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「ペトロの確信」 使徒言行録4章1~14節

2019-10-20

ペトロは、「サドカイ派の人々、祭司の人たち」が秩序を堅く守っているその神殿の境内で、断りもなく、「あなたがたが見て知っている、この男の生まれながら不自由な足が癒されたことも、また、あなたがたが十字架に架けて殺したナザレの人イエスを死者の中から復活させたことも、あなたがたの神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神のなされたことである。 これらみな、悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためである。」と語ったというのです。 人間の理性によってしか測ることのできない彼らにとって「死者の復活」、ましてやナザレの人イエスの復活」までも、神殿の境内で堂々と語っている姿は、耐えられないものでした。 それだけでなく、「そのイエスを十字架に架けて殺したのはあなたがたの責任である。 その責任を神が逆転させ、自らその責めを引き取って、あなたがたが殺したイエスを神が復活させた。」と言い切ったのでした。 そう語るペトロたちに、五千人もの人が従っている。 彼らが最も恐れている神殿の秩序の破壊、この恐れに押し出されてサドカイ派の人々がペトロとヨハネを捕らえて牢に入れたのです。 
 更にその翌日には、「議員、長老、律法学者たち」が集まって、このふたりに尋問したと言います。 当時の社会では、最高の権威をもつ議会のメンバーの尋問です。 「お前たちは何の権威によって、まただれの名によって、生まれながら足の不自由な男を癒したのか。」という尋問です。 自分たちが築き、維持してきた権威と秩序を守るために、危険と思われる存在をつぶしにかかる。 この世の働きに対するペトロの返答です。 「この生まれつき足の不自由な男がこんなに良くなって、皆さんの前に喜んで立っているのは、あなたがたが十字架に架けて殺したナザレの人イエス・キリストの名によるものです。 神が死者の中から復活させられたあのイエス・キリストによるものである。」と、一向に動じないで答えたのです。 ついには、「ほかの誰によっても、救いは得られません。 わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほかに、人間には与えられていないのです。」と語ったと言います。 ペトロはただ、自分が体験してきた「救いの事実」だけを語っているのです。 足の不自由な男もそうです。 イエスの名によって立ち上がることができるようになった体験の証しを語っているだけです。 ペトロもこの男も、自分の身に起こった救いの体験の信仰告白なのです。 そのことを堂々とした大胆な話しぶりで語ることができるようになっていたのです。 この男があるいはペトロが何かを学んで、理解をして、何か力をもったから語っているのではないでしょう。 自分の弱さを見つめ直されてやっと、自分が辿らなければならない十字架への死、永遠の死を代わりに引き受けてくださって、復活の道、救いの道を備えてくださったイエスに出会うことができたからです。 この十字架に自ら架け上がってくださったイエスに結ばれたからです。 このイエスに身を委ねるしか道が残されていなかったからです。 これこそ、聖霊の働きです。 この神からの賜物を全身に注がれて初めてできることです。 ペトロたちは、もうすでに「このお方以外に救いはない。 神の前だけに生きている。」という確信に生きていたのでしょう。 なぜなら、聖霊に満たされているからです。 復活されたイエス・キリストとともにあるからです。どんなにこの世の権威をもっている人の前でも臆することはなかったのです。 イエス・キリストが天に上げられるその直前に「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。 地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」と言われた通りの姿に、ペトロたちは変えられていたのです。  



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