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「キリストの出来事」 ローマの信徒への手紙8章12節~17節

2015-10-25

 ヘブライ人への手紙1章1節に「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」と書かれています。 御子であるイエス・キリストは、終わりの時代に語られた神の御言葉であると言っています。 ナザレの人イエスは確かに、人間として誕生し、家族をもち、死を迎え、墓に葬られました。 しかし、そのイエスの死は、私たちの罪のためでした。 そのイエスの復活は、父なる神がお与えになる人を一人も失わないで、終わりの日に復活させるという父なる神の御心のためでした。 そして、その御心の通りに従順に子なるイエスが歩まれたから、このイエスの出来事が私たちの救い、希望、キリストの出来事となったのです。 イエスの誕生からその死に至るまで、そして死んだ後、よみがえられて霊なる体をもってこの地上で働かれる、これらすべてのことが父なる神の御心、神の救いのご計画でした。 
 しかし、パウロは、十二弟子のように、このイエスの出来事を共にしたわけでも、直接見聞きしたわけでもありません。むしろ、このイエスを信じる者たちを告発し、捕らえていた中心人物でした。 パウロは、自分がもっとも大切にしていた律法をないがしろにするキリスト者たちに、我慢がならなかったのでした。 そのパウロに呼びかけたのが、すでによみがえられて霊なる体となられたイエス・キリストでした。 ご自分を迫害するそのパウロを用いて、ご自分を救い主として宣教する者へと立ち上がらせたのです。 ですから、パウロの伝えるイエスは、自分の中にいて生きておられる霊なるお方なのです。 パウロは、「わたしは、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていた」と言います。 自分が体験した霊なるお方、自分の中に生きて働いておられる復活されたイエス・キリストを宣べ伝えたのでした。 パウロにとって、自分のうちにイエスがおられることと、神の霊が自分のうちに宿っていることとは同じことであったのです。 パウロは、私たち直接イエスの姿を見ていない者の代表として、霊なるイエス・キリスト、十字架につけられたままのイエス・キリストを語ったのでした。 この「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。」「あなたがたは、神の子とする霊を受けたのです。 この霊によって、わたしたちは父よと呼ぶのです。 この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。」と、パウロは言います。 神の子とする霊を受けた者は、イエス・キリストというよみがえられた霊との交わりに入るようになる。 「父よ」と呼びかけることが赦される特別な関係になる。 この約束のみ言葉によって、イエス・キリストだけに用いられた「神の子」という称号が、イエス・キリストにあって私たち信じる者にも与えられたのです。 パウロは、「あなたがたは神の子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。」と言っています。 ナザレのイエスは、キリストです。 ナザレのイエスの誕生も、生涯も、そしてその死もすべて、神のご計画の中にあるキリストの出来事です。 初めに言葉によって世界を造られた神が、終わりの時代にキリストの出来事によって私たちに救いのみ言葉を語られたのです。 そして、キリストのゆえに、キリストによって神の子となった私たちが、神の相続人、しかもキリストとの共同相続人になると言います。 キリストとともに、死んでよみがえる。 このキリストに結ばれた者、ひとつにされた者、新しい人間として創造された者が、神の相続人、朽ちない霊なる命をもつ者となるとパウロは語っています。



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