秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

キリスト教や聖書、結婚式や葬儀も相談できるキリスト教会です。

「復活からの道」   ルカによる福音書24章28~35節

2014-05-11

 イエスご自身は「旅人」でした。 神のもとから遣わされるという生い立ち。 人間のからだを引き受けてくださって、この地上の30数年の生涯を歩んでくださった。 喜びも、悲しみも、苦しみも、私たちと同じように味わってくださった。 「人間の死」もご経験してくださったが、人間では果たすことのできない「よみがえり」という道を初めて切り開いてくださった。 ついに、復活の命を携えて神のもとへ戻られるという地上の旅人でした。 私たちは、この旅人イエスの「証し人」として、イエスの旅を引き継いで歩む者とされています。 このことが可能となったのは、復活の主が私たちに現れくださって、神ご自身がそのことを「証し人」を用いて書き記してくださったからです。 
 イエスが殺されてすべてが終わったと諦めてしまった二人の弟子が、その殺された場所を離れてエマオの村に向って歩いていました。 過去に囚われたまま、落胆と絶望のなかを暗い顔をして話し合いながら歩いていたのです。 この二人の弟子たちのエマオへの旅に、復活されたイエスが近づいて来て、語りかけ、一緒に歩いてくださったのです。 弟子たちは、見知らぬ人に話をかけられ、励ましの聖書の説き明かしを受けたのです。 二人は、イエスに「一緒にお泊まりください」と無理強いをしました。 なおも先を急いでおられたイエスは、あれほど道すがら説き明かしをしたにもかかわらず、イエスであることが分からなかった弟子たちの願いに応え、一緒に泊るために家に入られたのです。 その泊った家で、一緒に食事の席についた時です。 イエスは客人としてではなく、家の主人として「パンをとり、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて」彼らにお渡しになりました。 その姿に、弟子たちはイエスの姿に気がついたというのです。 ここでイエスが復活の主であることが分かるまでには、イエスの方から近づいて来て、一緒に歩く、話しかける、説き明かしをする、一緒に泊るために家に入る、主人として振る舞う、一緒に食事をする。 これほどまでに、イエスは、私たちを追いかけてくださるのです。 これが二人の弟子たちのエルサレムからエマオまでの旅でした。 
 ところが、目が開かれた二人の旅は、ここで終わらないのです。 時を移さず、エルサレムに戻ったとあります。 イエスがなおも先へ行こうとされたように、弟子たちもまた、新しい旅を歩み始めたのです。 もう一度、危険のともなうエルサレムへ戻る旅でした。 戻ってみると、仲間が集まっていた。 仲間が、本当にイエスは復活して現れたと証言していた、 自分たちもまた、エマオへの旅のなかで現れたこと、パンを自分たちのために取って、賛美の祈りを唱え、裂いて渡してくださったことを証言したのです。 この証言の集まり、祈り合いの集まりの真っ只中に、後に、父なる神が聖霊を降して私たちの教会を据えられたのです。 自分たちが決めて、一旦、向った「エマオへの旅」でした。 イエスに失望して、イエスのもとを離れた二人の旅でした。 その旅人に、復活の主は追いかけてくださった。 そのお方こそが、よみがえられたイエスであると知る信仰を二人は与えられたのです。 自分の目的地ではなく、新しい目的地を目がけて旅立つ「エマオからの道」、新しい生きる力を与えられたのです。 今も生きておられるイエスに祈られている、守られている、招かれている。 そのことをからだで知らされたのです。 エマオまでの道のりは、たとえ悲しく困難な道であったとしても、二人にとってこの復活の主に出会うまでの大事な旅でした。 新しいもう少し先へ踏み出す力、「エマオからの道」が与えられるのです。



バナー
バナー

お知らせ

過去の記事



〒010-0917
秋田市泉中央3−2−1
TEL/FAX 018-862-5357(教会)
TEL 018-863-4228(幼稚園)
牧師 村上悦二
協力牧師 渡部元