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「わたしの契約」 創世記17章1~8節

2018-03-11

 「わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める。 祝福の源となるように。 あなたは生まれ故郷を離れて わたしが示す地に行きなさい。」とアブラハムが命じられたのが75歳のときでした。 「あなたの子孫に、約束の地を与える」という神の祝福が約束されていたのに、未だかつて一向に果たされない。 「主なる神よ、いったい、いつあなたはあの約束を果たしてくださるのでしょう。」と叫びたくなるアブラハムであったでしょう。 妻サラの申し出にのってしまって、神の祝福を信じて待つことなく、別の女性によってイシュマエルという子どもをもうけてしまった。 神の祝福を疑い、自分たちの知恵に頼ってしまい、自らが願う祝福を自分たちだけで造り出してしまうという、不信仰による過ちを神の前に犯してしまったのです。 それが、アブラハム86歳の時です。 それから13年経っても、約束された祝福が何も叶えられていないそのような時に、アブラハムが神に再び呼びかけられたのが今日の聖書箇所です。 
「アブラハムが99歳になったととき、主はアブラハムに現れて言われた。」のです。 「わたしは全能の神である。 あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」 「全能の神」という言葉は、破壊する、力をもつという意味の言葉が使われています。 ないものを造り出す、あるものを破壊して自らのみ心に従って再び造り上げる。 わたしは力である。 全能であるとアブラハムに向かって言われたのです。 だから、「あなたはわたしに従って歩みなさい」と言われた。 それだけではない。 「あなたは全き者となりなさい。」と言われたのです。 失敗しない、完全無欠の人になりなさいということではないでしょう。 「ノアは神に従う無垢な人であった。 ノアは神と共に歩んだ。 ノアはその時代にあって全き人であった」と言われていることと同じ意味でしょう。 アブラハムが、神の約束された祝福を待ち切れずに、自分たちだけで祝福を造り上げようとしたことも神はすべてご存じです。 自分の力だけでは、「全き者」、神を信じ切って神の言葉に従い続ける者となることはできません。 全能の神に出会って、語りかけられて、注がれる霊によって初めて、神の言葉に生きることができるようになるのです。 
 更に神は、「わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立てる。」と一方的に言われました。 神は、この契約は「わたしの契約」である。 わたしが計画を立て、その計画を持ち続け、もっともふさわしい時に、わたし自らが成し遂げる「わたしの業」であると言うのです。 ですから、神の一方的な祝福なのです。 「恵み」と言われるものなのです。 アブラハムというひとりの人物に与えられた、期限のない永遠の契約です。 必ず、神ご自身が自らに誓って、成し遂げてくださる確かな契約です。 これはアブラハムだけに与えられた特別の祝福でしょうか。 この永遠の祝福に、私たちも連なっていると聖書は語っているのです。 私たちが諦めて、見ようともしないで、期待しないで、受け止めていない祝福があるのです。 神の祝福を侮っても、軽くみてもならないのです。 私たちにとって、「あなたの子孫」とは何でしょうか。 「永久の所有地」とは何でしょうか。 100歳と90歳の夫婦が、それぞれに新しい名前を与えられて、整えられ、変えられていったのです。 二人には、「祝福の源になる」という務めが与えられたのです。 「祝福の源」となるようにと、何でもおできになる神が年老いた二人に祝福を与えてくださったのです。 私たちにも同じ務めがあります。 私たちに連なる人たちが、この確かな神の祝福に与かるため、神との特別の関係となるためです。 そのために、私たちは救い出され、祝福を豊かに与えられているのです。 ですから、「わたしの契約」という神の祝福に、私たちは大いに期待するのです。



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