秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「信仰がなければ知ることのない誘惑」 ルカによる福音書4章1~13節

2013-01-13

荒れ野に、悪魔という存在がイエスを待ち受けていました。 そこには、悪魔とイエス以外には誰もいません。 悪魔に与えられたイエスを誘惑する時間は、40日間です。 「神の子なら、その力を使って石をパンに変えてみろ。 民衆が神の子メシアに期待している、目に見える業を起こしてみろ。」と、悪魔がしたたかに迫ります。 イエスは、「人はパンだけで生きるものではない」と聖書に書いてあると応じます。 更に悪魔は、イエスを高く引き上げて一瞬のうちに世界のすべてを見せて、「わたしに任されている、この国々の一切の権力と繁栄を与える。 だから、わたしを拝め」と、迫ります。 ここでも、イエスは「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と聖書に書いてあると応じます。 すると悪魔は、「神の子なら、ここから飛び降りたとしても、神が必ず守ってくれると聖書に書いてある。 だから、イエスよ、飛び降りてみよ。」と、聖書の言葉を用いて迫ったのです。 ここでもイエスは一貫して「あなたの神である主を試してはならない」と書いていると答えます。 イエスが、試みに会われたのは、バプテスマを受けて聖霊に満たされて、ヨルダン川から戻って来た後のことです。 荒れ野に導いたのは、この聖霊です。 それは、人間の体をとってくださったイエスが、人間の弱さを知り、神のみこころを知るため、神のみこころに沿う者として整えられるためでした。 神のご計画の業であった「荒れ野」の試練を、イエスが、聖霊に導かれて神に従って、自ら進んでお受けになったということです。 人間の弱さにおいて、神の強さにおいて、この悪魔の試みに会っていただいたのです。悪魔は、イエスが神の子であることを認めています。 ですから、何度も「神の子なら」と迫ったのです。 聖書の言葉を駆使して、迫ったのです。 イエスにとって、迫られた試みはすべて容易にできることばかりです。 悪魔は、「神の子」なら簡単にできることを知って巧みに誘うのです。 人間の弱さを知っているからこそ、神の力の偉大さを知っているからこそ分かる、霊的な戦いなのです。 イエスの「神の子」としての戦いは、神のもとにあった人間を引き離す力との戦いです。 イエスは、悪魔の試みの中を、神への祈りと神のみことばをもって、神から離れることのない人間の姿を守ったのです。 私たちは、神の力の大きさや広さや恵み深さをもっと知る必要があります。 それと同じぐらいに、誘惑する者の力の限界や巧妙さや周到さもまた知る必要があります。 悪魔は、「私にひざまずくなら」と言います。 神は、私たちにご計画によって試練を与え、この悪魔の前にひざまずいている私たちのみじめな姿を知らせてくださるのです。 その姿は、聖霊によって悔い改め、示されなければ見ることのできない姿です。 試みは、神のみ手と神のご計画の中にあることです。 私たちは、このことに気づかされた神に祝福された者なのです。



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