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「教会の力」 使徒言行録18章1~11節 

2016-10-02

 パウロは、フィリピ、テサロニケ、アテネなどギリシャの多くの都市を転々と宣教していました。 アテネでは、後から駆けつけてくるシラスとテモテを待っていたのです。 しかし、パウロは彼らの到着を待ち切れず、宣教計画になかったアテネでひとり宣教を始めたのです。 そこには三千にも及ぶ宗教施設があり、おびただしい数の偶像が置かれ、人々が拝んでいたのでしょう。 パウロは、それらに「憤慨した、心に憤りを感じた」とあります。 自分が語る神は、「世界とその中の万物とを造られた神」である。 人間の手で造られたこれらの神殿などに住むような神ではない。 ひとりの人間からすべての民族を創り出し、地上の至るところに住まわせ、彼らの住むべき場所をお決めになるほどに世界を支配しておられるお方である。 「わたしたちはその神の中に生き、動き、存在する」とまで大胆に説教をしたのです。 「わたしの語る神は死者の中から復活させたお方によって、この世を正しく裁かれる。 この十字架と復活によって与えられるこの福音の恵みを受け取らなければならない。」と語り出したものですから、アテネの聴衆はパウロを嘲笑い、パウロの言葉を受け入れる人は幾人しかいなかったとあります。 パウロはこのアテネからコリントに入る時の心境を、「わたしは衰弱し、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした」と振り返っています。 
 ところが、コリントでは、アキラとプリスキラというひと組の夫婦がパウロを待っていたのです。 ローマ皇帝のユダヤ人退去命令により、ローマから逃れて来た人でした。 仕事がアキラの家の仕事(テント造り)と同じであったパウロは、その家に住み込んで働いたと言います。 アテネの時とは異なり、コリントでは同労者が与えられ住居も生活基盤も与えられたのでした。 そこに、シラスとテモテがパウロのもとに到着したのです。 そのお蔭で、パウロは「み言葉を語ることに専念することができるようになった。 ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした」と言われるまでに回復したのです。 ユダヤ人の抵抗にあって、別の家に移ることになりましたが、それが幸いし会堂長が一家を挙げて主を信じるようになり、多くの人々がパウロの言葉を聞いて信じバプテスマを受けるようになったと言うのです。 コリントの教会は、アキラとプリスキラという同労者が与えられ、シラスとテモテが遣わされて立ち上がったのです。 そこに神の言葉が届き、「恐れるな。 語り告げよ。 黙っているな。 わたしがあなたと共にいる。 だから、あなたを襲って危害を加える者はない。 この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」 口語訳聖書では、「あなたには、わたしがついている」と言います。 イエスは「世の終りまで、いつもあなたがたとともにいる。」と言われました。 私たちはこの確かな約束のうちにあります。 だから、「恐れるな。 語り告げよ。 黙っているな。」 「この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」と言うのです。 宣教とは、この隠された神の民を見出すことではないでしょうか。 アテネでの宣教がおもわしくなく不安と恐れに留まっていたパウロでした。 そのパウロが同労者によって励まされ、支えられ、伝道者として造り上げられました。 再び力を与えられたパウロの宣教によって、隠された神の民が見出され、多くの信徒となって群れが造り上げられました。 これこそ、「教会の力」ではないでしょうか。 宣教は伝道者ひとりで、また信徒ひとりで進められるものではありません。 主イエス・キリストの働きに加えられて、進められていく神の業です。 その働きで傷ついた一人一人が、この群れの「神の愛にあふれた交わり」によって癒され、励まされていく。 伝道者として、信徒として造り上げられていく。 そのような群れでありたいと心より願います。



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