秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「ぶどう園に行きなさい」   マタイによる福音書20章1~16節  

2013-08-25

 ぶどうを摘み取る仕事は、とても緊急を要する仕事であったようです。 そのために、ぶどう園の主人は何度も広場に出向いて行って、働く労働者を求めました。 広場には、その日の生活の糧を得るために、働きを求めて人々が集まっていたのです。 イエスは、このようなありふれた暮らしを用いて、「神の国」を見事にたとえられたのです。 
このぶどう園の主人は、夜明けに出かけて行って、9時ごろ、12時ごろ、3時ごろ、5時ごろにも出かけて行きます。 その度に、何もしないで広場に立っている人々の姿が目に入ります。 「あなたたちもぶどう園に行きなさい。 ふさわしい賃金を払ってやろう。」と声をかけます。 一日の始まりから、日が暮れようとする一日の終わりにまで、ぶどう園の主人は働く労働者を求めるのです。 それだけではない。 一日の終りに、一日分の賃金である銀貨1デナリオンを等しく、それも最後に来た者から順番に払うと言うのです。 「神の国」とは、このようなぶどう園の主人と働く労働者との交わりのようなものであるとイエスは語るのです。 ぶどう園の主人は「神」です。 広場に立って仕事を求める者、ぶどう園に行って働く者は、「私たち」です。 神は朝早くから、自ら私たちのところに来られるのです。 一度だけでなく、何度もです。 神は、決してじっとしておられません。 「あなたたちも、ぶどう園に行きなさい」と何度も招くのです。 すべては、神が先ず働きかけてくださった恵みの業であるとイエスは語るのです。 どれだけ「私たち」が働いたとか、どのような報いであったとか、賃金が払われる順番は、この神の招きの前には大したことではないのです。 約束の1デナリオンをいただく資格のない「私たち」が呼びかけられ招かれて、それぞれに頂くのです。 信仰とは、この神の招きに応えて出かけて行って、ぶどう園で働くことです。 神は、この世のだれも雇おうとしない、「何もしないで広場に立っている」人々を求めておられるのです。 
もっと、多く賃金をもらえるだろうと思っていた、最初に雇われた人々がいます。 「まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、最後に来たこの連中とが、なぜ同じ扱いなのか。」と不平を言い出した人々です。 ぶどう園の主人は、この不平を言い出す人々も、また「だれも雇ってくれないのです」とつぶやく人々と同じように、すべての人を等しく喜んで迎え入れているのです。 それがどのような時であっても、等しく恵みを与えてくださっているのです。 このたとえを語っておられるイエスご自身が、これらすべての「私たち」のために、父なる神から遣わされたのです。 なぜこの順番なのか、なぜこの報いなのか、なぜ雇ってくれないのかとつぶやく「私たち」の傍らに、父なる神から遣わされた主イエス・キリストが立ってくださっているのです。 この恵みに感謝しつつ、ぶどう園に出かけて行って、「私たち」は、ともどもに主のために働くのです。



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