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「キリストがお書きになった手紙」 コリントの信徒への手紙二 3章1~3節

2016-08-07

 パウロの手紙には、パウロ自身のことを「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされた」と、事あるごとに主張しています。 当時の習わしでは、教会は宣教者のために推薦状を出して、その資格を明らかにしていました。 教会がその推薦状を、宣教者に求めることもありました。 パウロは、主イエスと地上での歩みを直接ともにしていたのではありません。 それどころか、キリスト者を迫害していた過去を持つ人でした。 ユダヤ人キリスト者たちからは、「パウロには何の資格もない」と批判的であったのです。 ですから、なおさらパウロは、「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされた」と言わざるを得なかったのです。 パウロは、「イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父」だけに依り頼んでいます。 自分自身の取り返しのつかない忌まわしい過去を乗り越えて、また、コリントの教会のうわべの弱さを乗り越えて、これから変わろうとしている新しい変化を見つめています。 ですから、パウロは「あなた方への推薦状、あるいはあなたがたからの推薦状が、わたしたちに必要なのでしょうか。」と問います。 「あなたがた」とは、コリントの教会の人たちのことです。 分派争いもある、躓きもある、弱さも露呈している、とても模範的な教会とは言えない存在です。 「わたしたち」とは、パウロであり、テモテのことです。 かつて誤った生き方をしていた、人々から批判を受けても弁解の余地のないパウロでした。 自分の弱さや破れをからだをもって知り尽くしていた人です。 そのパウロが、そのコリントの教会の人たちに向けて、「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。」と言うのです。 なぜ、パウロはコリントの教会そのものが、自分自身の何よりの推薦状であると言うのでしょうか。 
 パウロは、コリントの教会を今の状態がどうであれ、キリストに刻みつけられた教会として見ています。 「あなたがたは、キリストがお書きになった手紙です。」と言います。 手紙の差出人は、キリストです。 パウロは、ただ用いられただけです。 書かれている内容もまた、キリストの十字架と復活、キリストそのものです。 パウロは、コリントの教会の人たちに「キリストの手紙」にならなければならないと言っているのではないでしょう。 パウロは、「あなたがたは神の作品、キリストの焼印を身に受けている者」とまで言います。 かつての生き様がどうであれ、今の状態が目を覆うばかりのものであったとしても、パウロは「キリストが刻まれている者」、「キリストの手紙」として、もう一度新しく見出していこうとしています。 なぜなら、その手紙の差出人も、その内容もキリストであるからです。 「キリストがお書きになった手紙」として赦されて、そこにあるからです。 キリストのみ言葉とお働きによって、いつでも新しく変えられていく存在であるからです。 コリントの教会の人たちが未だ見えていないものを、すでにパウロは見出しています。 弱さを映し出しているコリントの教会こそ、キリストが働く「キリストのお書きになった手紙」として確信しています。 多くの人を救いに招くために、その弱さも破れも用いてくださると確信しているからです。 未だ見えていないものを見出すパウロの信仰が、コリントの教会のうえに新しくなされる創造の業を導いています。 ですから、私たちもまた恥じることなく、遠慮することなく、試みの中でも、弱さの中でも、もがきながらも、未だ見えていない望みや恵みを、信仰によって、祈りによって見出していきたいと心から願います。



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