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「新しい生き方」   エフェソの信徒への手紙5章1~5節  

2013-08-04

 この手紙が書き送られた時代には、イスラエルはすでに崩壊していました。 一方、ローマ帝国は、安定や豊かさへと向って行く時代でした。 このローマの安定と豊かさという繁栄に浸り切った人々は、良からぬ行いや、飽くなき豊かさを得るための汚れた行いへと向って行きます。 今朝の聖書箇所には、「無限に豊かさを追い求めていこうとする貪欲さ」と、「そのために知らず知らずのうちに、神ならぬ者に頭を下げていく偶像礼拝」が浮き彫りにされています。 「みだらなこと」、「汚れたこと」、「卑猥な言葉」、「愚かな話」、「下品な冗談」という表現が相次いで出てきます。 
しかし、手紙の送り主は、すでに救われたあなたがたは違う。 これらのものとは離れて生きているはずである。 あなたがたは、古い生き方を捨てて新しい生き方に生きるようになっている。 新しい人を身に着けて歩むことができるようになっている。 風潮や目先の事情に動かされない確かな礎に立つようにと勧めているのです。 そうであるのに、エフェソの信徒の人々は、ローマの安定と豊かさのなかで、いつしか自分の豊かさを求めるようになった。 神を知らない者たちと同じような生き方になってしまった。 しかし、手紙は語ります。 「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。」 「あなたがたも、神によって与えられる愛によって歩みなさい。」とだけ言います。 父なる神が、私たちを子供として愛してくださっているように、何者にも動かされない「神の愛」によって歩みなさいとイエスは言われるのです。 聖書は、「あなたがた救われた者は、神から新しく生まれたものです。 新しく生んでくださったお方を信じて愛する者は皆、そのお方から生まれた者をも愛するのです。」とはっきり語ります。 神の賜物として与えられるこの「神の愛」を確かな礎としてあなたがたは歩みなさいと手紙は語るのです。 
この手紙の送り主は、神から与えられるこの神の愛によって踏み出す時に、「感謝を表しなさい」とひと言付け加えています。 私たちは、手にしたくない、見たくもない、受け取りたくないものがどうしてもあります。 神から与えられたものに、素直に感謝することができません。 私たちは、目の前に差し出された嫌なもののために、神に感謝することができないのです。 しかし、救われた私たちは、神がおられること、神が生きて働いておられること、今までと変わらず愛し続けてくださることを信じることはできます。 与えられたものを神に感謝することが難しい時でも、必ず真実を貫いてくださる愛の神を感謝することはできるのではないでしょうか。 神を感謝する。 神を信じる。 これこそ、私たちの礼拝、賛美、祈り、献身です。 救われた私たちは、神がこの祝福に招いておられる全ての者のために、新しく遣わされるのです。 



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