秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「キリストの愛に満たされて」 エフェソの信徒への手紙3章14~21節 

2022-09-25

 「こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。」と、三つの「祈り」を語っています。 「こういうわけで」とは、「以前は自分の過ちと罪のために死んでいた」、「この世を支配する者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいた」、「以前は肉の欲望の赴くままに行動していた、生まれながら神の怒りを受けるべき者であった」あなたがたが、今では「恵みにより、神の賜物により、信仰によって救われた。」、「罪のために死んでいたのに、キリストと共に復活され神の子とされた。」、「神の家族になった。」 同時に、「聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるパウロに、このキリストの福音を告げ知らせる、説き明かす務めが与えられた」という奇跡とも言うべき事実を示しています。 当時は立って祈ることが普通であったことから、パウロの祈りの姿は神の前にうなだれ信頼している姿、神の恵みの豊かさに驚き、圧倒され、感謝する姿に映ります。 当時はほんのわずかであったキリスト者の小さな群れに、「御父から天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。 前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によって、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。」と、未だ見えていないことを先取りし、確信し、大胆に祈っているのです。 最初の祈りは、「神の満ちあふれる豊かさから注がれる神の霊により、神の力により、また、あなたがたの信仰により、あなたがたの心の内にキリストを住まわせるように」 「キリストの愛に根ざし、キリストの愛にしっかりと立つ者としてくださるように」という祈りでした。 私たちが先ず備えなければならない場所は外にあるのではなく、私たち自身の心の内だと言うのです。 「内なる人」が「外なる人」を支配している。 もしそこに、「キリストを迎え入れる」なら、奇跡とも言える出来事が起こされる。 私たちに先立って働く神の満ちあふれる豊かさから注がれる神の霊、神の力を受け取っていくだけで、この世で働いておられるイエス・キリストと出会うことになる。 その出会いは、苦しく受け入れ難い悲しい出来事であるかもしれない。 その出会いこそが、私たちの弱さ、醜さ、底浅さを嫌というほど知らせる。 神の満ちあふれる豊かさに触れることになるのです。 それが自分のために先立って働いてくださったキリストの愛であったと気づかされる。 とてつもない愛に圧倒される時がくる。 だから、すべての人の心の内にキリストを迎え入れるようにとパウロは祈るのです。 第二の祈りは、「すべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに越えるこの愛を知るように」と祈ります。 キリストの愛に捕らえられ、迫られ、気づかされ、圧倒される。 その愛の広さとは、すべてを包み込む人の知識をはるかに越えたもので、この世の力に縛られている私たちを解放する限りない広さです。 その愛の長さとは、種を蒔いて刈り取るまで待つという忍耐を語っているのでしょう。 その愛の高さや深さも、十字架刑というどん底から神のもとへという隔たりを悟り、私たちの本当の姿を知れば知るほどこの愛のあまりの高さ、深さを感じるのです。 「キリスト・イエスの愛によって、教会によってすべてのキリスト者とともに築かれますように。」と祈りを結んでいます。 神の豊かさは尽きることのないものです。 私たちがキリストの愛によって愛することを喜ぶ生涯、キリストの愛によって愛されていることを喜ぶ生涯、与えられる豊かさに目を向けるのではなく、豊かさを注いでくださる神ご自身、キリストの愛に信頼を置いて、神が働いてくださるのを待つようにとひざまずいてパウロは祈っているのです。 



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