秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「生きた水、渇かない水」   ヨハネによる福音書 4章1~15節  

2014-02-02

 イエスは、サマリアをどうしても通って行く理由がありました。 ユダヤ民族の信仰の父アブラハムに連なる族長「ヤコブの井戸」があるところに留まって、ひとりの人物を待っておられました。 イエスが待っておられたのは、サマリア人でした。 その「ヤコブの井戸」に水を汲みにきた女性でした。 ユダヤ人とサマリア人は、まったく交友をしない時代です。 厳格なユダヤ人なら、女性に声をかけることもなかった時代です。 イエスは、そのことにまったくこだわりません。 「わたしに、水を飲ませてください」 旅の疲れに身をかがめて、井戸の水を求める者の姿をとって、その女性に語りかけたのです。 「どうして、ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、水を飲ませてほしいと頼むのですか」 当時では、当然の疑問でした。 しかし、イエスは彼女のことをすべてご存知でした。 時は、暑いさなかの正午ごろです。 井戸から一日分の水を汲み上げるのは、女性たちの仕事でした。 朝早くその水を汲むのが日課でした。 真昼間に、この井戸のもとに来る者などいない筈です。 そこに、イエスは座って待っていたのです。 「どうしてユダヤ人のあなたが」「どうして男のあなたが」と、彼女は常識に囚われます。イエスは、この井戸とは違う「生きた水」を与えると言います。それでも、「どうして、何も持ち合わせていないあなたが」とこだわります。 自分たちが大切にしてきた「ヤコブの井戸」にこだわります。 イエスはヤコブの井戸を指さして「この井戸の水を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲むものは決して渇かない。」と言うのです。 この時間に、人目を避けて水を汲みに来なければならない彼女の理由をご存じです。 イエスは、ひとりの罪人に出会うために「サマリアを通らねばならなかった」のです。 イエスの前に、避けて事情を隠そうとする彼女の姿が引き出されていきます。 諦めとこだわりの中に埋もれていた彼女が、イエスの前に立ち続けます。 次第に、彼女の中に「生きた水、渇かない水」をくださいという願いが芽生えます。 そして、ついに、今、あなたと話をしているのが「あなたの言うキリストと言われるメシアである」「わたしである」とイエスは言われたのです。 私たちが、「生きた水、渇かない水」を本当に願うなら、このイエスの前に身を運んで行く。 イエスの前に立ち続ける。 自分のすべてを隠さないで、ありのままに差し出す。 イエスは、忍耐して、待ち続け、語り続けてくださるのです。 どうしても、イエスはサマリアを通らねば、そこに留まらなければならなかったのです。 たったひとりの罪人に出会うためです。 イエスに出会うということは、イエスのもとから離れようとする自分、自分を隠そうとする自分にやっと気づくことではないでしょうか。



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