秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「ヘロデ王と学者たち」   マタイによる福音書 2章1~12節

2013-12-15

 クリスマスは一人の例外もなく、私たちの身に迫る出来事です。 「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」と言います。 ユダヤに君臨していたヘロデ王は、ユダヤ人ではありませんでした。 ユダヤ人でない者が、ユダヤの国で頭角を顕していったわけですから、才覚も、大胆さも、粘り強さもあったのでしょう。 ローマの威光を盾にして、自分の権力を築き上げてきた人物です。 苦労してやっと築き上げた「ユダヤ人の王」という称号だったのです。 ところが、異邦人たちも、ユダヤ人の王がお生まれになったと言う。 ユダヤ人たちも、ベツレヘムにユダヤ人の王が生まれることになっていると言う。 もしかして、「ユダヤ人の王と呼ばれる称号」が奪われてしまうかもしれない。 そう思ったヘロデがクリスマスにとった行動が、「ユダヤ人の王がお生まれになったと言う占星術の学者たちを、ひそかに呼び寄せる」ことでした。 その生まれた赤ちゃんを抹殺しようと企てたことでした。 いずれ失ってしまう筈の小さなことに囚われ続けるヘロデの姿でした。 
一方、星に示されながら拝むためにユダヤにまで駆けつけた学者たちがいます。 彼らの旅は、先立って導く星を頼りにした夜の旅でした。 足もとを見るのではなく、天を仰いで進んでいたことになります。 彼らは、自分のしなければならないことを故郷に残して、天を仰いで光の輝きが示すお方を求めて旅立ったということです。 これが、最初のクリスマスに、異邦人の学者たちがとった姿でした。 その星の輝きが止まったところが、彼らの終点でした。 どこに行くのか分からないで、自分を空しくして星の輝きに従った者だけが辿りつく所です。 彼らは、ベツレヘムに止まった星を見て喜びに溢れたと書かれています。 私たちの人生の旅と同じです。 今までもっていたものを捨てて始まった旅でした。 夜の手探りの旅でした。 足もとにつまづきながらも天を仰いで行く旅でした。 どこに連れて行かれるのか分からない神の声に導かれる旅でした。 行き着いた所が、思いもかけない馬小屋でした。 彼らは、この世でもっとも小さな弱い存在にひれ伏します。 この世で最も貧しい所で礼拝をささげます。 もっとも大切にしてきた宝の箱を、自ら開けて贈り物をささげます。 それまでの生き方そのものを、イエスの前に捧げたのかもしれない。 これから新しい生き方を始める旅であったのかもしれない。 イエスに出会い、礼拝して、再び、自分たちのもとの所へ帰って行ったのです。 彼らが自分を貧しくして旅立って足を運んで尋ねていって、「出会ったイエス」でした。 知っています、聞いたことがありますというイエスではありません。 様々な躓きや誘いを乗り越えて辿りついた、「神がともにあるというイエス」でした。 私たちは携え持っているもっとも大切なものをささげましょう。 自分に囚われ続ける生き方から、新しい生き方へと踏み出して、もとの所へ戻って背負い直しましょう。 最初のクリスマスが語るベツレヘムの星は、私たちの生活の中にあります。 



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