秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「生きた教会とは」  使徒言行録9章26~31節

2016-05-15

使徒言行録は、イエスのそば近くにあってイエスがどのようなお方であるのかを直接見てきた使徒たちが、イエスが天に戻られた後、どのようにして群れをつくっていったのか。 その使徒たちが宣教し、信者を仲間に加えていったその姿と、加えられていった信者がどのような教会生活、信仰生活を送っていったかを語っています。 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を得る。 そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」 このみ言葉から最初の教会の宣教が始まり、初めは12人の使徒たちから、その後、ステファノ、フィリポ、パウロなどを通して多くの信徒たちが加えられていきました。 9章31節に、「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。」とあります。 ステファノは石を投げつけられ殺された最初の殉教者でした。 フィリポは素晴らしい働きをしたサマリアから、寂しく何もない、荒れ果てた地に主に従って遣わされて行った者でした。 パウロはキリスト者を迫害する指導者から転換し、キリスト者の群れの働き人となったが、なかなか人びとに受け入れてもらえなかった者でした。 しかし、これらのキリスト者の戦いの中にあっても、新しく立ち上がった生まれたての教会は、「一つの教会」(エクレシア)として、「平和を保っていた」というのです。 「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」とイエスが約束された平和とは、「この世が与えるような平和ではない。 心を騒がせるな。 おびえるな。」と言われた平和です。 戦いの中、悩みの中、心騒がせる中にこそ与えられる「イエスにある平和」です。 イエスと共にある、このお方によって救い出されたという確信の中に、「一つの教会」となって「平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった」のです。 たくさんの信者が群れに加えられたサマリアを、フィリポは離れたくなかったでしょう。 しかし、フィリポは何が何だか分からない状態でも、「行け」と言われる主のみ言葉に従うのです。 そこに、フィリポと同じように主が働きかけ、導き出した人物に出会うのです。 この二人の交わりの幸いは、「主を畏れて」従ったことによって与えられたものでした。 主が導いたその場所でバプテスマが起こされ、新しい宣教の道が開かれていったのです。 最初の群れはこのことが分かるまで、「聖霊の慰めを受けていた」と表現されています。 ステファノが自分に石を投げつけている人びとに、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と祈る姿を失わなかったのも、パウロがまったく正反対の働きに導かれ、受け入れられなくても「ますます力を得てイエスが救い主であることを論証し、ユダヤ人たちをうろたえさせた」のも、聖霊の慰めがあったからでした。 生まれたての教会がユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方にまで拡がっても、「一つの教会」としてイエス・キリストの平和の中に保たれていた。 人を恐れることなく、主だけを畏れて、主に従い、主のみ心だけを尋ねていくことができた。 どのような戦い、悩み、恐れ、煩いの中にあっても、彼らはよみがえられたイエス・キリストの霊によって慰められていた。 この土台が固められ、教会は発展し、信者の数が増えていったと語っているのです。 この聖霊が注がれた使徒たちの宣教を通して、その使徒たちの証言である聖書のみ言葉を通して、今もなお、私たちをそばに呼び寄せ語ってくださっています。 どうにもならなかった私たちをつくり変え、生まれ変わらせてくださっています。 その一人一人の群れが、今日の教会となっています。 その土台は、イエス・キリストであり、このお方に対する私たちの信頼です。



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