秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

キリスト教や聖書、結婚式や葬儀も相談できるキリスト教会です。

「世界の片隅に訪れたクリスマス」 ルカによる福音書2章1~7節

2015-12-20

 「そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た」とあります。 イエスがお生まれになった頃とは、世界制覇を果たしたローマ帝国が益々その支配を高めようと、人口調査を行い全住民の戸籍や資産の登録を行わせ、それに基づいて税金を徴収していたのです。 「ローマの平和」と呼ばれる基礎を築いたのが、この皇帝アウグストゥスです。 だれにも相談することなく、自分一人で決めることのできる命令、「勅令」を発することのできる絶対的な権力を持っていた人物でした。 まさに、人間が神という絶対者になった時にできる命令です。 そのような頃に、聖書は誰の目にも留まらない若夫婦、ヨセフとマリアを登場させます。 彼らも同じように、宿屋を見つけることができないくらいに混雑しているヨセフの町ベツレヘムに、住民登録をするためにやって来ていたのです。 
 世の中は、神となった皇帝の絶対的な命令に動いているように見える。 人々の大移動が引き起こされているほど、大きな動きになっている。 しかし、今、小さな家族の中に一人の赤ん坊が生まれるという小さな変化が起きている。 しかも、ローマ帝国が支配する全世界の中では小さな国ユダヤ、それもベツレヘムという小さな町、その片隅にある家畜小屋の中で、世の中の大きな動きよりも重大な、神の働きによる絶対的な力が粛々と静かに動いている。 全住民に一斉に命令するような仕方ではなく、一人一人の小さな人生に働きかけて、決定的な変化をもたらすという仕方で神が働きかけていると聖書は語ります。 マリアの生涯は、神から託された息子を見つめ続ける生涯に変えられました。 そして、ついにイエスと名付けられた我が子が、自分たちすべてのために捧げられた「神の小羊」であることに気づかされ、余す生涯がそのことを証しするものになったのです。 ヨセフの生涯も、その長さこそ違え同じです。 居場所のなかった羊飼いたちも、異教の地にある東方の学者たちも、「布にくるまれた飼い葉桶に寝かされた赤ん坊」を見て拝み、もとの場所に戻って神の意志が働いていると伝えたのです。  そのために選ばれた一握りの人びとが、たた神の恵みだけによってその事実を知らされたのでした。 この時の宿屋の主人の姿を憶えます。 ひと組の家族だけにかまってはおれないほど、その夜は忙しかったのでしょう。 マリアとヨセフに泊まることを一度は断ったのでしょう。 しかし、身重のマリアに気づいた彼は「家畜小屋なら」と通したのです。 ところが、そのことで彼が予想もしなかったことが起きたのです。 人知れず、一人の赤ん坊が生まれた。 その生まれたての布にくるまれた赤ん坊を訪ねて、羊飼いたちが喜び勇んでやって来た。 東方の国からも学者たちが捧げものを携えてやって来て、その赤ん坊を拝んだ。 この不思議な家畜小屋の光景を、彼はどう受け止めたのでしょう。 それすらも気づかなかったのでしょうか。 ダビデの町、ベツレヘムに救い主がお生まれになるとは預言書ですでに語られ、先祖伝来伝えられていたことです。 ユダヤ人であるなら、ましてやベツレヘムの住人であるなら、彼はかねてより聞いていたはずです。 しかし、この世の権力者の引き起こすことに心を奪われてしまっていた。 語り継がれていたよき知らせの「しるし」に気づかなかった。 心に留めることもなかった。 彼の心のどこにも、救い主イエスを迎え入れる場所を用意していなかった。 無関心であった。 神に導かれたマリア、ヨセフ、羊飼い、学者の姿に、その「しるし」を見抜くことができなかったのです。 これこそ、私たちの姿です。 聖書は「彼らの泊まる場所はなかった」とは言いますが、「イエスのいる場所はなかった」とは言いません。 居場所のなかった彼らのいる場所こそ、そこにイエスは遣わされると最初のクリスマスは語っています。



バナー
バナー

お知らせ

過去の記事



〒010-0917
秋田市泉中央3−2−1
TEL/FAX 018-862-5357(教会)
TEL 018-863-4228(幼稚園)
牧師 村上悦二
協力牧師 渡部元