神のものである。 パウロは、「すべてのものは神から出て、神によって保たれ、神に向っている」と言います。 神の愛以外に、私たちを支配すべきものは何もない。 一切が神の祝福の内にある。 あなたがた教会は、キリストに属する者である。 その教会を支配する者はキリストのみである。 キリストだけに従うあなたがた教会は、キリストのものである。 神の賜物である。 そのことを、パウロは「一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」と言います。 ところが、すべては神のものであるはずであるのに、それを壊すものがあると言います。 この神が宿るところを壊すもの、神の霊が臨んで住まうとされようとしているところを占領し、壊すものがある。 それは、神を望みとしない、神を頼りとしない、人間の知恵を誇る「誇り」だと言うのです。 パウロは、人の知恵と経験だけに踏みとどまっている人、神を頼りにしない人のことを「肉の人」と呼んでいます。 すべては神のものであるからこそ、私たちは神の前に愚かな者、貧しい者であるということに気づかなければなりません。 私たちの目には、愚かで、空しいものに見える「十字架につけられたキリスト」こそ、神の愛、神のご真実を表す神の知恵です。 この「十字架につけられたキリスト」がおられるところを壊してはなりません。 このお方に私たちは結びついています。 そこに、自分を投げ入れることが神の知恵を得るための唯一の道であるとパウロは言います。 ですから、だれも人間を誇ってはならないのです。



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