秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

キリスト教や聖書、結婚式や葬儀も相談できるキリスト教会です。

「羊飼いの声を聴き分ける羊の群れ」 ヨハネによる福音書10章7~18節

2022-10-16

 この段落の直前に、「羊の囲い」の話が出てきます。 羊は村の共同の囲いに纏めて入れられていた。 囲いの門番は顔見知りの羊飼いだけに囲いの門を開け、中に入ってきた羊飼いは、多くの羊の中から自分の羊だけを囲いの外に連れ出す。 その先頭に立って、羊の命を養う牧草や水のあるところに連れ出すのです。 羊飼いは自分の羊の世話をして、その声が羊によく知られ、その羊の一匹一匹の名前を呼び、羊はその声だけに従っていくと言います。 旧約聖書は、この羊飼いと羊の関係になぞらえ、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。」(詩編23編)と賛美しています。 ところが、「その囲いの門を通らないで来る盗人、強盗には羊は決してついて行かず、逃げ去る。 彼らの声を羊は知らないからだ。」と言います。 このたとえを受けてイエスは、「わたしは羊の門である。 わたしを通って入らない者、わたしより前に来た者は皆、盗人であり強盗である。 羊を盗んだり、屠ったり、自分の為に滅ぼしたりする。 神の民を荒らす者である。」と、イエスを決して受け入れないファリサイ派の人々にイエスは語るのです。 ここで言う「わたしより前に」とは、イエスご自身の十字架と復活という「イエスの時」が未だ果たされていない前にということでしょう。 「わたしを通って入る者は救われる。 その人は、門を出入りして牧草を見つける。 わたしが来たのは、羊が命を豊かに受けるためである。」と、イエスの十字架の死に与ることによって滅ぶべき命に死ぬ。 イエスの復活の命に与ることによって新しい命が与えられると言うのです。 更にイエスは、「わたしは良い羊飼いである。 羊のために命を捨てる。 良い羊飼いは、自分の羊を知っており、羊もその羊飼いを知っている。」と言います。 ここで言う「知る」とは、単なる「知る」ということではなく、人格的な深い結びつきを言います。 この羊飼いと羊たちとの関係は、「父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。」とまで言われるのです。 これはひとえに、イエスが私たち神の民のためにご自身の地上の命をささげてくださったからです。 私たち神の民がイエスと同じ命を受けることができるようにと、人間の初穂としてイエスが備えてくださったからです。 イエスはこのことを、命がけで羊の命を守った当時のユダヤの羊飼いの姿を通して語っておられるのです。 もうひとつイエスは、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。 その羊をも導かなければならない。 その羊もわたしの声を聴き分ける。 こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」と不思議なことを語っておられます。  「囲い」の外と内が現実にあることを、イエスは認めておられます。 いつしか「囲い」の外の羊の群れが、「囲い」の内の羊の群れと一緒になって、一人の羊飼いによって導かれ、一つの群れとなる。 これがイエスの願いでした。 「一つの群れとなる」ために、「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。」 それは、命を捨てるゆえに与えられる新しい命を得るためである。 これが「わたしが父から受けた定め、掟」であった。 この父に従った「それゆえ、父なる神はわたしを愛してくださる。」 しかし、これはイエスご自身の意志によるもので、「だれもわたしから命を奪うことはできない。」と言われる。 命を捨てることも、命を再び受けることも神の権威によって与えられた。 「救い」を求める私たち、イエスの声を聴き分ける私たちが、命を豊かに受けるために、イエスが遣わされてきた。 ご自身の命を捨てることが、私たちが新しい命を得、私たちが弱さを知り真の強さを知ることになるとイエスはこのたとえをもって語っておられるのではないでしょうか。

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「イエスの呼びかけとは」 ルカによる福音書5章1~11節 

2022-10-09

 「イエスが湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。」と言います。 群衆は、神の言葉を求めてイエスの宣教に耳を傾けたのです。 そのような湖畔のイエスの宣教に見向きもせず、背を向けて、「網を洗っていた漁師たち」の姿にイエスの目が留まります。 「夜から夜明けにかけて夜通し苦労をして湖で漁を行ったが、一匹も魚を得ることができなかった」と言いますから、失望と不安を抱えた、疲れ切った諦めの後ろ姿に映ったのでしょう。 そのひとりシモン・ペトロにイエスは、「舟に腰を降ろして、そこから群衆に向けて宣教するため」、「あなたの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった」と言います。 ペトロに、側近くで聞かせるためであったのではないか。 諦めと失望が漂うペトロに語りかけ、立ち上がらせようとしたのではないかと思わされるのです。 イエスがその小舟から群衆に向けて話し終えたその時です。 イエスは唐突に、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」と命じられたのです。 ベテランの漁師であるペトロにとっては、的外れな常識外のイエスの命令です。 当然ながら、「先生、私たちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と反論します。 ペトロは「先生」と呼びかけているように、イエスを全く知らなかったわけではありません。 ペトロのしゅうとめの高い熱に苦しんでいた際、人々はその病いの癒しをイエスに頼んだ。 「イエスがその枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、そのしゅうとめはすぐに起き上がって一同をもてなした」と言います。 ペトロ自身が願い出たわけでもないので、イエスを全く信頼していたのでもないでしょう。 しかしイエスは、ご自身のみ言葉を聞こうと押し寄せて耳を傾けている群衆のそのすぐそばで、漁に疲れ、耳を傾けようともしないペトロに、ご自身との交わりを求めて呼びかけるのです。 「沖に漕ぎ出して、網を降ろし、漁をしなさい。」と命じるのです。 これは、断固たるイエスの命令です。 私たちの体験や常識や理解では、諦めざるを得ない現実に対する「神の挑戦」です。 的外れで常識では考えられないイエスの命令でしたが、ペトロは「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」と疲れた体を奮い立たせてもう一度漁をしたと言うのです。 唐突なイエスの呼びかけに迫られて、一歩踏み出して従った人間の姿です。 すると、「おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。 魚でいっぱいで、舟は沈みそうになった。」と言います。 その時ペトロの口から出た言葉が、「主よ、わたしから離れてください。 わたしは罪深い者なのです。」という言葉でした。 少し前までは、イエスを「先生」と呼びかけていたペトロが、この不思議な出来事を起こされた後は、「主よ」と呼びかけ、明らかにペトロのイエスを見る目が新しい世界へと開かれています。 人知を超えた神の底知れない力に触れるなら、その神の前に立たされている自分自身の小さな本当の姿を見つめさせられるでしょう。 ペトロは、「あなたの前に立つべき者ではありません。 わたしの愚かさ、的外れな生き方を差し出します。 憐れんでください。」という精いっぱいの告白でしょう。 神は私たちを選んで、私たちと連なるすべての人びとを代表して呼びかけてくださるのです。 この神の呼びかけは、この世に縛られている私たちのところに切り込んできます。 考えられない恵みを準備して、私たちに神への信頼と服従へと決断を迫り、その場に立たせるのです。 この神の挑戦に応えることが私たちの「信仰」なのです。 神の唐突なみ言葉に応えて、従ってみることです。 その現実の中で知らされる私たちの愚かさ、弱さ、底浅さを神に向けて告白する時に、私たちの本当の信仰生活が現れ出るのではないでしょうか。 その発端が、唐突な神の呼びかけであるように思わされます。

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「旅する教会」 民数記9章15~23節

2022-10-02

 民数記は、神の導きによりイスラエルの民がエジプトから救い出された後、40年もの間、荒れ野をさまよった記録です。 一つには、イスラエルの民のエジプトの苦役からの解放の後、嘆きと呟きが絶えなかった不信仰による荒れ野の試練でした。 二つ目には、その民の不信仰にも関わらず、神がご自身の立てられた約束を果たす為に、たとえ長きに亘る時を用いてでも約束の地に導き、忍耐と恵みをもって約束に忠実にそのご真実を貫かれた記録でした。 三つ目には、このエジプトから導き出された数え切れないぐらいの大群衆と家畜を率いた指導者モーセの働きと、神とモーセとの交わりも記されています。 今朝の箇所は、イスラエルの民が一斉に神の導きによりエジプトから救い出されたその翌年のことです。 
 シナイの荒れ野に到着しそこで幕屋を建設し留まった。 そのシナイの荒れ野で、神はモーセに「定められた時に過越祭を祝わねばならない」と命令したと言います。 エジプトから脱出する際に起こされた「神の過越しの出来事」です。 イスラエルの人々を救い出すために、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つという神の裁きがエジプトを覆った。 イスラエルの人々は家ごとに傷のない小羊一匹を屠り、その血を家の入口2本の柱と鴨居に塗った。 家の入り口に塗られた小羊の「いけにえの血」によって、神の災いはその家を過越して及ばなかった。 それによってイスラエルの民はエジプトから脱出することができた。 その記念すべき救いの日を忘れることのないようにという神のご命令でした。 新約聖書の時代に生きる私たちにとっては、主イエス・キリストの十字架という「裂かれたからだと流された血」の犠牲のゆえに私たちの罪が赦されたことを思い出すために、「主の晩餐」を執り行うようにとイエスご自身がお命じになったことと同じです。 エジプトの地を脱したその翌年に、最初の過越しの祭りがシナイの荒れ野で執り行われたのでした。 
 「人々が建てた幕屋を雲が覆った。 夕方になると、その雲は幕屋の上にあって、朝まで燃える火のように見えた。」と言います。 「雲」とは、主なる神がともにおられるという「しるし、証し」です。 幕屋を「雲」が覆い、主の栄光がそこに満ちたと言います。 その「雲」が幕屋を離れて天に昇ると、人々は出発した。 「雲」が幕屋を離れず天に昇らずそのまま留まると、人々はそこに宿営した。 神がイスラエルの民に先立って導き、人々と共に進み、そして留まったと言います。 この教会の群れの原形は、神の存在によって導かれ旅を続けた群れでした。 神の命令であった「過越しの祭り」を執り行うことを、荒れ野のさすらいの旅の間中守ったということです。 エジプトで死ぬべき存在であった自分たちが、「小羊のいけにえ」により生かされたという神の恵み、救いの業を礼拝によって決して忘れることがなかった。 誰でも見ることができた「雲の柱」だけでなく、指導者モーセを通して語られた神のみ言葉を聞いて人々がそれに従ったということです。 単に荒れ野を「さすらう、さまよう人々」ではなく、旅の目的地、神の約束の地を見据えて旅立ち、宿営したということです。 新約聖書の時代に生きる私たちには、恵みとして「雲」に替わって「聖霊」という復活の主イエス・キリストが働いてくださっています。 目に見える確かな道しるべが与えられていたにも関わらず、不平や不満や呟きの絶えなかったイスラエルの人々と同じ私たちです。 しかし、賜物として与えられている「聖霊」を心の内に受け入れ、味わいなさいと主は言われる。 不承不承モーセを通して語られたみ言葉に従ったイスラエルの人々と同じように、聖霊を通して与えられるみ言葉に弱き者、欠ける者として従ってみることです。 本当の飢えや渇きを満たすことのできるお方は、イエス・キリストだけです。

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「キリストの愛に満たされて」 エフェソの信徒への手紙3章14~21節 

2022-09-25

 「こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。」と、三つの「祈り」を語っています。 「こういうわけで」とは、「以前は自分の過ちと罪のために死んでいた」、「この世を支配する者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいた」、「以前は肉の欲望の赴くままに行動していた、生まれながら神の怒りを受けるべき者であった」あなたがたが、今では「恵みにより、神の賜物により、信仰によって救われた。」、「罪のために死んでいたのに、キリストと共に復活され神の子とされた。」、「神の家族になった。」 同時に、「聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるパウロに、このキリストの福音を告げ知らせる、説き明かす務めが与えられた」という奇跡とも言うべき事実を示しています。 当時は立って祈ることが普通であったことから、パウロの祈りの姿は神の前にうなだれ信頼している姿、神の恵みの豊かさに驚き、圧倒され、感謝する姿に映ります。 当時はほんのわずかであったキリスト者の小さな群れに、「御父から天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。 前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によって、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。」と、未だ見えていないことを先取りし、確信し、大胆に祈っているのです。 最初の祈りは、「神の満ちあふれる豊かさから注がれる神の霊により、神の力により、また、あなたがたの信仰により、あなたがたの心の内にキリストを住まわせるように」 「キリストの愛に根ざし、キリストの愛にしっかりと立つ者としてくださるように」という祈りでした。 私たちが先ず備えなければならない場所は外にあるのではなく、私たち自身の心の内だと言うのです。 「内なる人」が「外なる人」を支配している。 もしそこに、「キリストを迎え入れる」なら、奇跡とも言える出来事が起こされる。 私たちに先立って働く神の満ちあふれる豊かさから注がれる神の霊、神の力を受け取っていくだけで、この世で働いておられるイエス・キリストと出会うことになる。 その出会いは、苦しく受け入れ難い悲しい出来事であるかもしれない。 その出会いこそが、私たちの弱さ、醜さ、底浅さを嫌というほど知らせる。 神の満ちあふれる豊かさに触れることになるのです。 それが自分のために先立って働いてくださったキリストの愛であったと気づかされる。 とてつもない愛に圧倒される時がくる。 だから、すべての人の心の内にキリストを迎え入れるようにとパウロは祈るのです。 第二の祈りは、「すべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに越えるこの愛を知るように」と祈ります。 キリストの愛に捕らえられ、迫られ、気づかされ、圧倒される。 その愛の広さとは、すべてを包み込む人の知識をはるかに越えたもので、この世の力に縛られている私たちを解放する限りない広さです。 その愛の長さとは、種を蒔いて刈り取るまで待つという忍耐を語っているのでしょう。 その愛の高さや深さも、十字架刑というどん底から神のもとへという隔たりを悟り、私たちの本当の姿を知れば知るほどこの愛のあまりの高さ、深さを感じるのです。 「キリスト・イエスの愛によって、教会によってすべてのキリスト者とともに築かれますように。」と祈りを結んでいます。 神の豊かさは尽きることのないものです。 私たちがキリストの愛によって愛することを喜ぶ生涯、キリストの愛によって愛されていることを喜ぶ生涯、与えられる豊かさに目を向けるのではなく、豊かさを注いでくださる神ご自身、キリストの愛に信頼を置いて、神が働いてくださるのを待つようにとひざまずいてパウロは祈っているのです。 

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「死んでいたのに、生き返ったから」 ルカによる福音書15章11~24節 

2022-09-18

 人の死を「天に召される」と表現します。 私たちとは相容れない神の性質を持ちながら、私たちと全く同じからだを背負わされてこの世を歩んだイエス・キリストでした。 神のみ言葉だけを仰いで、からだが持っている「弱さ」をもちながらこの世を歩み通したお方でした。 ついに、この世のからだに死んで、「よみがえり」という父なる神が備えてくださった道を人間として初めて体験し神のもとへ帰って行かれたのでした。 キリスト者とは、このイエス・キリストに結ばれて生きる、新しく変えられた者ということです。 「死によってすべてが終る」人生から、「新しいいのち」という上着を着せられてそのままのからだで用いられ、この世に生かされていく。 「からだの死」を越えて、イエス・キリストに結ばれて「神のもとに帰っていく」人生に変えられる。 メメント・モリ(死を覚えよ)とは、この地上での歩みのために授けられて生きる「命」を覚えよ。 その背後にある「神のご愛」を覚えよということです。 「放蕩息子のたとえ」に、独りで自分の思い通りの人生を送ろうと父の家を飛び出した弟息子の悔い改めが語られています。 自分に分け与えられた財産を使い果たし、食べることにも窮するまでになってしまった。 孤独になった放蕩息子は「我に返った」とあります。 父の息子であったという当たり前と思っていた恵みを捨ててしまった、忘れてしまった思い違いに気づかされ悔やんで、「父のもとに帰ろう」、息子と呼ばれる資格はないと自らの過ちを告白し、雇い人の一人に願い出ることを決断するのです。 父親にとっても、父の元を離れることなく忠実に仕えていた「孝行息子」である兄息子にとっても自分勝手な「放蕩息子」であったのです。 恥ずかしながら父の家に戻って行った「放蕩息子」を、「まだ遠く離れていたのに、家に向かって帰ってきている放蕩息子を見つけて、憐れに思い父親自ら走り寄って行った。 何も言わないうちに、首を抱き接吻した。」と言います。 息子の弱々しい懺悔の言葉を父親は遮るかのように、誰が見ても父親の息子であると分かるように、息子としての資格を示す「一番良い服、手にはめる指輪、履物」を用意させたのです。 父親は一日たりとも放蕩息子を忘れることはなかった、家を飛び出した過ちを問題とはしなかった、過去にとらわれず無条件に抱きしめ受け入れた、そればかりではなく父親の家で祝宴を開こうとしたのです。 その時の父親の言葉が、「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」とこのたとえを締めくくるのです。 この「たとえ」の主人公は「放蕩息子」でも、「孝行息子」でもなく、「父親」です。 語る中心の内容は、「放蕩息子の悔い改め」ではなく「父親の喜び」です。 自分が似せて創造した人間が自分のもとを離れてしまっても、自らの過ちに気づくことを忍耐強く待ち続ける天地創造の神の姿に映らないでしょうか。 恥ずかしげもなく我に返って戻ってきた人間を無条件に再び受け止め、抱きしめる天地創造の神の姿に映らないでしょうか。 父親は、「放蕩息子」も「孝行息子」も決して比較などしていないのです。 どちらにも、謝罪を求めることさえも求めていないのです。 父の家の者には、「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」 「孝行息子」には、「お前の弟は死んでいたのに生き返った。 いなくなっていたのに見つかったのだ。 祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」と「父親としての喜び」を語るのです。 父親の悲しみも喜びも共にしていない「放蕩息子」にも、「孝行息子」にも、自分のような父親になるようにと願っているのではないでしょうか。 イエスは、「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。 わたしの愛に留まりなさい。」と言われているのです。  

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「ネヘミヤの祈り」 ネヘミヤ記1章4~11節 

2022-09-11

 紀元前586年、バビロニア帝国によって南王国ユダが滅ぼされ、その首都エルサレムは破壊され、エルサレムの多くの人々は捕虜としてその首都バビロンに連れ去られたのです。 ところが紀元前539年、ペルシャ帝国がバビロニア帝国を打ち倒し、バビロンに捕囚されていたユダヤ人たちを解放し、エルサレム神殿の再興を命じたというのです。 そのような時、エルサレムから1000キロ以上も離れたペルシャの首都の宮廷に、「献酌官」として務めていたネヘミヤがいたのです。 「献酌官」とは、平たく言えば毒見役のことです。 王が毒殺されることが頻繁に起きた時代には、王の信頼の厚い者が司る役目です。 王の政治的な相談にのるぐらいの宮廷の高官でした。 一方で、少しでも王の信頼を損ねる言動、感情を害する言動を犯すなら、即座に疑われ抹殺されてもおかしくないほどの危険な立場でもあったのです。 そのネヘミヤがわざわざユダから訪ねてきた人たちに、「捕囚を免れて残っているユダの人々について、また、エルサレムについて」尋ねます。 ネヘミヤにとって、忘れることのできなかった故郷エルサレムであったのです。 「残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。 エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです。」という答えに、ネヘミヤは「座り込んで泣き、幾日も嘆き、天にいます神に祈りをささげた。」と言います。 幾日も食を断つほどに悲しんだネヘミヤの嘆きは、人や社会に対する恨みや怒りに向かわず「天にいます神」に向かうのです。 周辺他国の嘲りに惑わされないよう、エルサレムの城壁が修復されるよう、エルサレムの人々と神との交わりが回復されるよう願う「神に対する祈り」が起こされるのです。 エルサレムの人々と嘆きや苦しみを共にしようと、昼も夜も境目なく祈る凄まじい「祈り」をネヘミヤは神にささげるのです。 神への絶対的な信頼に立って、「天にいます神よ。 偉大にして畏るべき神よ。 契約を守り、慈しみを注いでくださる神よ。 耳を傾け、目を開き、あなたの僕の祈りをお聞きください。」と呼びかけ祈り始めるのです。 「もしもわたしに立ち帰り、わたしの戒めを守り、それを行うならば、天の果てにまで追いやられている者があろうとも、わたしは彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ場所に連れて来る。」と約束してくださったではないですかと、神のもとを離れてしまっていた私たちエルサレムの民と神との交わりの回復を「悔い改め」によって祈るのです。 「エルサレムで苦しんでいる彼らも、またこのわたしもあなたの僕、あなたの民です。 あなたが大いなる力と強い御手をもって贖われた者です。 わたしも、わたしの父の家も、エルサレムの人々も罪を犯しました。 どうぞ憐れんで、耳を傾けてください。 わたしの願いを叶えてください。 そのためにこの人の憐れみを受けるようにしてください。」と「とりなしの祈り」をささげるのです。 「この人の憐れみを受ける」とは、ペルシャ王の憐れみを受けさせてくださいという、この世の王の権威を用いてでも神の御心が果たされるようにと祈るのです。 「祈り」は必ず出来事になります。 神が祈りを聞いて、立ち上がり動かれるからです。 私たちの嘆き、痛みに直接触れてくださるからです。 神が立ち上がられるのを待つことです。 この先起こされるであろう出来事に大いに期待して、神以外の者を恐れることなく神に委ねることです。 ネヘミヤはわずか52日間で復興がなされた城壁の完成を喜んでいるのではありません。 深い嘆きに追い込まれて「祈り」が与えられた。 神が直接、私の嘆きに触れてくださった。 自分にしか味わうことのできなかった体験を味わった喜びです。 そのために自分が負うべき嘆きや痛みを自分の「誇り」として、「喜び」として身に引き受けたのです。

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「祝福をあふれるほど持って」 ローマの信徒への手紙15章22~33節 

2022-09-04

 この手紙の冒頭の挨拶でパウロは、どのような思いでローマの教会の人たちに書き送ったのかふたつのことを語っています。 ひとつは、「イエス・キリストの御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒となりました。」と言い、ユダヤ人ではない異邦人への「宣教の働き」が自分自身の使命であると言います。 もうひとつは、「何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。」とローマの教会への訪問を強く願っていると言い、「霊の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。 互いに持っている信仰によって励まし合いたいのです。」と「交わりの働き」を語るのです。 今朝の聖書箇所では、この手紙の結びとして、これまでローマに「何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。」と言います。 異邦人への福音を告げ知らせる使命から、先ず、ローマ帝国の東半分のイエス・キリストの名がまだ知らされていない所でその働きを果たさなければならなかった。 騒乱や反対運動に妨げられて、ローマとは反対方向にあるところでの宣教に集中しなければならなかった。 その「宣教の働き」を終えて、今、アカイア州の州都コリントにいる。 「今は、もうこの地方に働き場所がない。」 もはや宣教の余地がない。 今度は、ローマ帝国の西半分、その西の端イスパニアに向けて「宣教の働き」を起こしていくというパウロの晩年の宣教ビジョンが語られたのでした。 その大きな働きのために、すでに教会が起こされ建てられているロ-マの教会の支援をパウロは大いに期待して、「あなたがたと共にいる喜びを味わいたい。 キリストの祝福をあふれるほど持って分かち合いたい、励まし合いたい。」と「交わりの働き」を願うのです。 ローマは、今パウロがいるコリントからは目と鼻の先です。 「しかし今は、聖なる者たちに仕えるために」、ローマと反対方向にある「エルサレムに行きます」とパウロは言うのです。 パウロは、エルサレム教会のユダヤ人キリスト者たちを尊敬の念をもって、「聖なる者たち」と表現しています。 ここまで養われてきた異邦人キリスト者たちの恵みの源を、エルサレムの教会に見ているのです。 これから始めようとしているローマ帝国の西半分の宣教を始める前に、エルサレム教会のユダヤ人キリスト者と異邦人教会の異邦人キリスト者との連帯をしっかりと結び付けたかったのです。 その証しとして、異邦人キリスト者たちが献げたものをエルサレム教会から注がれた祝福の実として届けたいと、献金の奉仕の業を通してイエス・キリストにあって一つにされることを願ったのです。 しかし、パウロには不安があった。 パウロをキリスト教に回心した裏切者として、エルサレムにいるユダヤ教徒たちは命を狙っていたのです。 また、エルサレム教会の代表的なユダヤ人キリスト者たちは、律法を軽んじ信仰だけによって救われるとするパウロの信仰に強い反感を持っていたのです。 果たして喜んで献金を受け取ってくれるだろうか。 そこで、パウロは共に祈ることをローマの教会の人たちに求めます。 「どうか、わたしのために、わたしと一緒に神に熱心に祈ってください。」と言います。 自分の為に、また自分と一緒に苦しんで戦ってほしいと、まだ行ったことのないローマの教会の人たちにとりなしの祈りを求めるのです。 パウロでさえです。 自分自身の命が守られるよう、献金の奉仕の業がユダヤ人キリスト者たちに受け入れられるよう、イスパニアに向けての新しい「宣教の働き」が起こされるようにという「祈り」、ユダヤ人と異邦人からなるひとつのキリストのからだが築き上げられるようにという「祈り」、「宣教の働き」にも、「交わりの働き」にも必要なる恵みを豊かに与えられて、神の民として一緒に用いられたいという「祈り」なのです。

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「神の働きを待つ」 使徒言行録18章1~11節

2022-08-28

 「その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。」と言います。 16章と17章にあるフィリピ、テサロニケ、アテネでの宣教の後ということです。 アテネの地は、テサロニケの騒動によって追われてたどり着いた当初の宣教計画にはなかった所です。 哲学と芸術の伝統と文化の誇り高い、衰えていたとは言えギリシャ随一の都市です。 「いったいこの男は何を言いたいのだろうか」と興味本位で聞く聴衆がアテネでは多くいたわけですが、結局、パウロの宣教はアテネの人々にあざ笑われ、信仰に入った者もわずかしかいなかったと言います。 フィリピの教会も、テサロニケの教会も心配であったし、直前のアテネでの働きの落胆を引きずって、パウロは「衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安だった」と言います。 コリントはローマ帝国の総督府が置かれたアカイア州の州都であり、二つの港をもつ貿易上の要衝で経済的に栄えた裕福な都市でした。 一方、贅沢と不品行にまみれた都市の光景を目の当たりにしたパウロは、恐れと不安の中にコリントへ入って来たのです。 そこでパウロは、「アキラとプリスキラのユダヤ人夫妻に出会った」と言います。 ユダヤ人をローマから追放するというローマ皇帝による命令が降ったことにより、最近コリントへ来ていた二人であったと言いますし、この二人がパウロのその後の宣教活動の協力者となったと言いますから、とても偶然とは思えません。 「テント造り」という職業が同じであったこともあり、パウロは直ちに住居と仕事という生活基盤がコリントで与えられ、「安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシャ人の説得に努めていた」と言います。 更に、フィリピやテサロニケで宣教の働きを共にしていたシラスとテモテが、パウロの宣教の働きのため献金を携えてやってきたのです。 それによりパウロは、「御言葉を語ることに専念できるようになった。 メシアはイエスであると力強く証しした」と言います。 しかし、会堂のユダヤ人たちは、異邦人であるギリシャ人たちと一緒に食事をとるパウロを、律法の戒めを汚す者、十字架に処刑されたようなナザレ人イエスが自分たちのメシアであると宣べ伝える馬鹿な者と口汚く罵るのです。 そこでパウロはきっぱりとユダヤ人たちの会堂と決別し、異邦人の方に行き、「ティティオ・ユスト」というギリシャ人の家に移った、そこは激しく言い争った会堂のすぐ隣であったと言います。 仕方なく立ち去ることを余儀なくされたこの「家の教会」で、思いがけない出来事が次々と起こされていくのです。 なんと会堂を司る「会堂長」が一家を挙げて、「家の教会」に加わってきた。 コリントの多くの人々がパウロの口から発する神のみ言葉を聴いて信じ、バプテスマを受けたと言うのです。 パウロは予期していなかった事実に、神の導きと周到な神の御心の確かさを感じたに違いないのです。 そのような時に神は幻の中で、「恐れるな。 語り続けよ。 黙っているな。」とパウロに呼びかけたのです。 「なぜなら、わたしがあなたと共にいる。 だから、あなたを襲って危害を加える者はいない。」と神は約束されたのです。 意気消沈して「宣教の働き」の意欲や自信を失いかけていたパウロにとって、この呼びかけはどのように聞こえたのでしょうか。 この神の励ましと慰めによって、パウロはよみがえったのです。 「わたしが呼び集め、用意しているわたしの民が大勢いる。」と言われた神の御心を、自分のものとすることができたのではないでしょうか。 私たちの務めは、神の選びの民を呼び覚ますことではなく、神のみ言葉を語り続けることです。 そこで起こされる神の救いの業、新しい出来事を待つことです。 イエス・キリストの十字架による救いは、もうすでに成し遂げられているのです。 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる。」のです。

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「ガリラヤからの光と福音」 マルコによる福音書1章12~15節 

2022-08-21

 ヨルダン川でイエスが洗礼者ヨハネからバプテスマを受けられたのは、望みを失い「荒れ野」で漂う人々とともに歩むというイエスの決断でした。 父なる神がみ心に従おうとするそのイエスを喜び、神の子であると明らかに宣言されたのでした。 民衆や洗礼者ヨハネが期待したメシアとは、自分たちを悩ます者を滅ぼし、その支配から解放してくれる裁き主でした。 一向に立ち上がらないイエスに洗礼者ヨハネは、「来るべき方は、あなたでしょうか。」と疑い尋ねています。 このヨハネの疑いにイエスは、「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 わたしにつまずかない人は幸いである。」と答え、栄光に輝くメシアではなく、貧しい人、弱い人、捕らわれ人、嘆いている人とともに歩む「苦難の僕」として歩むメシアを自らの姿であるとヨハネに示されたのです。 その洗礼者ヨハネが、領主ヘロデを批判し捕らえられたことをきっかけに、イエスは「ガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝え始めた」とマルコは言うのです。 ところが、神に託された福音を宣べ伝える前に、「霊によって荒れ野に送り出された。 40日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。」と言います。 聖書の言う「荒れ野」とは、試練の場です。 却って、神と対面し神からの呼びかけを聴く場です。 「40日間」という数字も、試練と苦難の時を示しています。 ノアの40日40夜の大洪水、エジプトから約束の地に向けて歩んだイスラエルの民の荒れ野の40年の歩みも、モーセの40日40夜のシナイ山での断食もすべてそうです。 「サタン」という存在も、神と人間の結びつきを十二分に知る者として度々聖書に登場します。 この「サタン」との戦いに、私たちもまた苦しみ悩むのです。 しかし、神との結びつきのない者、神の存在すら受け入れようとしない者にとっては、この神のもとから引き離そうとする「サタン」との戦いは起こらないはずです。 神のもとから離れてしまっていることに気づく者だけが味わう苦しみなのです。 他の福音書が詳しく記しているこの誘惑の内容は、「神の子なら、石をパンに変えることができるだろう。 高い所を飛び降りても、神が助けるだろう。 この世の王になれるだろう。」という、「苦難の僕」の姿を捨てて、「栄光の姿」をもってイエスを歩ませようとする巧妙な誘惑でした。 聖霊によるバプテスマを受け、神の子とせられ、聖霊に導かれこの世の戦いを体験されたイエスが、「ガリラヤに戻った」のではなく「ガリラヤへ行った」と言います。 ガリラヤのナザレというご自身の故郷という平穏な場所に戻ったのではない。 領主ヘロデがその権力の維持のためには投獄も処刑も辞さない危険な場所です。 ユダヤ教指導者たちがイエスを「律法を汚す者」として命を狙っている危険な時です。 イエスは神の国を宣べ伝える場所として、神殿とユダヤ教の体制に包まれた都エルサレムではなく、「異邦人のガリラヤ」へ赴いたのです。 領主ヘロデと対峙するためでも、ユダヤ教指導者たちを避けるためでもなく、「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」(マタイ4:16-17)という預言が果たされるよう「異邦人のガリラヤに漂う人たち」に近づいて行かれたのです。 そこで語られた言葉が、「時は満ち、神の国は近づいた。 悔い改めて福音を信じなさい。」というみ言葉でした。 神が予め定めておられた時に、神の側からしか近づいてくることのできない、「恵み」としてしか与えられるものではない「神の国」に私たちが招かれた。 ご自身がおられるところに、向きを変えて戻ってきなさいと語っているのです。 私たちもまたイエスのおられるところ、ガリラヤに赴きイエスととともに歩むのです。

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「第二の天地創造」 マルコによる福音書1章1~11節 

2022-08-14

 マルコによる福音書は、「神の子イエス・キリストの福音の初め」と、創世記の「初めに、神は天地を創造された。」という書き出しを意識して、新しい時が訪れたと書き始めています。 預言者が「死者を遣わして、道を備える。 整える。」と預言していた通り、「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れた。」 いよいよ天地創造という大事業に匹敵する驚くべき神の救いの業が新しく始まろうとしていることが、短い「神の子イエス・キリストの福音の初め」という聖句に込められているのです。 その重要人物である洗礼者ヨハネは、「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた」と言います。 当時の遊牧民の姿、荒々しい野人のような姿で「荒れ野」に現れたと言います。 エルサレムの都の人々は長い衣を着て、戒めを守る清潔な生活を送っていたと言いますから、その姿とは程遠い姿です。 「荒れ野」とは、不毛なところ、見捨てられ、誰も顧みない所ということでしょう。 そこに「洗礼者ヨハネが、バプテスマを施す者、バプテスマを宣べ伝える者として、施す相手も宣べ伝える相手もいないようなところに現れた」とマルコは言うのです。 ヨハネはなぜ、そのような「荒れ野」で生き、預言者としての務めを果たそうとしたのでしょうか。 分かっていることは、人々が見向きもしない不毛の地、辺境の地に生きる生き方を自ら選び取っていることです。 エルサレムの都に住んで、神殿に仕え戒めを守ることだけに終始する人々とは異なる生き方を自ら選び取っていることです。 そしてヨハネと同じように、神殿の中では見えてこない、都では味わえない世界に生きていこうとする人々を、だれもいない「荒れ野」で待ち続けていたということです。 この「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締めていた」ヨハネの姿こそ、一国の王に対し怯むことなく神のみ言葉を語ることを貫き通した旧約聖書の預言者エリヤの姿です。 人々は、このヨハネの姿を預言者エリアの姿に重ね合わせていたのかもしれません。 「ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた」と言うのです。 マルコはこのことを、「罪の赦しを得させるための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた」と表現します。 普通なら「バプテスマを施した、授けた」となるところを、「バプテスマを宣べ伝えた」と言うのです。 ヨハネが努力をして人々を集めたのでも、説得したのでもない。 神が、見向きもされなかった「荒れ野」に人々を呼び集め、その過ちに気づかせ、ヨハネのもとに来てありのままを告白させ、新しい歩みをしたいと願って訪れたすべての民に、ヨハネを通して「罪の赦し」があることをバプテスマを通して宣べ伝えさせた。 神の裁きの前に赦される「イエス・キリストの福音」が今、訪れようとしていることをヨハネが宣べ伝えたとマルコは語るのです。 「わたしより優れた方が、後から来られる。 わたしは水でバプテスマを授けたが、そのお方は聖霊でバプテスマをお授けになる。」とヨハネが語ったその直後、「イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でそのヨハネからバプテスマを受けられた。」とだけ語るのです。 すると、「天が裂けて、霊が鳩のように御自分に降ってくるのをご覧になった。 あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者と言う声が、天から聞えた。」 イエスが「荒れ野」に出向いてくださって、数々の罪を悔いてヨハネからバプテスマを受けている群れに加わってくださった。 すると、わたしの愛する子と言う神の宣言が聖霊によって降ったと、バプテスマの意味を宣べ伝えたのです。 新しく聖霊によって生まれた神の子の誕生の出来事を、短く語っているのではないでしょうか。 イエスの水によるバプテスマが、救い主イエス・キリストの名による聖霊によるバプテスマへと変えられた瞬間ではないでしょうか。

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