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「神の家を建て上げる仕事」 コリントの信徒への手紙一 3章10~17節

2014-10-26

 パウロは、家の天幕づくりの職人として生計を立てていました。 伝道者としての自分の姿を、「熟練した建築家のように土台を据えました」と表現しています。 家の建築でもっとも大切なことは、土台を据えることである。 基礎を据えることである。 パウロは、コリントの地にイエス・キリストという土台を据えた。 教会は、この土台のうえに建て上げられると言ったのです。 パウロは、「キリストがわたしを通して働かれたこと以外は、あえて何も申しません。 ・・・・・わたしの言葉と行いを通して、また、しるしや奇跡の力、神の霊の力によって働かれました。」(ローマ15:18-19)とだけ言っています。 コリントの地で、キリストが働かれたのだ。 私の働きはキリストのものであって、私は用いられたにすぎない。 ですから、パウロは『神からいただいた恵みによって』、熟練した建築家のようにイエス・キリストという土台を、コリントの教会に据えることができたと確信したのです。 
 更に、パウロは、その土台のうえに建てる仕事について、いずれ問われると言います。 「だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、おのおのの仕事は明るみに出されます。」 それが、「終わりの日」には、火によって吟味されると言います。 どのような物を使って、またどのような仕事をして家を建てたとしても、最後の時には火の中を通って吟味される。 パウロは、このことを隠さないで、避けないで、単刀直入に語ります。 「見よ、主は火とともに来られる」と預言されている通りです。 神の裁きは必ずあります。 そのために、イエス・キリストの十字架の死を用意してくださったのです。 パウロが土台を据えたというのは、この最後の裁きから救われるために備えられた、イエス・キリストの十字架のことです。 「一人も滅びないで、永遠の命を得るために」ささげられた神の愛のことです。 パウロは、この火による厳しい最後の吟味のうえに建つことをためらいません。 なぜなら、同時に、一人も命を失わないで生きるようにと願う神の救いのみ心の上にも立っていると確信していたからです。 
 神のみ心に適うものだけが、生き残る。 私たちは、この神の最後の点検をだれ一人例外なく受けるのです。 土台であるイエス・キリストの十字架の愛によって、すべての者が見直されるのです。 私たちは、この土台に立つことを恐れてはなりません。 この土台は、十字架につけられたイエス・キリストの愛です。 この土台の上に建つものは、人間がつくろうとしてもつくり上げることができません。 土台そのものであるイエス・キリストだけがつくり上げるもの、土台からしか生まれてこないものです。 この土台のうえに、自分の好みによって建てるのではなく、『神からいただいた恵みによって、神のみこころ通りに、神の憐れみによって』建て上げられると、パウロは言っているのです。 パウロは、「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」と迫ります。 あなたがたは、神の神殿である。 いつでも神に出会うことのできる場を、既に神から与えられている。 神の霊が、あなたがたの内に住んでいる。 いつでも神を礼拝することができることが、私たちの最大の祝福なのです。 それが、神の神殿、神の霊がうちに住んでいるということです。 神が、私たちの内を出入りして、生きて、働いておられる。 ですから、神が、礼拝を通して私たちを求めて、招いておられるのです。 これに、私たちが応えているかということです。 「一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです」と、パウロは確信しています。



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