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「十字架の旗のもとに」 マルコによる福音書1章16~20節

2015-05-03

 イスラエルの民がエジプトの奴隷の身から解放されて、荒野をさまよった時の群れは、壮年男子だけで60万人であったと言われています。 その家族を含めると、どれほどの多さであったかと思わされます。 そのおびただしい数のイスラエルの民が、モーセを先頭にして進んで行った。 その中には様々な部族が含まれ、それぞれの部族の旗のもとに宿営し、また部族ごとに、家族ごとに行進して行ったと記されています。 しかし、その群れも最初はアブラハムというひとつの家族から出発したのではないでしょうか。 「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしの示す地に行きなさい」と、主のみことばがアブラハムにかけられた時が始まりでした。 それに、アブラハムが主の言葉に従って旅立ったからではないでしょうか。 同じように、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたイエスによって、小さな群れが呼びかけられました。 漁師たちが網を打っている、網を手入れしている、あちらこちらに船が湖に浮かんでいる。 そのようなのどかな光景が拡がるその時に、4人の漁師たちが呼ばれました。 「わたしについて来なさい。 人間をとる漁師にしよう。」 すると、漁師たちは、「すぐに網を捨てた。 すぐにイエスに従った。 父や雇い人をそこに残して、イエスの後について行った。」と言うのです。 マルコによる福音書は、このわずかな5人の群れの誕生の出来事が、これから始まるイエスのガリラヤでの宣教の出発点であったと事実だけが語られているのです。 一人一人の漁師が名指しで招かれた。 「わたしの後について来なさい」という招きに、漁師たちはただ従った。 「人間をとる漁師にする」と語られた漁師たちが、自分の生活をそのまま残してイエスの後について行った。 驚くほどに、漁師たちの家庭や住まいや仕事などの事情については一切触れられることなく、ただイエスに従ったという決断の事実だけが語られているのです。 イエスはこれから始まる宣教の働きを証言する人、その働きを伝える証し人となる人を起こすために、その働きの最初に彼らを呼び集められたのでした。 イエスは、そのうちのひとりシモンに「ペトロ、岩」という新しい名前をつけ、このシモン・ペトロのうえに教会を建てると約束されました。 「終わりの日」まで、地上でのイエスご自身の働きのために「わたしの教会」を建てる。 このシモン・ペトロに代表される決断と信仰のうえに、イエス・キリストの教会が建つと言われたのでした。 最初は、4人の漁師だけであったかもしれない。 しかし、先頭を歩まれたのはイエス・キリストです。 その従い尽くしたその最後の場所が、思いもかけないイエス・キリストの処刑の場、十字架であったのです。 彼らは今までの服従に絶望し、十字架のもとを離れてしまった。 しかし、そこに父なる神はよみがえられたイエス・キリストを与え、復活の新しい命の姿を示し、遠大な救いのご計画であったことを彼らに知らせた。 あの最初の「人間をとる漁師にする」という招きは、この救いの働きの始まりであったと彼らに知らせたのでした。 私たちがもっているとばかり思っているものは、吹けば飛ぶような信仰です。 本当に軽すぎるくらいの決断です。 拙い信仰の告白です。 しかし、漁師たちの、また私たちのそのような信頼と決断を、主は憐れんでくださっている。 その憐れみをもって、私たちの信頼と決断の弱さ、乏しさ、醜さを補い覆ってくださっている。 ですから、私たちは自分たちの今の信仰や決断を大切にするのです。 互いの信仰に響き合い、声を合わせるのです。 4人の漁師たちにふさわしく、そのありふれた日常生活の中にまで入って来られて「人間をとる漁師になる」と呼びかけられたのです。 それと同じように、私たちにも最もふさわしく、ふさわしい仕方で十字架のもとへと招いてくださるのです。



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