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「信じる者の祈り」マルコによる福音書 11章20~25節  

2012-07-08

 いちじくの木が根元から枯れている姿を見つけて、ペトロはイエスのみことば通りになったと心から驚きました。 イエスは、このいちじくの木の教えの直前に、エルサレムの神殿から激しく怒って商人を追い出しています。 イエスは、エルサレムの神殿が、物の売り買いの場、強盗の巣になっている。 すべての者の祈りの家と呼ばれるべきであると嘆きました。 もともといちじくの木は、イスラエルの姿を象徴するものでした。 イエスは、エルサレムの神殿の有様に嘆いておられるように、イスラエルが実を結ばない枯れた姿をさらしていることに、心から嘆いておられるのです。 そのイエスの孤独な嘆きに気づかず、ただイエスのみことば通りになったことだけに目を奪われている弟子たちに、「神を信じなさい」、「祈り求めなさい」と語りかけたのです。

 あなたがたは、「いちじくの木」や「エルサレムの神殿」と同じようになっていないかと、イエスは弟子たちに迫っているのです。 自分たちこそ、すべてを投げうってイエスに従ってきたと自負する弟子たちです。 その弟子たちに、イエスはなおも「神を信じなさい」と言っているのです。 選ばれた民であるという血筋だけの信仰、宗教的な営みを行っているという形だけの信仰ではなく、神のためにふさわしい実を結ぶ信仰を強く求めておられるのです。 イエスは、信じるならばその祈りはその通りになると言います。 旧約聖書が語るイスラエルの民と神との関わりは、受けるに値しないイスラエルの民が、ただ神の慈しみと神の真実によって、一方的な神の祝福と恵みに与かるというものでした。 信仰とは、この神の慈しみと神の真実だけに基づいて生きて行くことです。 必ず成し遂げるという神の真実に裏づけられたみことばの確かさだけが、わたしたちの信仰の確かさなのです。 イエスは、もうひとつ祈りに加えます。 「赦しなさい」という言葉です。 イエスは、「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、その供え物を献げなさい」と言います。 祈りは、ささげものです。 兄弟を赦さずして、神の前に立つことも、神にささげることもできないのです。 人を赦すことによって神から赦された者として祈ることができるのです。 信じて祈るとは、神の確かさだけを拠り所とし、赦して祈るとは、神の恵みの場で赦されて祈るということです。       



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