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「クリスマスの喜びと畏れ」 ルカによる福音書2章8~20節

2015-12-13

 福音書は、「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」と言います。 私たちの救い主イエスの誕生は、家畜小屋であった。 家畜の餌を入れるための飼い葉桶の中に、イエスは布にくるまれて寝かされていた。 そして、そのイエスの誕生が主の使いによって最初に告げられたのが、「野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたち」であった。 主の使いが羊飼いたちに近づいたその時、「主の栄光が、周りを照らした」と語ります。クリスマスは、突然の主の業でありました。 主の存在が、羊の群れの番をしていたところに、また飼い葉桶に寝かされているところにくっきりと輝いたと言うのです。 
 パウロは「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。」(コリント二4:6)と回想しています。 羊飼いたちは、飼い葉桶に寝かされた、「神は我々と共におられる、インマヌエルの主イエス」の御顔に輝く光を感じ取ったのでしょう。 「羊飼いたちは非常に恐れた」と書かれています。 神がいつもおられる、神の前に隠すことも逃げることもできないところ、そこには私たちの畏れがあります。 非常に恐れた羊飼いたちに、主の使いは「恐れるな」と言います。 この知らせは、喜びのためである。 それも民全体に与えられる大きな喜びを告げるためである。 「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。 この方こそ、主メシアである。」と、最初のクリスマスが告げられたのでした。 この福音が告げられた「今日」、神のみ心が成し遂げられた。 その救いの「しるし」が「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」であると言うのです。 この「神の小羊」という称号にふさわしい姿が、「家畜小屋の飼い葉桶に寝かされた赤ん坊」であると告げられたのです。 羊飼いたちは、ユダヤ社会からは枠外にあった人たちでした。 この世に居場所のなかった人たちと言えるでしょう。 また、イエスがお生まれになったところは、ベツレヘムという町、それも家畜小屋で人知れないこの世の片隅であったのです。 
 最初にこの喜びの知らせを聞いた羊飼いたちは、ただ聞くだけには留まりません。 彼らは、その知らせを最初に信じた人たちでもありました。 自分たちの救い主が、「家畜小屋の飼い葉桶に寝かされた赤ん坊」である。 「これがあなたがたへのしるしである」と言われて、だれが信じることができるでしょうか。 多くの人びとが待ち望んでいた救い主の姿とは真逆の姿、泣くだけしかできない、しゃべることも立ち上がることもできない力のない姿です。 しかし、彼らは、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」という主の使いたちの賛美を聞くことができた。主の使いが言った通りの赤ん坊の御顔に、「神の小羊」の姿を見出したのでしょう。 父なる神の愛に満たされて委ね切っている姿を見出したのです。 彼らは「ベツレヘムへ行こう。 主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか。」と、主の言葉を信じて動き出したのです。 住民登録でごった返すベツレヘムの家々の戸を叩きまわって、主の使いの言った通りの赤ん坊を見出したのです。 信仰の働きとしか言いようのない羊飼いたちの姿です。 最初に知らされて恐れた羊飼いたちは、最初に主の言葉を信じた人たちでもありました。 信じたから、捜し出して、見つけ出して、喜んだのです。 喜んだから神を賛美し、もとの自分たちの場に帰って行って、人々に最初に知らせたのです。 クリスマスの喜びは、こうして喜びに与かった人たちが用いられて、私たちのところにまで伝わったのです。 神は、このようなところにまでイエスを通して共にいてくださるのです。



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