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「立ち帰れという神の御心」 使徒言行録17章22~31節

2019-04-07

 パウロは、アカイア州の古い町であるアテネにたどり着いたようです。 そこで、シラスとテモテを待っていたと記されています。 本来、宣教の予定もなかった場所であるように思います。 しかし、二人を待っていただけのパウロがアテネの町を巡り始めると、その町の至る所に偶像があることに気づかされました。 アテネの町には、三千にも及ぶ偶像が建てられていたと言います。 それらを芸術作品としてだけで見るなら、観光客のように喜び感動したかもしれません。 しかし、パウロは「憤慨した」とあります。 パウロは居ても立ってもおれなかったのでしょう。 毎日、アテネの人々と論じ合っていたと言います。 アカイア州の中心都市はコリントでしたが、アテネはその文化と思想の中心地でした。 アテネの人々は教養もあり、気位も高く、自分たちを特別な存在と考えていたようです。 そのようなところで、パウロの宣教が思いがけなく始まったのです。 偶像に溢れた世界で、福音を孤独に語るキリスト者の原型がそこにあるように感じます。 パウロが語ることについて、アテネの人たちは、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか。 外国の神々の宣伝をする者らしい。」というぐらいにしか受け取っていなかったのです。 嘲笑の的でしかなかったのです。 ただ物珍しさだけでパウロの話を聞いていたのです。 そこで語られた説教が、今日の「アレオパゴスにおけるパウロの説教」です。
 「あなたがたが知らずに拝んでいる神をお知らせしましょう。 この神は、世界とその中の万物とを造られた神です。 だから、人間の手でつくったような神殿に閉じ込められるようなお方ではありません。 また、人間に助けてもらわなければならないような存在でもありません。すべての人間に、命と息と必要なるものすべてを与えることができるお方です。」と堂々と語り出したのです。 更に、「その神は、一人の人アダムから、すべての民族を造り出したお方です。 このお方を求めて行けば、唯一の神を見つけ出すことができるはずです。 人間が自分の願い通りのものを叶えてくれるだけの神を期待するなら、この真の神にたどり着くことはできないでしょう。 この神は、私たち人間を地上の至るところに住まわせて、すべてを支配しておられるお方です。 ですから、すべての人間はいつでも、どこでも、だれでも、この神を求めれば見出すことができるのです。 その神は、私たちのそば近くに伴ってくださっているのです。」と、アテネの人たちがよく知っていた二人の詩人の詩を引用して訴えたのです。 神の方から、至る所でご自身を私たちに顕して、「立ち帰れ」と取り戻そうとしてくださっているのに、私たちはこの神の前から隠れてしまうのです。 そのような私たちを取り戻すこと、これが真の神の御心だと、ほとんど受け入れることがないだろうと思われるアテネの人たちの前でパウロは訴えたのです。 この神は、99匹の羊をそこにおいてでも、迷う1匹の羊を追いかけられるお方です。 亡くした一枚の銀貨を見つけ出すまで探し求められるお方です。 失われた放蕩息子が戻って来たなら喜んで迎え入れるお方です。 パウロはこの説教の締めくくりに、「今まではこのような無知の時代、偶像崇拝という無知を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じられています。」と言うのです。 それは、「イエス・キリストによってこの世を正しく裁く日をお決めになったからです。 死者の中からイエス・キリストを復活させて、その裁きと救いがあることの確証をお与えになったからです。」 これは、この神から与えられるまったく無代価の一方的な恵みです。 この恵みを受け取るのか、拒むのか、その決断が私たちに迫られているのですと、パウロはアテネの人たちの前で語ったのです。



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