秋田バプテスト教会 |公式ホームページ

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「主を待つともし火の油」 マタイによる福音書25章1~13節

2012-11-18

 当時のユダヤの結婚式は、夜に、花婿が花嫁の家に迎えに行きます。 花婿が花嫁の家に伺う前に、先立って花婿の友人が「さあ、花婿だ。 迎えに出なさい。」と言うと、花嫁の友人たちがそろって出迎えるというのが常であったようです。 ここに、花婿を迎える十人のおとめの姿が描かれています。 おとめたちは、それぞれに手に「ともし火」を持って花婿を待ちわびています。 ところが、花婿が来るのが遅れたので、皆、眠気がさしてきます。 彼女たちがうっかり眠り込んでしまったその時に、「花婿だ。 迎えに出なさい。」と叫ぶ声がかかります。 おとめたちは急いで起き上がって、それぞれの「ともし火」を整えたとあります。 十人のおとめに違いが出たのは、その時です。 「ともし火」とともに、「壺に入れた油」を用意していたおとめがいたことです。 皆、それぞれに「ともし火」を手にしていた。 皆、眠り込んでいたから、「ともし火」が消えそうになっていたことに気がつかなかった。 皆、目を覚まして初めて、そのことに気がついた。 しかし、「壺に入れた油」を用意していたおとめは、「ともし火」を燃やし続けることができ、花婿とともに家の中で婚宴に与かることができたと、イエスはたとえを語ります。 イエスは、おとめたちを賢い者と愚かな者と区別するためにお話になったのではありません。 イエスは、ご自身を婚礼の際の花婿にたとえてこられました。 婚礼の時に花婿が到着する様を、これから訪れる救いの時であると語ってこられました。 すべてのおとめは、花婿を待ちわびていた。 花婿を迎え入れるために、「ともし火」を与えられていた。 残念ながら、睡魔に襲われ、すべてのおとめが眠り込んでしまった。 「ともし火」が消えそうになっているのに気がつかなかった。 夜も更けて眠りにつくような時、「ともし火」が消えそうな時、「ともし火」が消えそうになっているのに気がつかない時に、イエスは世の光として、人々の前に輝かしなさいと言います。 わたしたちには、「ともし火」という信仰を与えられています。 与えられる油をきらさず、今も新たに燃やし続けなさいとイエスは諭します。 再び来られるイエスを待ちわびる、イエスを知り「ともし火」を託されたわたしたちに、語られた戒めです。 わたしたちは、このたとえから、どうしても最後になって間に合わせることができないものがある、その時に持ち合わせていないと間に合わないものがあることを知らされます。 人から借りてくる、どこからか買って来て間に合わせるものでもない。 用意しておく油は、外からは目に見えない部分です。 主イエスを待ち望むわたしたち自身の信仰の姿が問われています。 イエスは「だから、目を覚ましていなさい。 あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」と、わたしたちを励まします。 



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