「アドベントとは」 ペトロの手紙一1章3~9節
手紙の差出人は、「イエス・キリストの使徒ペトロ」です。 イエスの地上の歩みを共にした12弟子の一番弟子であるペトロです。 手紙の名宛人は、「小アジア各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たち」です。 ローマ帝国の激しい迫害のもと、離散させられ異教社会の中で肩身の狭い思いをしている最初の頃のキリスト者たちの小さな群れです。 彼らをペトロは、「神のご計画、神のみ心」に結ばれて用いられている「選ばれた人たち」と表現します。 パウロの投獄、処罰を受けて、パウロが開拓した小アジア地方の信徒たちに向けて、同じ迫害の苦しみの中にあるペトロ自身が書き記した「励ましの手紙」です。 その冒頭の言葉が、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。」という言葉です。 互いに過酷な状況にありながらも、神への賛美によって始めるのです。 「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」(ネヘミヤ8:10)と言われているとおりです。 ペトロは散らされ苦しんでいる人たちに、「神の豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせてくださったではありませんか。 死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与えてくださったではありませんか。 あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださったではありませんか。」と呼びかけます。 このように訴えるかつてのペトロを思い起こしてみてください。 イエスの中心的な弟子であったにも拘わらず、こともあろうに慕っていたイエスを裏切り、逃げて、知らないと三度も口を閉ざし、悔いて閉じこもって絶望の中にいたペトロです。 そのペトロに復活されたイエスが、「わたしを愛するか」と三度も直接尋ね、「わたしの小羊を飼いなさい。 わたしの羊の世話をしなさい。」とすべてを赦し、絶望の中から救い出したのです。 「わたしはあなたのために、信仰がなくならないように祈った。 だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)と言われ、涙を拭いながら立ち直らせていただいたのです。 そのペトロが、「終わりの時に準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。 それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいる。」とまで語り、失意の中にある散らされた信徒たちを励ますのです。 「今しばらく、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれません。」と言い、そこでは与えられている信仰が「火で精錬される」ように吟味され、日々注がれていく。 「イエス・キリストが再び現れる時」には、その試練に磨かれた「信仰」がキリストの栄光を現わすまでに照らされると言います。 散らされ苦しむ人たちの姿を、「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。」と表現するのです。 蔑まれ、辱めを受けても、いずれ与えられるであろうすでに準備されている「救い」を見据え確信をもって今を生きる。 解決の出口は一切見えていないけれども、言い尽くせないすばらしい喜びに浸りながら生きる姿に見える。 いずれその「救い」の時がくることを信じている。 希望をもって待ち続けている。 もうすでに「信仰の実りとして魂の救いを受けている」とまで言うのです。 アドベントの時こそ、人となって地上に来られ、十字架の上で贖いを成し遂げてくださって、天に引き上げられたイエス・キリストがこの身に出会って内に宿ってくださるよう待ち望みましょう。 やがて再び来られ神の恵みの世界を完成してくださるイエス・キリストを信じて待ち望みましょう。 待つこと、信じること、期待することを「神の確かさ」と「私たちの小さな決断」をもって希望を先取りしましょう。
[fblikesend]「新しい時に満たされて」 ルカによる福音書5章33~39節
「あなたの弟子たちは断食もしない、飲んだり食べたり」していると、イエスに向けて批判する人々がいます。 「ファリサイ派の人々、律法学者たち」です。 当時のユダヤ教徒たちは、一日3回の祈り、週2回の断食、十分の一の献金をささげることが常識でもありました。 神の国に入るため、神の裁きを免れるためでした。 むしろ、断食して祈ること自体が見せる祈りの姿、最終目的となって、ユダヤ主義の伝統となってしまっていたのです。 イエスは彼らの批判に、「婚礼」のたとえをもって応えます。 「花婿」に出会う時が訪れた。 そのために招かれた「客」として、互いに喜びを分ち合う特別な時がきた。 神の国が「婚礼」に譬えられ、イエスが「花婿」に譬えられ、私たちが祝宴に招かれた「客」に譬えられているのです。 「喜びの時がきた」と同時に、「断食して祈らざるを得ない時がいずれやってくる」とも言われる。 「花婿」であるイエスが奪い取られる時がくると、ご自身の十字架の受難をこの「譬え」をもって予告しておられるのです。 これは、「神のご計画、神のみ心」である。 断食や祈りの果てに、神の国があるのではない。 イエス・キリストの十字架の死と復活のもとにある。 神の赦しと救いのもとにある。 「新しい服、新しい布切れ」とは、イエスによって用意された新しい恵みの生活、イエスに出会うことができた、イエスとこれから後ともにあるという新しい恵みの生活でしょう。 「古い服、布切れ」とは、人の造り上げたものに縛られ、人の造り上げた「正しさ」に閉じ込められた今の生活でしょう。 神の国に入る人は、この招きに応えて、同じ食卓に着き、喜びを分かち合う人たちである。 この新しい恵みの生活の中味である「新しいぶどう酒、それを入れる新しい革袋」を感謝して受け取り、満たされなさい。 新しい命に委ねて生きなさい。 しかし、そのイエスが見えなくなる時が来るかもしれない。 本当の喜び、感謝、希望がわき上がってこない時がくるかもしれない。 かつての古い生き方に戻ってしまったのではないかと思わされる時がくるかもしれない。 神などいるのだろうかと思わされる時がくるかもしれない。 しかし、私たちはもはや、「新しい服、新しいぶどう酒」が備えられていることを知らされています。 イエス・キリストの十字架のゆえに、向きを変えて再び立ち帰ればよいのです。 信仰は、その都度最もふさわしい時にいつも新しく注がれるのです。 そのために神に向かってなされる断食であり、祈りであるはずです。 イエスにその都度招かれて、それに応えて食卓に着くことです。 その時の私たちの状態がどのようなものであるのかは問題ではない。 イエスと再び出会い、イエスと共にいるという現実の実感が、新しい恵みの世界です。 神ご自身が働いて、古いものを突き破って現れ出てくださる、それが「新しい服、新しいぶどう酒、新しい革袋」の姿なのではないでしょうか。 私たちの常識、経験、築き上げられた品性や性格、知恵や技術や心構えなどの「私たちの思い、私たちの計画」を遥かに超えた「神のみ心、神のご計画」なのです。 「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています」(コロサイ2:3)と言われるイエス・キリストに出会うこと、触れること、味わうことです。 この体験をすることによって、私たち自身の愚かさ、弱さ、貧しさに気づかされるのです。 「人間の思い、人間の計画、人間の力」では得ることのできなものです。 「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神である。」(フィリピ2:13)のです。 信じることができないようなことを、「神のご計画、神のみ心」のゆえに信じることができるようになるのです。 神を畏れず、「自分の正しさ、自分の計画」の側に立たないで、「神の側に立つ者」としていただきたいのです。
[fblikesend]「神とキリストの恵みと平和、神の栄光があるように」ガラテヤの信徒への手紙1章1~10節
パウロの記した数多くの手紙には、共通している「挨拶」の言葉があります。 今朝の聖書箇所にある「わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」という祈りの言葉と、「わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように。」という祈りの言葉と、「イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」という自己表現の言葉です。 この頃のキリスト者の福音宣教には、大きな障害がありました。 ユダヤ教からの迫害により、キリスト者たちはエルサレムから離散させられていきました。 その一方で、この小さなキリスト者の群れの中では、先祖からの伝承である律法を大事にするユダヤ主義的なキリスト者との戦いがあったのです。 割礼を受けなければ救われない、異邦人と一緒に食事をすることはできないなど、律法の戒めに縛られていたユダヤ人キリスト者たちとの戦いがあったのです。 イエスの12弟子でもない、生前のイエスを知らないはずのパウロ、エルサレム教会からの推薦状もない、何の権威も与えられていなかったパウロを、彼らはどうしても神から遣わされた「使徒」であると受け入れることができなかったのです。 律法を守るということに熱心でないパウロの語る福音、行いによらずただイエス・キリストを信じる信仰だけによって救われるとする福音を受け入れることができなかったのです。 これらの批判にパウロは一向に引きません。 「神がわたしを、母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった。」とまで言います。 パウロの語る福音は、「人を救うのは神である。 私たち人間の側の行いが、人を救うのではない。 人の権威が人を救いに導くのでもない。 神の働きがなければ人を救うことなどできない。 神はご自身のみ心を果たそうと、イエス・キリストを遣わして私たちを救い出そうとされた。 イエス・キリストは神のみ心を悟り、与えられた地上の生涯を父なる神に従順に従おうとされた。 私たちの過ちのためにご自身を捧げてくださって、私たちに替わって神の裁きを引き受けてくださった。 神はこうして、主イエス・キリストの恵みと平和へと招いてくださったのだ。」というものです。 この父なる神を、「キリストを死者の中から復活させた父である神」とパウロは表現するのです。 このイエス・キリストの十字架の死と復活に現わされた福音が唯一の福音であり、別の福音に惑わされてはならないと警告するのです。 私たちの側の行いや状態に関係なく、ただ神の憐れみ、神の恵み、神のご愛により、受け取るにふさわしくない者が何の理由も資格もなくそのままの姿で神に引き受けていただくという「恵み」と「平和」を、この地上で赦される限り日々新しく受け取っていくのです。 「恵み」とは、キリストが十字架の死と復活によって与えてくださった神の裁きからの「赦し」でしょう。 「平和」とは、この世の「終わりの日」にしか味わうことのできない神の安息に憩うことをこの地上でも味わうことのできる「交わり」のことでしょう。 この神のもとから注がれる「恵み」と「平和」に満たされて生きるという確信が私たちの心の「平安」なのでしょう。 パウロは、人々からでもなく、人を通してでもなく、神によって召された者だと言います。 この手紙の結びの言葉に、「わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。 大切なのは、新しく創造されることです。 わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。」と結んでいます。 パウロが語ってきた福音の真理を曇らせる者に対する、「キリストの僕」としての激しい反発があります。
[fblikesend]「麦粒として死ぬのか、生きるのか」 ヨハネによる福音書12章20~26節
有名な「一粒の麦のたとえ」です。 問題は、この「一粒の麦のたとえ」が語られた時と背景です。 イスラエルの民がかつてエジプトから救い出された「救いの出来事」を忘れないようにと、神への賛美と感謝を捧げ続けてきた「過越の祭り」の時です。 十字架に架けられるためにイエスが自ら進んで、真のメシアの姿として「ろばの子」に乗ってエルサレムに入って来られた直後のことです。 「十字架の出来事の時」が来たことを悟り、自ら用意した最後の晩餐に弟子たちを招き一人一人の弟子たちの汚れた足を洗われ、「あなたがたは互いに足を洗い合わなければならない」と、最後の別れを告げた出来事の間に、ギリシャ人たちに語られたイエスの「たとえ」なのです。 エルサレムに巡礼していたギリシャ人たちが、「お願いです。 イエスにお目にかかりたいのです。」と、イエスの弟子であるフィリポとアンデレに掛け合います。 当時の社会では、異邦人の立場で直接イエスの前に出ることなどできないことを十分承知のうえで、それでも「イエスにお目にかかりたい」一心で願い出たのでしょう。 彼らの願いを後回しにして語られたイエスの言葉が、「人の子が栄光を受ける時がきた。」 「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。 だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」という「たとえ」であったと言うのです。 「人の子」とはイエスご自身のことです。 「一粒の麦が地に落ちて芽を出すこと」は自然界では当たり前のことです。 イエスは、「一粒の麦が地に落ちること」を、「一粒の麦が死ぬ」と表現します。 「芽を出して新しい命の営みが始まること」を「多くの実を結ぶ」と言います。 「わたしが栄光を受ける時がきた。 私に定められた予てより予告していた十字架の出来事が起こされる時がきた。 わたしの地上の命を差し出してその命が死んで失われるなら、地上に生きる多くの人たちが新しい命に生きることになる。 しばしの間、神を見失い、地上の目に見えるものだけに目や耳や心を奪われてしまったこの世に漂う存在が向きを変えて、神を求めて生きる霊性を取り戻し、神のもとへ戻っていく存在につくり変えられる。 わたしが十字架に架けられる姿こそ、父なる神の救いの業を映し出す姿となる。 神の栄光を現わす時となる。」と、イエスはこの「たとえ」を用いて「福音の奥義」を語っておられるのです。 そしてイエスは、「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」と付け加えます。 「愛する」とは執着する、「憎む」とは捨てるという意味合いでしょう。 そのままの姿に執着し、変わろうとしない私たちに替わって、私たちの愚かさや弱さすべてを背負って血を流し、死に定められた命を父なる神に委ねてくださった。 自ら帰ることも願い出ることもできない私たちを神ご自身が取り戻すために、御子であるイエス・キリストを献げなければならなかった。 十字架の出来事は、神の決断によって定められた「救いの時」でもあり、神ご自身の痛みを伴う妥協することのできない「裁きの時」でもあったのです。 そのために、イエスご自身がすべてを身に背負って味わわなければならない「わたしが栄光を受ける時」であったのです。 このイエス・キリストの死と復活に与かるなら、その身に「イエス・キリストの命」が現れる。 私たちの身にさえ神の栄光は現れ出るのです。 イエスは、「わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。 そうすれば、わたしのいるところにいることになる。 父はその人を大切にしてくださる。」と言います。 自分や人のためというところを越えて、十字架に架けられたイエス・キリストに仕えるために生きる。 この世に縛られて生きる自分を捨てて、解放させていただく。 この招きが「福音の奥義」なのではないでしょうか。
[fblikesend]「羊飼いの声を聴き分ける羊の群れ」 ヨハネによる福音書10章7~18節
この段落の直前に、「羊の囲い」の話が出てきます。 羊は村の共同の囲いに纏めて入れられていた。 囲いの門番は顔見知りの羊飼いだけに囲いの門を開け、中に入ってきた羊飼いは、多くの羊の中から自分の羊だけを囲いの外に連れ出す。 その先頭に立って、羊の命を養う牧草や水のあるところに連れ出すのです。 羊飼いは自分の羊の世話をして、その声が羊によく知られ、その羊の一匹一匹の名前を呼び、羊はその声だけに従っていくと言います。 旧約聖書は、この羊飼いと羊の関係になぞらえ、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。」(詩編23編)と賛美しています。 ところが、「その囲いの門を通らないで来る盗人、強盗には羊は決してついて行かず、逃げ去る。 彼らの声を羊は知らないからだ。」と言います。 このたとえを受けてイエスは、「わたしは羊の門である。 わたしを通って入らない者、わたしより前に来た者は皆、盗人であり強盗である。 羊を盗んだり、屠ったり、自分の為に滅ぼしたりする。 神の民を荒らす者である。」と、イエスを決して受け入れないファリサイ派の人々にイエスは語るのです。 ここで言う「わたしより前に」とは、イエスご自身の十字架と復活という「イエスの時」が未だ果たされていない前にということでしょう。 「わたしを通って入る者は救われる。 その人は、門を出入りして牧草を見つける。 わたしが来たのは、羊が命を豊かに受けるためである。」と、イエスの十字架の死に与ることによって滅ぶべき命に死ぬ。 イエスの復活の命に与ることによって新しい命が与えられると言うのです。 更にイエスは、「わたしは良い羊飼いである。 羊のために命を捨てる。 良い羊飼いは、自分の羊を知っており、羊もその羊飼いを知っている。」と言います。 ここで言う「知る」とは、単なる「知る」ということではなく、人格的な深い結びつきを言います。 この羊飼いと羊たちとの関係は、「父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。」とまで言われるのです。 これはひとえに、イエスが私たち神の民のためにご自身の地上の命をささげてくださったからです。 私たち神の民がイエスと同じ命を受けることができるようにと、人間の初穂としてイエスが備えてくださったからです。 イエスはこのことを、命がけで羊の命を守った当時のユダヤの羊飼いの姿を通して語っておられるのです。 もうひとつイエスは、「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。 その羊をも導かなければならない。 その羊もわたしの声を聴き分ける。 こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」と不思議なことを語っておられます。 「囲い」の外と内が現実にあることを、イエスは認めておられます。 いつしか「囲い」の外の羊の群れが、「囲い」の内の羊の群れと一緒になって、一人の羊飼いによって導かれ、一つの群れとなる。 これがイエスの願いでした。 「一つの群れとなる」ために、「わたしは命を、再び受けるために、捨てる。」 それは、命を捨てるゆえに与えられる新しい命を得るためである。 これが「わたしが父から受けた定め、掟」であった。 この父に従った「それゆえ、父なる神はわたしを愛してくださる。」 しかし、これはイエスご自身の意志によるもので、「だれもわたしから命を奪うことはできない。」と言われる。 命を捨てることも、命を再び受けることも神の権威によって与えられた。 「救い」を求める私たち、イエスの声を聴き分ける私たちが、命を豊かに受けるために、イエスが遣わされてきた。 ご自身の命を捨てることが、私たちが新しい命を得、私たちが弱さを知り真の強さを知ることになるとイエスはこのたとえをもって語っておられるのではないでしょうか。
[fblikesend]「イエスの呼びかけとは」 ルカによる福音書5章1~11節
「イエスが湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。」と言います。 群衆は、神の言葉を求めてイエスの宣教に耳を傾けたのです。 そのような湖畔のイエスの宣教に見向きもせず、背を向けて、「網を洗っていた漁師たち」の姿にイエスの目が留まります。 「夜から夜明けにかけて夜通し苦労をして湖で漁を行ったが、一匹も魚を得ることができなかった」と言いますから、失望と不安を抱えた、疲れ切った諦めの後ろ姿に映ったのでしょう。 そのひとりシモン・ペトロにイエスは、「舟に腰を降ろして、そこから群衆に向けて宣教するため」、「あなたの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった」と言います。 ペトロに、側近くで聞かせるためであったのではないか。 諦めと失望が漂うペトロに語りかけ、立ち上がらせようとしたのではないかと思わされるのです。 イエスがその小舟から群衆に向けて話し終えたその時です。 イエスは唐突に、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」と命じられたのです。 ベテランの漁師であるペトロにとっては、的外れな常識外のイエスの命令です。 当然ながら、「先生、私たちは夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした」と反論します。 ペトロは「先生」と呼びかけているように、イエスを全く知らなかったわけではありません。 ペトロのしゅうとめの高い熱に苦しんでいた際、人々はその病いの癒しをイエスに頼んだ。 「イエスがその枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、そのしゅうとめはすぐに起き上がって一同をもてなした」と言います。 ペトロ自身が願い出たわけでもないので、イエスを全く信頼していたのでもないでしょう。 しかしイエスは、ご自身のみ言葉を聞こうと押し寄せて耳を傾けている群衆のそのすぐそばで、漁に疲れ、耳を傾けようともしないペトロに、ご自身との交わりを求めて呼びかけるのです。 「沖に漕ぎ出して、網を降ろし、漁をしなさい。」と命じるのです。 これは、断固たるイエスの命令です。 私たちの体験や常識や理解では、諦めざるを得ない現実に対する「神の挑戦」です。 的外れで常識では考えられないイエスの命令でしたが、ペトロは「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」と疲れた体を奮い立たせてもう一度漁をしたと言うのです。 唐突なイエスの呼びかけに迫られて、一歩踏み出して従った人間の姿です。 すると、「おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。 魚でいっぱいで、舟は沈みそうになった。」と言います。 その時ペトロの口から出た言葉が、「主よ、わたしから離れてください。 わたしは罪深い者なのです。」という言葉でした。 少し前までは、イエスを「先生」と呼びかけていたペトロが、この不思議な出来事を起こされた後は、「主よ」と呼びかけ、明らかにペトロのイエスを見る目が新しい世界へと開かれています。 人知を超えた神の底知れない力に触れるなら、その神の前に立たされている自分自身の小さな本当の姿を見つめさせられるでしょう。 ペトロは、「あなたの前に立つべき者ではありません。 わたしの愚かさ、的外れな生き方を差し出します。 憐れんでください。」という精いっぱいの告白でしょう。 神は私たちを選んで、私たちと連なるすべての人びとを代表して呼びかけてくださるのです。 この神の呼びかけは、この世に縛られている私たちのところに切り込んできます。 考えられない恵みを準備して、私たちに神への信頼と服従へと決断を迫り、その場に立たせるのです。 この神の挑戦に応えることが私たちの「信仰」なのです。 神の唐突なみ言葉に応えて、従ってみることです。 その現実の中で知らされる私たちの愚かさ、弱さ、底浅さを神に向けて告白する時に、私たちの本当の信仰生活が現れ出るのではないでしょうか。 その発端が、唐突な神の呼びかけであるように思わされます。
[fblikesend]「旅する教会」 民数記9章15~23節
民数記は、神の導きによりイスラエルの民がエジプトから救い出された後、40年もの間、荒れ野をさまよった記録です。 一つには、イスラエルの民のエジプトの苦役からの解放の後、嘆きと呟きが絶えなかった不信仰による荒れ野の試練でした。 二つ目には、その民の不信仰にも関わらず、神がご自身の立てられた約束を果たす為に、たとえ長きに亘る時を用いてでも約束の地に導き、忍耐と恵みをもって約束に忠実にそのご真実を貫かれた記録でした。 三つ目には、このエジプトから導き出された数え切れないぐらいの大群衆と家畜を率いた指導者モーセの働きと、神とモーセとの交わりも記されています。 今朝の箇所は、イスラエルの民が一斉に神の導きによりエジプトから救い出されたその翌年のことです。
シナイの荒れ野に到着しそこで幕屋を建設し留まった。 そのシナイの荒れ野で、神はモーセに「定められた時に過越祭を祝わねばならない」と命令したと言います。 エジプトから脱出する際に起こされた「神の過越しの出来事」です。 イスラエルの人々を救い出すために、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つという神の裁きがエジプトを覆った。 イスラエルの人々は家ごとに傷のない小羊一匹を屠り、その血を家の入口2本の柱と鴨居に塗った。 家の入り口に塗られた小羊の「いけにえの血」によって、神の災いはその家を過越して及ばなかった。 それによってイスラエルの民はエジプトから脱出することができた。 その記念すべき救いの日を忘れることのないようにという神のご命令でした。 新約聖書の時代に生きる私たちにとっては、主イエス・キリストの十字架という「裂かれたからだと流された血」の犠牲のゆえに私たちの罪が赦されたことを思い出すために、「主の晩餐」を執り行うようにとイエスご自身がお命じになったことと同じです。 エジプトの地を脱したその翌年に、最初の過越しの祭りがシナイの荒れ野で執り行われたのでした。
「人々が建てた幕屋を雲が覆った。 夕方になると、その雲は幕屋の上にあって、朝まで燃える火のように見えた。」と言います。 「雲」とは、主なる神がともにおられるという「しるし、証し」です。 幕屋を「雲」が覆い、主の栄光がそこに満ちたと言います。 その「雲」が幕屋を離れて天に昇ると、人々は出発した。 「雲」が幕屋を離れず天に昇らずそのまま留まると、人々はそこに宿営した。 神がイスラエルの民に先立って導き、人々と共に進み、そして留まったと言います。 この教会の群れの原形は、神の存在によって導かれ旅を続けた群れでした。 神の命令であった「過越しの祭り」を執り行うことを、荒れ野のさすらいの旅の間中守ったということです。 エジプトで死ぬべき存在であった自分たちが、「小羊のいけにえ」により生かされたという神の恵み、救いの業を礼拝によって決して忘れることがなかった。 誰でも見ることができた「雲の柱」だけでなく、指導者モーセを通して語られた神のみ言葉を聞いて人々がそれに従ったということです。 単に荒れ野を「さすらう、さまよう人々」ではなく、旅の目的地、神の約束の地を見据えて旅立ち、宿営したということです。 新約聖書の時代に生きる私たちには、恵みとして「雲」に替わって「聖霊」という復活の主イエス・キリストが働いてくださっています。 目に見える確かな道しるべが与えられていたにも関わらず、不平や不満や呟きの絶えなかったイスラエルの人々と同じ私たちです。 しかし、賜物として与えられている「聖霊」を心の内に受け入れ、味わいなさいと主は言われる。 不承不承モーセを通して語られたみ言葉に従ったイスラエルの人々と同じように、聖霊を通して与えられるみ言葉に弱き者、欠ける者として従ってみることです。 本当の飢えや渇きを満たすことのできるお方は、イエス・キリストだけです。
「キリストの愛に満たされて」 エフェソの信徒への手紙3章14~21節
「こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。」と、三つの「祈り」を語っています。 「こういうわけで」とは、「以前は自分の過ちと罪のために死んでいた」、「この世を支配する者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいた」、「以前は肉の欲望の赴くままに行動していた、生まれながら神の怒りを受けるべき者であった」あなたがたが、今では「恵みにより、神の賜物により、信仰によって救われた。」、「罪のために死んでいたのに、キリストと共に復活され神の子とされた。」、「神の家族になった。」 同時に、「聖なる者たちすべての中で最もつまらない者であるパウロに、このキリストの福音を告げ知らせる、説き明かす務めが与えられた」という奇跡とも言うべき事実を示しています。 当時は立って祈ることが普通であったことから、パウロの祈りの姿は神の前にうなだれ信頼している姿、神の恵みの豊かさに驚き、圧倒され、感謝する姿に映ります。 当時はほんのわずかであったキリスト者の小さな群れに、「御父から天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。 前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によって、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。」と、未だ見えていないことを先取りし、確信し、大胆に祈っているのです。 最初の祈りは、「神の満ちあふれる豊かさから注がれる神の霊により、神の力により、また、あなたがたの信仰により、あなたがたの心の内にキリストを住まわせるように」 「キリストの愛に根ざし、キリストの愛にしっかりと立つ者としてくださるように」という祈りでした。 私たちが先ず備えなければならない場所は外にあるのではなく、私たち自身の心の内だと言うのです。 「内なる人」が「外なる人」を支配している。 もしそこに、「キリストを迎え入れる」なら、奇跡とも言える出来事が起こされる。 私たちに先立って働く神の満ちあふれる豊かさから注がれる神の霊、神の力を受け取っていくだけで、この世で働いておられるイエス・キリストと出会うことになる。 その出会いは、苦しく受け入れ難い悲しい出来事であるかもしれない。 その出会いこそが、私たちの弱さ、醜さ、底浅さを嫌というほど知らせる。 神の満ちあふれる豊かさに触れることになるのです。 それが自分のために先立って働いてくださったキリストの愛であったと気づかされる。 とてつもない愛に圧倒される時がくる。 だから、すべての人の心の内にキリストを迎え入れるようにとパウロは祈るのです。 第二の祈りは、「すべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに越えるこの愛を知るように」と祈ります。 キリストの愛に捕らえられ、迫られ、気づかされ、圧倒される。 その愛の広さとは、すべてを包み込む人の知識をはるかに越えたもので、この世の力に縛られている私たちを解放する限りない広さです。 その愛の長さとは、種を蒔いて刈り取るまで待つという忍耐を語っているのでしょう。 その愛の高さや深さも、十字架刑というどん底から神のもとへという隔たりを悟り、私たちの本当の姿を知れば知るほどこの愛のあまりの高さ、深さを感じるのです。 「キリスト・イエスの愛によって、教会によってすべてのキリスト者とともに築かれますように。」と祈りを結んでいます。 神の豊かさは尽きることのないものです。 私たちがキリストの愛によって愛することを喜ぶ生涯、キリストの愛によって愛されていることを喜ぶ生涯、与えられる豊かさに目を向けるのではなく、豊かさを注いでくださる神ご自身、キリストの愛に信頼を置いて、神が働いてくださるのを待つようにとひざまずいてパウロは祈っているのです。
[fblikesend]「死んでいたのに、生き返ったから」 ルカによる福音書15章11~24節
人の死を「天に召される」と表現します。 私たちとは相容れない神の性質を持ちながら、私たちと全く同じからだを背負わされてこの世を歩んだイエス・キリストでした。 神のみ言葉だけを仰いで、からだが持っている「弱さ」をもちながらこの世を歩み通したお方でした。 ついに、この世のからだに死んで、「よみがえり」という父なる神が備えてくださった道を人間として初めて体験し神のもとへ帰って行かれたのでした。 キリスト者とは、このイエス・キリストに結ばれて生きる、新しく変えられた者ということです。 「死によってすべてが終る」人生から、「新しいいのち」という上着を着せられてそのままのからだで用いられ、この世に生かされていく。 「からだの死」を越えて、イエス・キリストに結ばれて「神のもとに帰っていく」人生に変えられる。 メメント・モリ(死を覚えよ)とは、この地上での歩みのために授けられて生きる「命」を覚えよ。 その背後にある「神のご愛」を覚えよということです。 「放蕩息子のたとえ」に、独りで自分の思い通りの人生を送ろうと父の家を飛び出した弟息子の悔い改めが語られています。 自分に分け与えられた財産を使い果たし、食べることにも窮するまでになってしまった。 孤独になった放蕩息子は「我に返った」とあります。 父の息子であったという当たり前と思っていた恵みを捨ててしまった、忘れてしまった思い違いに気づかされ悔やんで、「父のもとに帰ろう」、息子と呼ばれる資格はないと自らの過ちを告白し、雇い人の一人に願い出ることを決断するのです。 父親にとっても、父の元を離れることなく忠実に仕えていた「孝行息子」である兄息子にとっても自分勝手な「放蕩息子」であったのです。 恥ずかしながら父の家に戻って行った「放蕩息子」を、「まだ遠く離れていたのに、家に向かって帰ってきている放蕩息子を見つけて、憐れに思い父親自ら走り寄って行った。 何も言わないうちに、首を抱き接吻した。」と言います。 息子の弱々しい懺悔の言葉を父親は遮るかのように、誰が見ても父親の息子であると分かるように、息子としての資格を示す「一番良い服、手にはめる指輪、履物」を用意させたのです。 父親は一日たりとも放蕩息子を忘れることはなかった、家を飛び出した過ちを問題とはしなかった、過去にとらわれず無条件に抱きしめ受け入れた、そればかりではなく父親の家で祝宴を開こうとしたのです。 その時の父親の言葉が、「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」とこのたとえを締めくくるのです。 この「たとえ」の主人公は「放蕩息子」でも、「孝行息子」でもなく、「父親」です。 語る中心の内容は、「放蕩息子の悔い改め」ではなく「父親の喜び」です。 自分が似せて創造した人間が自分のもとを離れてしまっても、自らの過ちに気づくことを忍耐強く待ち続ける天地創造の神の姿に映らないでしょうか。 恥ずかしげもなく我に返って戻ってきた人間を無条件に再び受け止め、抱きしめる天地創造の神の姿に映らないでしょうか。 父親は、「放蕩息子」も「孝行息子」も決して比較などしていないのです。 どちらにも、謝罪を求めることさえも求めていないのです。 父の家の者には、「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」 「孝行息子」には、「お前の弟は死んでいたのに生き返った。 いなくなっていたのに見つかったのだ。 祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」と「父親としての喜び」を語るのです。 父親の悲しみも喜びも共にしていない「放蕩息子」にも、「孝行息子」にも、自分のような父親になるようにと願っているのではないでしょうか。 イエスは、「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。 わたしの愛に留まりなさい。」と言われているのです。
[fblikesend]「ネヘミヤの祈り」 ネヘミヤ記1章4~11節
紀元前586年、バビロニア帝国によって南王国ユダが滅ぼされ、その首都エルサレムは破壊され、エルサレムの多くの人々は捕虜としてその首都バビロンに連れ去られたのです。 ところが紀元前539年、ペルシャ帝国がバビロニア帝国を打ち倒し、バビロンに捕囚されていたユダヤ人たちを解放し、エルサレム神殿の再興を命じたというのです。 そのような時、エルサレムから1000キロ以上も離れたペルシャの首都の宮廷に、「献酌官」として務めていたネヘミヤがいたのです。 「献酌官」とは、平たく言えば毒見役のことです。 王が毒殺されることが頻繁に起きた時代には、王の信頼の厚い者が司る役目です。 王の政治的な相談にのるぐらいの宮廷の高官でした。 一方で、少しでも王の信頼を損ねる言動、感情を害する言動を犯すなら、即座に疑われ抹殺されてもおかしくないほどの危険な立場でもあったのです。 そのネヘミヤがわざわざユダから訪ねてきた人たちに、「捕囚を免れて残っているユダの人々について、また、エルサレムについて」尋ねます。 ネヘミヤにとって、忘れることのできなかった故郷エルサレムであったのです。 「残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。 エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです。」という答えに、ネヘミヤは「座り込んで泣き、幾日も嘆き、天にいます神に祈りをささげた。」と言います。 幾日も食を断つほどに悲しんだネヘミヤの嘆きは、人や社会に対する恨みや怒りに向かわず「天にいます神」に向かうのです。 周辺他国の嘲りに惑わされないよう、エルサレムの城壁が修復されるよう、エルサレムの人々と神との交わりが回復されるよう願う「神に対する祈り」が起こされるのです。 エルサレムの人々と嘆きや苦しみを共にしようと、昼も夜も境目なく祈る凄まじい「祈り」をネヘミヤは神にささげるのです。 神への絶対的な信頼に立って、「天にいます神よ。 偉大にして畏るべき神よ。 契約を守り、慈しみを注いでくださる神よ。 耳を傾け、目を開き、あなたの僕の祈りをお聞きください。」と呼びかけ祈り始めるのです。 「もしもわたしに立ち帰り、わたしの戒めを守り、それを行うならば、天の果てにまで追いやられている者があろうとも、わたしは彼らを集め、わたしの名を住まわせるために選んだ場所に連れて来る。」と約束してくださったではないですかと、神のもとを離れてしまっていた私たちエルサレムの民と神との交わりの回復を「悔い改め」によって祈るのです。 「エルサレムで苦しんでいる彼らも、またこのわたしもあなたの僕、あなたの民です。 あなたが大いなる力と強い御手をもって贖われた者です。 わたしも、わたしの父の家も、エルサレムの人々も罪を犯しました。 どうぞ憐れんで、耳を傾けてください。 わたしの願いを叶えてください。 そのためにこの人の憐れみを受けるようにしてください。」と「とりなしの祈り」をささげるのです。 「この人の憐れみを受ける」とは、ペルシャ王の憐れみを受けさせてくださいという、この世の王の権威を用いてでも神の御心が果たされるようにと祈るのです。 「祈り」は必ず出来事になります。 神が祈りを聞いて、立ち上がり動かれるからです。 私たちの嘆き、痛みに直接触れてくださるからです。 神が立ち上がられるのを待つことです。 この先起こされるであろう出来事に大いに期待して、神以外の者を恐れることなく神に委ねることです。 ネヘミヤはわずか52日間で復興がなされた城壁の完成を喜んでいるのではありません。 深い嘆きに追い込まれて「祈り」が与えられた。 神が直接、私の嘆きに触れてくださった。 自分にしか味わうことのできなかった体験を味わった喜びです。 そのために自分が負うべき嘆きや痛みを自分の「誇り」として、「喜び」として身に引き受けたのです。
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