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「イエスの苦しみと栄光」   ルカによる福音書 9章28~36節  

2013-03-03

 イエスは、「この話をしてから」ペトロとヨハネとヤコブを連れて、「祈るために山に登られ」ました。 ルカは、イエスが何か重要な決断をする時には「イエスの祈る姿」を強調します。 イエスは、ご自分が「必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」ことを、初めて予告します。 エルサレムに凱旋するイエスの姿を思い浮かべながらついてきた弟子たちには信じられない事柄を話し、それでも、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われたのです。 そのことを話し終えてから、イエスはペトロとヨハネとヤコブを連れて、山に祈るために登られたのです。 その山で、ペトロたちは不思議な光景を見ました。 イエスが祈っているうちに、その顔の様子が変わった。 来ている衣服が真っ白に輝いた。 これからイエスがエルサレムで成し遂げようとしていることを、モーセとエリヤとともに語り合っていたのです。 イエスに変化が起きたのは、ひたすら父なる神に祈っている時でした。 イエスはすでに、神から歩むべき道を告げられていた。 ご自身の十字架の道をみことば通りに歩むならば、父なる神の祝福が与えられることも分かっていた。 従順にそのみこころに従うならば、救いの業を成し遂げることになると弁え知っていた。 しかし、イエスは、父なる神から捨てられる耐えがたい本当の苦しみ、到底私たちが知ることのできない罪の結果としての死の恐れを背負って歩む前に、ひたすら祈っていた。 これから山を降って、エルサレムへの苦難の十字架への道を歩み始める前に、イエスは父なる神に力と励ましを求めて祈っていた。 そのイエスに、栄光の輝きが覆ったのです。 イエスはこの祈りによって、その歩みにふさわしい力と励ましを父なる神から受け取ったのです。 驚くべきことに、この十字架の歩みの最後にも、この時と同じようにペトロとヨハネとヤコブを連れて、イエスは祈るために山に登りひざまずいて祈っているのです。 ゲッセマネの祈りです。 イエスは、おぼろげにしか見ることのできない、また、目を覚ましていることもできないペトロとヨハネとヤコブを、ご自身の祈りの証人としてともなってくださったのです。 輝かしい栄光は、この苦しみの中に結び合わさっている。 しかし、その中を、祈りによって最初から最後まで歩み続けたイエスの生涯の姿が、この弟子たちの体に刻みつけられたのです。 教会の群れは、この苦難と栄光の結びあったイエスの祈りの姿から、どれほどの深い慰めと力強い励ましを受けただろうかと思わされます。 その時、弟子たちに「これはわたしの子、選ばれた者。 これに聞け」と言う神の声がします。 ペトロたちが山で一瞬見ることのできた神の栄光の光景は、雲に覆われて山のふもとでは見えなくなってしまった。 「イエスだけがそこにおられた」のです。 見えているのは、イエスのお姿とみことばだけです。 だから、神は「イエスに聞け」と言います。 先立って祈り歩み続けるこの主イエスに励まされて、私たちは生かされていくのです。



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