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「イエスとの交わり」   ヨハネの手紙一 1章1~4節  

2013-10-06

この手紙の送り主が冒頭に、私たちが命をかけて伝えているものは「初めからあったもの」である。 「私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」であると言います。 そのようなものを、私たちは証しして伝えているのだと主張します。
 この手紙の送り主は、あのイエスにそば近く寄り添った使徒ヨハネと言われています。 私は、からだをもったイエスにお仕えした。 そのイエスが語られた言葉を聞いた。 痛みも、悲しみも、私たちと同じように味われたお方に触れた。 そのお方が十字架に死なれ、三日後によみがえり、私たちの前に現れてくださったのを私は見つめたのだと言います。 そのヨハネがこのお方は「初めからおられた」お方です。 そのお方が私たちのところに現れてくださって、私たちが「触れることのできる」お方となられたとここに告白しているのです。
 復活されたイエスは、疑う弟子たちに言われました。 「わたしの手と足を見なさい。 まさしくわたしだ。 触ってよく見なさい。」 そのイエスの声を使徒ヨハネは聞いた。 姿を見た。 復活した傷跡のあるイエスをよく見つめ、手で触れたと証言しているのです。 イエスは、使徒ヨハネを通して語ります。 「わたしは復活であり、命である。 わたしを信じるものは死んでも生きる。 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。 このことを信じるか。」と私たちに語りかけています。 
 使徒ヨハネは、改めてあなたがたにこのことを伝えるのは、「あなたがたもわたしたちとの交わりを持つようになるためである。」 「父なる神と子なるイエス・キリストとの交わりを、あなたがたがもつようになるため」であると言うのです。 「交わり」とは、分かち合ってもつという言葉です。 復活されたイエス・キリストの命を、私たちが分かち合ってもつということです。 この命に与かる。 このキリストのからだに、私たちがなるということです。 すでにあるこの父と子の「神の交わり」に、私たちが加えられるということです。 私たちが交わるために集まるのではありません。 よみがえりの主が、この「神の交わり」に加えようと赦して招いてくださるから集められるのです。 傷跡の残る私たちの群れにこそ、このよみがえりの命に触れる「交わり」を私たちに用意してくださっているのです。



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