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「クリスマスという騒動」 マタイによる福音書2章13~18節

2019-12-15

 ヘロデ王の時代に、イエスはユダヤのベツレヘムにお生まれになりました。 東の方から「占星術の学者たち」が星に導かれ、エルサレムにやって来たと言います。 天体の異変に気づき、世界を救う「救い主」を礼拝するために、遠い彼方から「黄金、乳香、没薬」を携えてエルサレムを訪れたのです。 この知らせに、ヘロデは「不安を抱いた」とあります。 国中の祭司長、律法学者たちを集めて、その学者たちが言っているメシアはどこで生まれることになっているのかを調べさせたのです。 「ユダヤのベツレヘムに生まれる」と聞かされたヘロデは、「占星術の学者たち」をひそかに呼び寄せ、「行って、生まれたメシアと思われる子を詳しく調べ、知らせるように」と、言葉巧みに学者たちを送り出したのです。 その場所こそ、だれも注目していない馬小屋、そこには母マリアと父ヨセフしかいないような寂しいものでした。 とても世界を救うメシアが生まれたと信じることができないような有様であったにもかかわらず、その生まれた場所をつきとめた学者たちは喜びにあふれたと言います。 ひれ伏して、その赤ちゃんを拝んだ後、「ヘロデのもとへ帰るな」という神の言葉をかけられて、別の道を通って自分たちの国へ再び戻って行ったと言うのです。 
 この学者たちが帰った後です。 神はヨセフに言います。 「その子どもと妻マリアを連れて、エジプトに逃げなさい。 わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。 ヘロデがその子を探し出して、殺そうとしている。」という恐ろしい知らせを聞いたのです。 ただでさえ、これから自分たちの身に何が起ころうとしているのか不安であったヨセフに、今度は、ユダヤの王ヘロデによってその子が殺されようとしている。 その難を避けて、遠く離れた、何も分からないエジプトの地に行かなければならない。 それも、いつまでかも分からないと言うのです。 先を見通せないまま、エジプトに向けて流浪の旅に出なければならない。 そこで神の呼びかけを待ちながら、じっとそこに留まらなければならないという知らせを神に突き付けられたのです。 イエスの誕生が人を分岐点に立たせます。 ヘロデも、ヨセフもともに「不安を抱いた」のです。 しかし、ヘロデは、自分に取って替わる新しいメシアの出現を感じ取った「不安」でした。 その不安を取り除こうとして、自分だけが平安のうちに過ごすために、今までの経験やあらゆる知恵と、自分が今まで勝ち取ってきた力によって、不安に陥れるものを取り去ろうとしたのです。 それがベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子の殺害であったのです。 一方、ヨセフはその不安の中にあっても、神の言葉に聴き、分からないままでも従って行こうとしたのです。 神に呼びかけられるまで、希望をもって待とうとしたのです。 ヘロデも、ヨセフも、学者たちもすべて、神に用いられているのでしょう。 私たちは、自分のわずかしか見えていない目で、また、自分の経験でしか受けとめることのできない常識で、イエスの誕生を見ようとします。 神はイエスを十字架に献げて裁くまで、生まれたばかりのイエスの命をヘロデから守ったのでしょう。 イスラエルの民が、エジプトやバビロンに囚われた体験を追体験させているのでしょう。 流浪の旅を強いられたヨセフの家族の痛みは、イエスの十字架の死のためでした。 ベツレヘムの二歳以下の幼子が殺されるという出来事に、ヘロデを陥れたこの世の霊の働きを憶えます。 些細なことから陥ってしまう私たちの弱さ、醜さの悲しみを憶えます。 イエスの誕生の出来事は、私たちを根底から覆す「騒動」とも言うべき驚くべき出来事です。 この世の霊の働きに縛られている私たちに一石を投じる出来事です。 マリアが宿したように、私たちもまたこのお方をうちに宿して、このお方とともに歩んで参りたいと願います。



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