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「期待して豊かに蒔く」 コリントの信徒への手紙二9章6~15節

2023-11-26

 パウロは、「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。」と言います。 大自然での常識、ごくごく当たり前のことを語っているように聞こえます。 しかし、この「たとえ」が教会相互の助け合いの中で、「支援のための献金」の働きの中で語られていることに気づかされます。 「惜しまず、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりに」と言いますから、この「たとえ」は「豊かにささげる人は豊かに祝福される。 わずかしかささげない人は祝福が小さい。」ということでしょうか。 また、献金は神さまから与えられた恵みのお返しだ、多く蒔けば多くの祝福が返ってくると、パウロは熱弁をふるっているのでしょうか。 パウロのエルサレム教会に対して献金を集めるという働きに、「自分の利益のため、自分の名誉のためではないか」という批判を受けながらもパウロは邁進するのです。 ユダヤ人と異邦人の間に、根深い人種的な偏見、文化と生活習慣の違いからくる深い溝、大きな対立を産んでいたのでした。 このパウロの働きの根底には、「教会は一つの体である」という信仰があります。 人からどのように批判されようとも、「一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるためにバプテスマを受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。 わたしたちはキリストの体であり、また一人一人はその部分です。 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」(コリントⅠ12:13, 26,27)という確信があるのです。 献金を通して、教会間の一致、つながりを語り、その結果得られる神の栄光、神の輝きをこの地上においても目の当たりにすることができる。 対立によって引き裂かれたキリストの体が、それぞれの教会の働きにおいて再び一つとなる。 その時には、神の栄光の姿が対立と争いに終始したそのところに現れ出る。 そのために、「神は種を蒔く人に祈りによって種を与えてくださる。 それを養い育て、豊かに実らせてくださる。 収穫させ糧として与えてくださる。 満ち足りて、惜しまず施すようになる。 その施しが神に対する感謝と喜びになる。 神への賛美、礼拝となる。 神の栄光が余すところなく、すべての者に表されるようになる。」 「この働きが不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通して、福音の恵みが豊かになる。 神をほめたたえることになる。 神のこの上なくすばらしい恵みを見て、互いに慕い、祈り合うことになる。」と言うのです。 パウロには、「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることができます。」という確信があります。 そのための「種蒔き」であり、「刈り入れ」です。 「豊かに」とは、この神の祝福に満たされてということです。 イザヤ書55章にも、「雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。 それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え 食べる人には糧を与える。 そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も むなしくは、私のもとに戻らない。 それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。」とあります。 埋めることのできなかった溝があり、対立と不信の中にあったユダヤ人教会と異邦人教会相互の深い交わりが起こされる。 神への感謝と賛美が起こされる。 そこに神の栄光が輝くことになる。 そのことを、「言葉では言い尽くせない贈り物について感謝します。」とパウロは言い、神の応答に期待して豊かに蒔くのです。



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