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祈りなさい、愛し合いなさい、もてなし合いなさい ペトロの手紙一4章1~11節

2015-04-26

 「キリストも、罪のためにただ一度だけ苦しまれました。 正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。」と、ペトロはこの手紙で言っています。 正しい人が、なぜ正しくない者たちに代わって、苦しまなければならなかったのでしょうか。 ペトロはその問いに、「あなたがたを神のもとへ導くためです」と答えます。 罪をもったままの私たちが、神の前の裁きに置かれることがないようにするためです。 私たちが、罪の前にまったく無力であると分かっておられるからです。 正しくないすべての人たちが、この神の愛の対象であったと知らされたからには、もはやもとの古い生活には戻れないでしょう。 散々いろいろなことをしてきたのだから、「もうそれで十分です」とペトロは言います。 この罪にまみれた古い生活の中でキリストを知ったその後の生涯を、「肉における残りの生涯」と表現します。 その残された生涯を、「キリストは肉に苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい」と訴え、どのように生きていくのかを語ろうとします。 ペトロが「武装しなさい」とまで語って備えている戦いは、身近な日常生活の小さな戦いです。 些細なことと思われるそのことが、大きな分岐点となる。 「神の武具を身につけなさい。 信仰を盾として取りなさい。」と語るパウロと同じように、「キリストと同じ心構えで武装しなさい」と言うのです。 「神の御心に従って、罪とのかかわりを絶って」、武装しなさい。 たとえ人々から「不審に思われ、そしられること」があったとしても、恐れてはならない。 むしろ、私たちを不審に思い、そしる者こそ、「生きている者と死んだ者とを裁こうとしておられる方に、申し開きをしなければなりません。」とまで言います。 ですから、ペトロは、「万物の終りが迫っています。 だから、よく祈りなさい。 心を込めて愛し合いなさい。 不平を言わずもてなし合いなさい。」と言うのです。 救いが成し遂げられようとするその時にも、なぜ、なおも祈ることを言うのでしょうか。 私たちのこの地上の世界は、神が霊を通して働いておられる世界です。 神のみ心に適うご計画が、予てより言われた通りに霊によって着々と進んでいる世界です。 この霊の働きを求めることが、私たちの祈りです。 この祈り無くして進める業は、人間の業にすぎません。 いずれ、どこかで躓きます。 神は、この祈りを私たちに求めておられるのです。 更にペトロは、「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい」と勧めます。 なぜなら「愛は多くの罪を覆うからです」と言います。 罪が現れ出るところには、ほころびや争いが必ず生まれます。 憎しみや妬みも生まれるでしょう。 互いに傷つけ合うことも起きるでしょう。 しかし、「愛はすべてを覆う」と言うのです。 神の愛は、ほころびを修復する。 汚れや詰まりを取り除く。 バラバラであった交わりを整えていく。 キリストを通して、補い合い、組み合わし、結び合い、神の愛自らがつくり上げていく。 これは、神の約束です。(エフェソ4章16節) そのためには、気まぐれでなく、どのような時にも霊の働きを求めて祈る必要があります。 神の愛に覆っていただくためには、傷ついた私たちの手を、汚れた私たちの足を、バラバラになったからだを、恥ずかしがることなくみ前に差し出す必要があります。 そして、「不平を言わずにもてなし合いなさい」と言います。 そのために、「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっている。 その賜物を生かして互いに仕え合いなさい。 それは、神が栄光をお受けになるためです。」と締めくくっています。 神がお与えになった力に応じて、あなたがたは奉仕しなさい。 それは神が栄光をお受けになるためですと、聖書は語っています。    



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