「私たちがささげる祈り」 使徒言行録4章23~31節
日本ホーリネス教団のある牧師の証しを知らされました。 「私の父は牧師であったが、戦時中に検挙されて留置された。 父の牧会していた教会は解散させられ、集会は禁じられた。 当時私たちは青森市にいたが、母はリンゴの袋はりなどして、留守の家庭を支えていた。 私はその母の苦労を間近に見て育ったが、子供心にも不思議だったのは、いつも母の口から賛美があふれ、いつも母がにこにこしていることだった。 母はよく、お父さんは、イエス様のために苦しめられて、きっと喜んでいるよと話していた。 時代が時代だけに、私も学校でスパイの子とののしられたり、石を投げつけられたりすることがしばしばあった。 だがそんなときでも私は母と、きょうもイエス様のためにひどい目に遭ったよ。 でも、天国でのごほうびがまたたまったねなどと言っていた。 父は病弱だったせいもあって数カ月で出所できたが、近くで伝道していた牧師が餓死したという知らせを聞かされた時の厳粛な思いを忘れることができない。」と書かれていました。 わずか70年前の私たちの国で起きた出来事です。 ペトロとヨハネは、「イエスの身に起こった死者の中からの復活を宣べ伝えた」ことによって捕らえられました。 しかし、「ナザレの人イエスの名の他には救いはない」と、神殿の中でも、法廷の場でも大胆に語りました。 釈放されたペトロとヨハネが先ずしたことは、仲間のところに戻ったことでした。 時の支配者たちに言われたことを包み隠さず話した二人の話を聞いて、その所で心を一つにして神に向かって声を上げたというのです。 二人が戻った所は、交わりと祈りと礼拝のある所です。 苦難の十字架のイエスのもとに心を一つにして集まっている所です。 彼らは、「天と地と海と、そこにあるすべてのものをつくられた方である」神に向かって、声を上げた。 彼らは、十字架の苦難には復活の喜びが続くことを目撃し知っていた。 だから、苦難も悲しみも神の「御手と御心によってあらかじめ定められていたこと」が起こされたに過ぎない。 この苦難と悲しみには、必ず神のご計画がある。 神の御心がある。 神の愛がこの苦難と悲しみに働いておられると信じて祈ったのです。 その神への信頼が、「主よ」と呼びかけ、一同を心を一つにして祈らせたのです。 驚くべきことに、彼らの祈りは、襲いかかってくる支配者たちから守ってくださいという祈りではありませんでした。 「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留めてください。」「あなたの僕たちが、思い切って大胆にみことばを語ることができるようにしてください」と祈ったのです。 自分たちを苦しめ脅しをかけている支配者たちに対して、なおも大胆に神のみことばを語る力を、イエスの僕として求めたのです。 神が御手を伸ばして働かなければ、聖霊の働きがなければ見ることのできない業としるしを願ったのです。 リンゴの袋はりをし、スパイの子とののしられ石を投げつけられている息子の姿を目の当たりにしても、その口から賛美があふれ笑顔が失われなかった母の証しの姿があります。 「イエスの名のために辱めを受けるほどの者にされたこと」を私たちは喜びとしたい。