「わたしを食べる者」 ヨハネによる福音書6章52~58節
五千人の群衆を少年がもっていたわずか五つのパンと二匹の魚で養ったという奇跡を目の当たりにしたユダヤ人たちは、イエスを探し求めて押し寄せて来たのです。 この時に交わされたイエスとユダヤ人たちとの対話が、4回の「はっきり言っておく」というイエスの言葉をもって交わされています。 パンを食べてお腹が満たされたユダヤ人に対する最初の「はっきり言っておく」です。 「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならない食べ物のために働きなさい。」と言います。 物としてではなく、永遠の命に至る食べ物を求めなさいと言われたのです。 ユダヤ人たちにとって、「永遠の命を得る」ということは生きる目的でした。 イエスのその言葉にすかさず、「そのためには何をしたらよいでしょうか」と尋ね、イエスは「神がお遣わしになった者を信じることである。 それが神の業をすることになる。」と答えるのです。 「それでは、あなたを信じることができるように、あなたはどんなしるしをわたしたちに示してくださるのですか。」と、モーセが起こした昔の出来事と同じ奇跡を、今の自分たちにも示してほしいと迫るのです。 イエスは二回目の「はっきり言っておく」と言われて、「モーセが天からのパンを与えたのではない。 わたしの父である神が天からのまことのパンをお与えになる。 わたしが天から降ってきた命のパンである。 永遠の命に至る食べ物とはわたし自身である。」と答えたのです。 これを聞いたユダヤ人たちは、「イエスはヨセフの息子ではないか。 どうして天から降って来たなどと言うのか。」と呟き始めます。 三度目の「はっきり言っておく」です。 「このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。 わたしが与えるパンとは、わたしの肉のことである。」 この不思議なイエスの言葉に激しく詰め寄ったユダヤ人たちに対して四回目の「はっきり言っておく」という言葉とともに、締めくくりとして語られた言葉が、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。 わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物である。」という言葉であったのです。
イエスの生涯全体を通して語ることのできる私たちであるなら、字句通りに捉えるのではなく、十字架で裂かれたご自身の肉と流された血を、赦しの恵みとして感謝して受け取ることであると言えるでしょう。 しかし、自分の腹を満たすパンを求め、自分が信じることができるよう「しるし」を求め、何をしたら手っ取り早く永遠の命が手に入るのかと迫るユダヤ人たちには、イエスのこの言葉を受け取ることは難しいでしょう。 イエスは嘆きをもって、憐れみをもって、「そのままでは、あなたがたの内に命はない。 その命の源である神との関係は、生きた関係とはならない。」と執り成して祈っているかのように響いてきます。 このように否定的に語られたうえでイエスは、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたその人のうちにいる。」と言葉を変えて言われる。 「わたしが父なる神によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。」ようになると言われる。 「食べてなくなるようなものではなく、天から降ってきたパンを食べるなら永遠に生きる。」と言われているのです。 イエスは、越えることのできない神と人との間にある溝について厳粛にこの否定的な言葉で宣言されたのです。 そのうえで、起こり得ないはずのことが起こされた。 神と人との溝を打ち壊す救いの出来事が起こされた。 イエスのうちに留まること、イエスがその人のうちに宿ることが赦されるようになる。 イエスが神に生かされているように、その人もまたイエスによって生きるようになる。 そのことが、イエスと同じ命に生きるものに変えられる約束の言葉として語られたのです。
「心が燃えたイエスとの出会い」 ルカによる福音書24章28~35節
「一行は目指す村に近づいた。」とあります。 「一行」とは二人の弟子とイエスです。 「目指す村」とはエルサレムから歩いて3時間ぐらいの距離のところにあるエマオという村です。 二人の弟子は「イエスは行いにも言葉にも力のあるお方でした。 この方に望みを抱いていました。」と回想しているように、自分たちを解放してくださるお方であると希望をもち、エルサレムのイエスのもとにエマオから出かけて行ったのでしょう。 そこで、予想だにしなかったイエスの十字架の死に出くわしたのです。 「二人は暗い顔をして、エルサレムで起きたイエスの十字架の出来事を話し合い論じ合っていた。」と言います。 そこにイエスが旅人の姿をとって近づいて来て、一緒に歩き始められた。 歩きながら、やり取りしているその話は何のことですかと語りかけられたと言います。 二人は失望し、戸惑い、混乱している様子をありのままにこの旅人に答えるのです。 「自分たちを解放してくださるお方と期待していたナザレの人イエスが、祭司長たちによって十字架で殺されてしまった。 そのことがあってもう今日で三日が経った。 しかし、『そのイエスの遺体が墓の中にない。 イエスは生きておられると神の使いによって告げられた』と、仲間である婦人たちが知らせてくれたのです。 仲間の者が急いで墓へ駆けつけて見たけれど、婦人たちの言った通りであったと言うのです。 いったい、これはどういうことなのかと考えあぐねている。」と答えたのです。 二人の弟子は、起こされた出来事の過去に縛られて、今も「生きておられる」という常識では信じることのできない神のみ言葉に向きを変えようとしませんでした。 心が閉ざされて、共に歩きながら語り合っている旅人が墓の中からよみがえられた復活のイエスであることを見抜くことができなかったのです。
失望し、戸惑い、混乱してエルサレムから戻って来た二人にイエスは、「預言者たちが語っていたメシアとは、このような苦しみを受けて神の栄光に与るはずだったのではないか」と、歩きながら聖書全体にわたりご自身について書かれていることを説明されたと言います。 この旅人の話に、二人はかすかな光と希望を見い出したのでしょう。 先を急いでいる旅人に、「一緒にお泊りください」と無理に引き止めたと言います。 二人の求めに応じてイエスはその家に入られて、その家の主人に替わって「パンをとり、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」その時です。 「二人の目が開け、イエスだと分かった」と言います。 すると、イエスの姿は見えなくなったけれども、「そのイエスが共に歩いてくださった。 話しかけて尋ねてくださった。 聖書の説き明かしまでしてくださった。 その時、わたしたちの心は燃えた。」と二人は告白しているのです。 イエスとの出会いを体験していなければ分からないとしか言いようのない出来事です。 イエスが選んで共に歩いてくださって、呼びかけて説き明かしまでしてくださって、食卓をともにして祝福してくださったから分かった出来事です。 二人の弟子が、イエスを自分で探し出したのではありません。 どうして選ばれたのかも分からず、吸い込まれるようにイエスに引き込まれて、常識や理性では到底信じることができないようなこと、死んだ者が生き返って生きているという姿を目の当たりにさせられたのです。 二人はこの心の高まりを携えて、その日のうちに夜にも拘わらず、今戻って来た道をとって帰りエルサレムに戻ったと言います。 心が燃えてじっとしておれなかったのでしょう。 エルサレムに戻ってみると、そこでも「本当にイエスは復活して現れた」という証言が飛び交っていたのです。 悲しみで始まった旅立ちが、今や喜びと賛美に変わる新しい旅立ちに変えられたのです。 この今もなお生きておられるイエスは、何度も繰り返し私たちにも出会ってくださるのです。
「染みわたる神の熱い関心」 マタイによる福音書21章33~46節
この「ぶどう園と農夫」のたとえは、イエスの言葉尻を捉えて、訴える口実を見つけ出そうと狙っている祭司長たちに向けてイエスが語られたたとえです。 4人の登場人物がいます。 「ぶどう園を造ったある家の主人」、「その主人に仕える僕たち」、「主人からぶどう園を借りた農夫たち」、「主人の息子」です。 イスラエルの生活ではごく身近にあった「ぶどう園」、そのぶどう園を借りて収穫することを生業とする「農夫たち」は、イスラエルの民のごく普通の姿であったのです。 ぶどう園の主人は収穫の時が近づいた時、収穫を受け取るために僕たちを農夫たちのところに送ったのです。 ところが農夫たちは反抗を繰り返し、袋叩きに石で打ち殺したと言います。 最後に、自分の息子なら敬ってくれるだろうと主人に送られた息子もまた、ぶどう園の外にほうり出して殺したと言います。 イエスの十字架の死を知る私たちは、ぶどう園の主人は父なる神である、送られた息子はイエスご自身である、主人が遣わした僕たちは神がお遣わしになった預言者たちであると知っています。 この預言者たちの命も、神の子として遣わされたイエスの命も奪ったのは農夫たちである。 その農夫たちこそ、イスラエルの民を導くはずの祭司長たちあなたがたであると、イエスはこの「たとえ」によってその姿を浮かび上がらせていることがよく分かります。
問題は、この「たとえ」の直後に語られた、「さて、ぶどう園の主人が帰ってきたら、この農夫たちをどうするだろうか。」と祭司長たちに尋ねていることです。 予想された通り、「悪いのはこの農夫たちである。 主人はきっとひどい目に遭わせる。」と答えた祭司長たちに、「あなたがたは『家を建てる時に役に立たないと捨てられた石が、その家の中心となる礎の石となった。 これこそ、神がなさった驚くべき業である。 わたしたちの目には、不思議に見えることである。』(詩編118編22-23)と聖書に書いてあるのを読んだことがないのか。」と言われたことです。 祭司長たちが答えたように、農夫たちが責められるのは常識的な判断でしょう。 しかし、イエスは反論します。 常識を超えて働く、「わたしたちの目には不思議に見える」神の業がある。 聖書には、「捨てられた石が礎となる親石になる」と神の奇跡の業が語られている。 聖書に精通しているあなたがたこそ、この神の業に気づかなければならない。 罪に定められて当然と裁かれる因果応報の常識では測ることのできない、神の憐れみによって救い出される神の業がある。 いかなる人に対しても戻ってきなさいと、招いておられる神の業が聖書には書いてある。 過ちを犯している、自分の姿がまるで見えていない農夫たちにも、すべての人に対して熱い関心をもっておられる神の眼差しは注がれていると言われているのです。
イエスを十字架に架けて、殺して、自分の正しさを押し通したのは祭司長たち、すべてのイスラエルの民、そして私たちすべての人間です。 イエスは、父なる神が託してくださった「ぶどう園」を横領して、自分を主人の立場につけようとした怖れを知らないすべての人間によって殺されたのです。 そのイエスを、父なる神はご愛とご真実によって、「わたしたちの目には不思議に見える」神のみ業、み心によって「捨てられた石を親石に据えて」ひっくり返されたのです。 この神が注いでおられる熱い眼差しは、私たちが判断するものさしによって、その正しさによって左右されるものではありません。 神はすべての人を裁くことも、救い出すことも、新たに命を造り出すこともおできになるお方です。 私たちは託された「農夫」に過ぎません。 主人に取って替わることのできない者です。 この熱い神の眼差しによって、悲しみの極みが喜びの極みに逆転された出来事がイエス・キリストの十字架と復活です。
「聞かれる祈り」 ヘブライ人への手紙5章5~10節
この手紙の中に、「大祭司はすべての人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。」とあります。 「祭司」とは、神の側に立つ「預言者」とは異なり人々の過ちを理解し、その過ちを神に執り成す務めを果たす人間の側に立つ者です。 自分自身の弱さを身にまとい、人々と同じように弱さのゆえに犯した過ちを贖っていただくために、神に贖いの犠牲をささげる人間の側の代表者です。 この手紙では、「この光栄ある任務を、だれも自分で得るのではなく、神から召されて受けるのです。 大祭司は、自分自身の弱さのゆえに、民だけでなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げなければなりません。」とあります。 イエスもまた同じように、ご自分で「大祭司」になったのではなく、神からその務めが与えられたのだと言うのです。 その理由は、「肉において生きてくださった」からである。 「激しい叫び声をあげ、涙を流しながらご自分を死から救う力のあるお方に祈りと願いをささげられた」からであると言います。 そして、「神の子でありながら多くの苦しみによって従順を学ばれた」からである。 自分のためではなく、人間の弱さと苦しみを背負って歩まれた「その態度のゆえに祈りと願いが聞き入れられた」からである。 人間から始まって人間に終わって神のもとに立ち帰る、神に属する者という「完全な者」となられたので、すべての人々に対して、永遠の救いの源となったと言うのです。
イエスは、私たちと同じ肉体という制限を神の子でありながら背負われたお方です。 肉による壁によって神のみ心を感じ取ることのできないところにまで、降りてきてくださったのです。 激しい叫び声をあげ涙を流しながら、ご自分を死から救う力のあるお方に祈りと願いをささげなければならないところに置かれてしまった。 激しい心の動揺も経験して、怒りや苦しみや悲しみに、私たちと同じ感情に覆われてしまったのです。 十字架の処刑直前のイエスの「ゲッセマネの祈り」にその姿が顕れています。 「わたしは死ぬばかりに悲しい。 地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈った。」と言います。 「父よ、あなたは何でもおできになります。 この杯をわたしから取りのけてください。 しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」と、「苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた」のです。 イエスのこの激しい祈りは、最終的に神に聞き入れられませんでしたが、ヘブライ人への手紙はどうして、「イエスのささげた祈りと願いは、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました」と言うのでしょうか。 神の子であるイエスは神の子でありながら、父なる神を見えなくする、父なる神のみ声を聞こえなくする人間の制約を理由もなく原因もなく背負わされたのです。 人間と同じように死んでいく生涯、神に見捨てられるという霊的な死を理由なく原因など認められず味わなければならなかった。 「わたしは死ぬばかりに悲しい。 この苦しみの時が自分から過ぎ去るように、この杯をわたしから取りのけてください。」と嘆願しつつ、それでも、「わたしの願いではなく御心のままに」と、人間の悲惨な極みを経験してくださったのです。 理由なき、原因なき仕打ちを、父なる神への祈りによって私たちの過ちの理由も原因も弱さもすべて抱えてくださったのです。 このことに気づかされた時、私たちに不思議な力が湧いてきませんか。 実態は何も変わらずとも、このお方が知り尽くしてくださっていると気づかされたなら、新しい力が湧いてきませんか。 このお方との出会いによってしか得られない新しい命に満たされた時、何とも言えない喜びに包まれ、祈りが聞き入れられたと不思議な実感があるのではないでしょうか。
「モーセの静かなる断念」 民数記20章1~13節
モーセは、ユダヤ人でありながら、赤ちゃんの時に拾われてエジプトの王宮で養い育てられた人物でした。 自分がユダヤ人であることを知らされたモーセは、同胞のユダヤ人がエジプト人の支配によって重労働に服していることに我慢がならなかったのです。 ひとりのユダヤ人がエジプトの監督者に傷つけられているのを目撃したモーセは、思い余ってそのエジプト人を殺害してしまった。 正義感の強かったモーセは、自分の正しさによって過ちを正そうとした。 しかし、モーセの引き起こした事件は、エジプトの法に従うしかなかったのです。 モーセはその発覚を恐れて荒れ野に身を隠すしかなく、諦めと無力さを背負いながら羊飼いの働きをしていたのです。 そこに、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。 それゆえ、わたしは降って行き、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地へ彼らを導き上る。 今、行きなさい。 わたしはあなたを遣わす。 わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」と神のお声がかかったのです。 エジプトから命からがら逃げてきたモーセは神にしり込みします。 「わたしは何者でしょう。 どうして、イスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。 果たして、人々がこのわたしに従うでしょうか。 彼らに何と答えるべきでしょうか。」 当然のように質問したモーセに神は、「わたしは必ずあなたと共にいる。 このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。 わたしはあってあるという者だ。 そのわたしがモーセあなたをつかわすのだと言うがよい。」と短く答えられたのでした。
諦めと無力感に苛まれながら歩む日々のモーセがこの時初めて、赤ちゃんの時に拾われて養い育てられたエジプトこそ、神の大きなご計画の場所であったことに気づかされたのです。 その時の神の約束が、「わたしは必ずあなたと共にいる。 それが、わたしがあなたを遣わすしるしである。」という言葉であったのです。 今朝の聖書箇所は、そのエジプトから大群衆を引き連れてもうすでに40年近く経った頃のことです。 「なぜ、こんな荒れ野に主の会衆を引き入れたのです。」と、不満、愚痴を繰り返す人々を忍耐強く導いてきたモーセです。 飲ませる水もなかった荒れ野でも、岩から水を出し人々と家畜に水を飲ませて養ったモーセです。 そのモーセに神は、この会衆と一緒に約束の地に入って行くことを拒絶されたのです。 人生の最終目的とまで思わされていた約束の地に入って行くことを、その地を目前にしてモーセはその願いを拒まれたのです。 それでも、この神の拒絶をモーセは受け容れて、自分が思い描いた目的の実現を断念しているのです。 モーセの人生の最後に神は、「これがわたしが誓った土地である。 わたしは、あなたがそれを自分の目で見るようにした。 しかし、あなたはそこに渡って行くことはできない。」と言います。 モーセはその地に入ることを神から拒絶されても、その死を前にしてもなお、神との間に安らぎと交わりを保つことができたのはなぜでしょうか。 「わたしは必ずあなたと共にいる。 それが、わたしがあなたを遣わすしるしである。」と言われた神の熱い眼差しでしょう。 この熱い視線を受けて歩むことのできた、喜びの人生体験でしょう。 神の決断とみ心は不可解のままであったとしても、この約束の体験が、モーセの確信を揺るがすことなく神への信頼を失わせなかったのでしょう。 この神の拒絶がなければ、願いや祈りが叶えられる都合のよい神に信頼していたとしても分からなかったかもしれません。 私たちの最初から最後まで熱い視線をもって捉えてくださっている神の側の確かさだけに、この新しい一年もまた委ねて信頼して共に歩んで参りたいと願います。
「母マリアの目から見たイエス」ルカによる福音書2章41~52節
少年イエスは、いつも両親と一緒にいたのでしょう。 両親は、故郷ナザレに戻る帰路の途中、てっきり息子イエスが集団の中にいるものとばかり思っていた。 確認もしないでおよそ一日の歩く距離を歩み終えて初めて、両親は少年イエスがいないことに気づいたのです。 あちこち捜し回ったけれども見つからなかったので、元のエルサレムの都に引き返すはめになってしまった。 そこで両親が見つけた少年イエスの姿が、「神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられる」姿であったのです。 「聞いている人は皆、この少年イエスの賢い受け応えに驚いていた」と言います。 ルカは飼い葉桶の中の赤ちゃんの姿から、成人になる直前の少年イエスになるまでの姿を、「たくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。 知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」と繰り返し表現しています。 肉体においても、人格においても、神を感じ取る霊性においても成長し、本当の人間になってくださったと記しているのです。 母マリアにとっては、エルサレム神殿での息子イエスの姿は衝撃であったでしょう。 更に衝撃的であったことは、母マリアに対し発した息子イエスの言葉であったのです。
息子イエスをやっとの思いで見つけ出した母マリアは、当然のように言います。 「なぜこんなことをしてくれたのです。 御覧なさい。 お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」 これに対する息子イエスの発言が、「どうしてわたしを捜したのですか。 わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」というものでした。 叱っているマリアの言う「お父さん」とは、父ヨセフのことです。 しかし、イエスの言う「自分の父」とは、霊の世界の父なる神のことです。 両親が、このイエスの語る言葉の意味が分からなかったのは当然です。 母マリアはこの言葉を受け止められず、ただ「これらのことをすべて心に、ずっと納めていた。」とだけ記されています。 この衝撃的なエルサレム神殿での出来事が起こった後、割り切れない思いで心の中が覆われていた母マリアをしり目に、イエスはこの両親と一緒に何事もなかったかのようにエルサレムから故郷ナザレに戻って行ったのです。 もとのまま、両親に仕えてお暮しになったと言います。 イエスは十代の時に、父ヨセフを亡くしたようです。 木工職人であった父ヨセフの後を継いで、イエスは大工仕事をして家計を支えていたのでしょう。 何の変哲もない普通の人として30歳になるまで、両親に仕え、家庭に仕え、地域に仕えたイエスでした。 人の子として本当の人間になってくださって、たとえ血のつながった家族に理解されない悲しみがあったとしても、いよいよ神の子として故郷ナザレを出て行かなければならない。 神の国の福音を告げ知らせ、飲み干さなければならない苦い杯を飲むために、家族や家庭や故郷を捨てなければならない。 このことをすでにわずか12歳の時に自覚し、母マリアに懸命に伝えた言葉が、「どうしてわたしを捜したのですか。 父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか。」という発言であったのです。 母マリアは、イエスが赤ちゃんの時から十字架の上でうなだれて息を引き取るまでずっと見ていたのです。 傷跡を残したままよみがえられた新しい命に生きるイエスを、「心の中にずっと納めていた」のは母マリアでした。 マリアは人の子でありながら、神の子として生きる息子イエスの苦しみ、喜びを事実として見届けた最初の証人です。 その証言をルカは、誕生物語と少年イエスの神殿での出来事を母マリアを通して語っているのです。 私たちもまた、イエスを心の内に迎え入れる戸惑い、苦しみがあるのかもしれません。 しかし、マリアが受け止めたように、このお方を喜んで感謝して受け容れるなら本当の安らぎと確信が沸き起こるのです。
「わたしたちの平和としてのキリスト」エフェソの信徒への手紙2章14~22節
パウロは、「実に、キリストはわたしたちの平和であります。 二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。 こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」と言い切っています。 ユダヤ人と異邦人との和解を前提として、キリストによる平和がもうすでにここで起こされた。 「敵という隔ての壁」は取り壊されたと、パウロは事実として和解の出来事を語っています。 残念ながら、私たちは今もなお社会の中で、また家庭の中で、この「敵意という隔ての壁」を日常茶飯事のように目にし、耳にします。 自分自身の姿を振り返ってみても、残念ながら現に脈々と存在し続けている動かしがたい現実の壁に虚しさを憶えます。 そうであるのに、なぜパウロは、キリストによって「敵意という隔ての壁」が取り壊されたとまで言い切ることができたのでしょうか。
「敵意」という言葉から思い起こされる聖書の出来事があります。 過ちを犯し、現場で捕らえられたひとりの女性が、律法を厳格に守ることを務めとする律法学者やファリサイ派の人々によって連れて来られた場面です。 律法学者たちは、民衆の真ん中にその女性をさらし者にして、イエスに「この女性は過ちを犯しました。 その現場で取り押さえられた者です。 律法の戒めには石で打ち殺せと命じられています。 あなたならどうしますか。」と迫った時です。 かがみ込んでいたイエスが立ち上がって、「あなたたちのなかで罪を犯したことのない者が、まず、この女性に石を投げなさい。」と言われた。 そして、再び身をかがめて、この女性とともに石を身に受けようとされたと言います。 このイエスの言葉、イエスの姿から、その場にいた人々は、「一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中でさらし者となっていた女性だけが残った。」とあります。 あれほど、このような過ちを犯した者には、石を投げつけるべきだと勢い込んでいた人々が、いつしかその「敵意」がかき消されていく。 石を握りしめるまでに膨らんでいた民衆の正義感の塊が、次第にしぼんでいく不思議な空間を体験しています。 だれも過ちを犯した女性を罪に定めることができなかった。 石を投げつけることができなかった。 「敵意」に翻弄される民衆、「敵意」を用いて奔走する律法学者たち、そして罪を犯してしまったひとりの女性の間にあった「隔ての壁」が消えてなくなった。 「隔ての壁」の内と外に置かれていた、その区別がなくなっていった。 その事実を聖書は端的に語っています。 イエスが「取り残された人々、壁の外に追いやられた人々、締め出されていた人々」に目を留められたのは、この「敵意という隔ての壁」を取り壊すためです。 過ちを犯したひとりの女性も、そこから立ち去った民衆にも、また自分の正しさに燃えている律法学者たちにもイエスの目は注がれています。 イエスは、すべての人に神の国の福音を告げ知らせるために、私たちがつくった壁を壊すために、私たちと同じ人間となってくださった神なのです。 私たちの心の内には、この「敵意」が存在します。 この現実の壁に目をつぶってはならないように思います。 自分ではどうすることもできない現実の中にあることを、私たちは先ず知ることです。 これがイエスと出会う準備となります。 自分を正しさや美しさや忠実さの中に閉じ込め誇ってしまうと、イエスに見出されていることに気づかないままに、自分に頼り、自分を誇り歩んでしまうことになります。 「敵意」にまみれた一人一人の現実に、イエスが働いて見出してくださったときに起こる事実と、その時には「神の家族になる。 神の住まいになる。」という約束を語っています。
「叱られた僕」 マタイによる福音書25章14~30節
マタイによる福音書25章には、3つの「たとえ」が語られています。 「十人のおとめのたとえ」、「タラントンのたとえ」、「終わりの日のたとえ」です。 いずれも、思いがけなくやってくる「終わりの日」の姿を「たとえ」を用いて伝えています。 その日には、準備した者と準備をしなかった者、託されたものを用いた者と用いなかった者、最も小さな者の一人を助けた者と助けなかった者により分けられる。 神のみ前で「救われる者」と「滅ぼされる者」により分けられる厳粛な「精算の時」があることを、イエスは繰り返し伝えています。
1タラントンとは、現在の日本円にすれば五千万円から六千万円にも匹敵する大きなお金になると言われています。 金額の多寡はありますが、とてつもなく大切なものがそれぞれ僕たちに預けられています。 預けられているものは僕たちのものではなく、主人のものです。 ここでは、何かをしなさいと主人から命令されているわけでもなく、ただ預かっただけです。 当時のユダヤ社会では、お金を地中に隠し保管しておくことは一般的であったと言います。 なぜ、1タラントン預かった僕だけが主人から非難され、叱られ、託されたものを取り上げられ、外の暗闇に追い出されたのでしょうか。 「叱られた僕」は、主人から預かったものであるから絶対に失ってはならないと考えたに違いない。 商売をして失敗して、主人のものに損害を与えてはならない。 だから、当たり前のように地中に隠し、主人が帰ってくるまで厳重に保管しておいた。 主人が旅から戻ってきたので、責任を果たし終えたとほっとしたに違いない。 主人からは「よく管理した」とお褒めの言葉を待っていたのかもしれません。 この「たとえ」を道徳的に見れば、少しでも忠実に努力した僕たちが褒められたと思ってしまいます。
この「たとえ」は、「終わりの日」の神の国の情景をイエスが愛する弟子たちに語ったものです。 主人であるイエスが、弟子たちのもとを離れて神の国に戻って行かれる。 弟子たちはしばらくイエスを見失うことになる。 地上で語られたみ言葉やお姿を預けて、やがて再び神の国から戻ってくる。 その弟子たちとの再会の喜びを、イエスは語っておられるのではないでしょうか。 弟子たちが父なる神の恵みによって託された大切なものを感謝して、喜んで受け取って、イエスの留守の間、地上で生き生きとした姿を見て喜びたいと願っておられるのではないでしょうか。 「終わりの日」に父なる神の前に立たされて、「持っているものまで取り上げられ、暗闇に追い出される」恐ろしさを知っておられるイエスであるからこそ、「そのためにこれから、このわたしが十字架に向かう。」と、その直前に弟子たちにこの「たとえ」を語られたのではないか。 その恐ろしさを知る由もない私たちに替わって、イエスは「叱られた僕」となって、十字架のうえで味わってくださったのではないか。 主人の大切なものを託されたことを喜び、主人の思いに信頼と安心を寄せて喜んでいる僕たち。 僕たちの成果を見ているのではなく、その喜んでいる姿をご覧になって喜んでいる主人。 この主人と僕たちの関係は、喜びと信頼の関係です。 ところが、「叱られた僕」は、主人に対する目が怖れを生じさせ、「精算の時」の自分自身の申し開きだけを考え不安になってしまう。 自分が大丈夫と確かめたものでない限り、一歩も立ち上がろうとしない。 主人から預けられたものは、自分が何とかしなければ消えてなくなるものであるかのように考えてしまう。 主人と「叱られた僕」の関係が、義務と申し開きだけの関係となってしまうのです。 主人から託された財産とは、父なる神のみ心にに従って人間となってくださって十字架の上で死んでくださったイエスのことでしょう。 私たちになり替わって、「叱られた僕」となってくださったイエスのお姿を憶えます。
「思い起こす神」 出エジプト記2章23節~3章12節
新約聖書は、クリスマスの出来事を旧約聖書が預言していた出来事であったと言います。 マタイによる福音書によりますと、「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。 その名はインマヌエルと呼ばれる。 その名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」と旧約聖書を引用しています。 この「インマヌエル」という言葉が最初に記されているのが、苦しんでいるイスラエルの民のところへ神がモーセを遣わす時に語られた、「わたしは必ずあなたと共にいる」(3章12節)というみ言葉であったのです。 「イスラエルの人々はその過酷な労働のゆえにうめき、叫んだ。 神はその嘆きを聞いた。 そして、アブラハム、イサク、ヤコブとの祝福の約束を思い起こされた。 神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。 この神の思い起こし、顧みにより、イスラエルの人々の導き手としてモーセが召し出された。」と聖書は言います。 このイスラエルの人々の400年もの苦しみの間、神は自ら語られた大事な約束を忘れてしまっていたのでしょうか。 神の意識の中に、イスラエルの苦しみの姿はもはやなかったのでしょうか。
神の約束があったから直ちにその約束が果たされたとは、聖書は語っていません。 あくまでも人間の側の応答を待って、それに初めて約束が果たされていくことが示されています。 人間の側に確かな根拠のない中にも、神に信頼して生きていく。 そのところに、神の祝福の約束が果たされていく。 これが厳粛な神の世界の真実ではないでしょうか。 神の約束であるから信じてみようと歩み出した人々の小さな歩みの中に、神の約束がその人の世界に入り込んできて実現されていく。 その事実が旧約聖書に語られているのです。 「わたしは必ずあなたと共にいる。 このことこそ、わたしがあなたを遣わすしるしである。」と励ます神に、モーセはこう尋ねています。 「エジプトの王によって虐げられてきたイスラエルの人々にとって、先祖の神との親しい関係などもはや消え失せ、疎遠になっています。 そこに、エジプトを追放され、荒れ野でミディアン人として暮らしているこのわたしの言葉に、イスラエルの人々は聞く耳をもつでしょうか。」と反論するのです。 しかし、そのようなところにこそ、突如として「神の約束を思い起こす」出来事が起こされるのです。 人間の側から見れば、この出来事は神が思い起こしたと見える。 神の側から見れば、人間が「変わらない神の約束」に再び気づき直す。 このことを、「神が思い起こされた」と聖書は表現しているのではないでしょうか。 神のみ心は、人間の状態によって移ろうものではないでしょう。 変わらないご真実の中に、私たちをずっと忍耐をもってご覧になっておられるのでしょう。 むしろ、選び出した者を慈しみ、熱い関心をもって途絶えることのないご愛によってうめき声、叫び声を聞いておられるのでしょう。 人間の側に起こされた出来事をきっかけとして、ついに神の側の自由なみ心が働いて、人間の歴史の中に神の出来事が突然引き起こされるとしか言いようがありません。 私たちのうめき声、叫び声は必ず神に届けられるのです。 「神は、自分が選び出した民の苦しみをご覧になった。 その叫び声を聞いて、その痛みを知った。」と言います。 私たちがこの神の約束を思い起こすには、準備が必要なのでしょう。 頼るべきものが皆目失われてしまったような時にこそ、変わることのない神の約束に私たちは気づき始めるのです。 この時を、神はご自分の時として待っておられるのです。 アドベントにクリスマスの主イエスの姿を憶えます。 つぶやきと背きと疑いを繰り返す私たちをずっとご覧になってくださった神が、ついに最後に憐れんでご自身の独り子を遣わす「思い起こし」によって、「神と共にいるなら、そこが神の国である」と約束してくださっているのです。
「知らぬままに起こされる施し」 マタイによる福音書6章1~4節
当時のユダヤの社会では、日常生活のうえで施しをすること、祈りをすること、断食をすることは、とても大事な宗教的な、社会的な行為でした。 イエスはこの「施し」の振る舞いを、「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。 偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。」と、慈善行為とは区別して神に向けて行う行為として戒めておられます。 私たちがこの「施し」という行いを考えた場合、普通は何かを人に与えることだと理解します。 しかし、もしこの与えられたものに対価が支払われるなら、ここで言う「施し」にはならないでしょう。 そうは言うものの、私たちが行う「施し」には何らかのお返しあるいは感謝やお礼の言葉を期待しているのが実情でしょう。 もしかしたら、「施し」自体が「施し」のお返しになっていることさえあります。 イエスは「施し」をあくまでも神に向けての行いとして、「人目につかないように、人の目を避けるように、人に知らせないように」、「施し」をしなさい。 それは「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」からだと言うのです。 その時、「右の手のすることを左の手に知らせてはならない」と、不思議なみ言葉を語られたのです。
この箇所の原文を直訳すると、「左の手は、右の手のすることを知ってはならない。」となります。 「右の手」とは、「施し」をする側のことでしょう。 「左の手」とは、「施し」という行いを見る側のことになるでしょう。 「施し」をする側の行いを、「施し」を見ている側に悟られてはならない。 知られてはならないということになるでしょう。 果たして、このイエスのみ言葉がそのような理解に留まるのでしょうか。 そもそも「右の手」も「左の手」も、同じ一人の人間の意志にしたがって動いているはずです。 車の運転のように、「右の手」も「左の手」も無意識のうちに自動的に動く時もあるでしょう。 そう思えば、このイエスのみ言葉は、私たちの意志に関わらず「施し」がなされるように、「施し」自体が自然と果たされていくようにと聞こえてきます。 そういう意味では、「見てもらおうとして施しをしないように注意しなさい」というより、「施しを与える側の人の意志に関係なく行える」ことを、はるかに徹底的に求めていることになります。 イエスは「終わりの日」のことをこのように譬えています。 「すべての国の民を私の前に集める。 それから、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分ける。 羊を右に、山羊を左に置く。 その右側に置かれた民に言う。 わたしの父に祝福された人たち、用意されている神の国を受け継ぎなさい。 あなたたちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに尋ねてきてくれたからだと言う。 すると、右側の民はこう答える。 主よ、いつわたしたちは、飢えているのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。 いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸であられるのを見てお着せしたでしょうか。 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうかと言う。 するとイエスは、はっきり言っておく。 わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」と、これが神の国の風景だとイエスは言います。 神に祝福される人たちとは、「施し」をした覚えがないと言う人たちである。 その「知らずにした施し、気づいていない施し」をイエスは、「わたしにしてくれたこと」であると、その「終わりの日」に父なる神が報いてくださると言うのです。
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