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「わたしの霊を御手にゆだねます」 ルカによる福音書 23章44~49節

2015-03-22

 イエスの地上の生涯の最後、息を引き取る直前に語られたイエスの言葉です。 朝九時から六時間もの間、十字架につけられたまま語られた最後のイエスの言葉に耳を傾けたいと思います。 「全地は暗くなり、太陽は光を失っていた。」 この世を、暗闇が覆ってしまっていた。 世の光として私たちのところに遣わされたイエスを殺してしまって、私たちはその光を失ったのでした。 「自分が何をしているのか知らない」私たちを再び神のもとへと、とりなしてくださっている、そのイエスを殺してしまった。 神もまた、みこころのゆえに沈黙しておられる。 まさに、神からも人からも捨てられたイエスの姿。 これこそ、罪に打たれて死んでいくはずの私たち自身の姿です。 そのイエスの最後の言葉が、今日のみことばです。 マタイも、マルコも、「イエスは大声で叫び、息を引き取られた」と記しています。 しかし、ルカは、このイエスの最後の大声の叫びが何であったのかを聴き取っています。 「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。 こう言って息を引き取られた。」と、ルカは証ししています。 このみことばは、詩編31編6節です。 この詩は、「夕べの祈り」です。 人々が、一日の業を終えて床につく時の祈りです。 一日を守られた感謝が込められるでしょう。 いろいろな出来事のなかに悔い改めも込められるでしょう。 これから迎える夜の眠り、朝の目覚めに備える祈りが込められるでしょう。 イエスにとっては、もはや、明日の朝はないのです。 イエスはかつて、ある金持ちに「眠りに備え、今のうちに神の前に豊かになるように」と諭されました。 イエスは、明日の朝のない地上の最後の時に、ご自分を遣わしたお方、ご自分を知り尽くしておられるお方を仰いでおられる。 そのお方のみこころにゆだねておられる。 父なる神のもとを離れてしまった私たちを取り戻すために遣わされた、その地上の戦いの最後の日に、父を仰いでご自身のすべてを委ねられたのでした。 地上の最後の祈りの叫びを、この「夕べの祈り」として唱えられたという事実をルカは証ししています。 
ローマの百人隊長が、この姿を見ていたのです。 見物に集まっていた群衆が、これらの姿を見て、胸をうちながら帰って行ったのです。 イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちが、遠くに立って、これらの姿を見ていたのです。 「百人隊長」は、この十字架刑を執行し、監督する立場の責任者でした。 だれよりも間近に、イエスの十字架上の一部始終の姿を見つめた人物でした。 その人が、「本当に、この人は正しい人だった」、マルコ、マタイの表現を借りれば「この人は、神の子だった」と言って、神を賛美したのです。 彼が聞いた叫びは、地上の最後に祈るイエスの祈りでした。 父が守ってくださること以外には、何も求めていない子どものような祈りであったでしょう。 暗闇が覆い、父なる神の裁きを招いている絶望の中で祈る、父に対する信頼の祈りであったでしょう。 最初の殉教者と言われるステファノもまた、人々が石を投げつけるその間中、「主イエスよ、わたしの霊を御手にゆだねます」と、イエスと同じように呼びかけています。 今日、この祈りを聞くことができるのは、これら一握りの証人たちによって伝えられた証言があったからです。 イエス・キリストが十字架のうえで叫ばれたように、なおも「ゆうべの祈り」として眠りに備えて祈る。 この父なる神への信頼が、父なる神に連なる平安を産み出す。 み子になされたように、復活させられるという本当の望みを産み出す。 この祈りによって私たちに新しい道が開かれ、よみがえりの命がここから始まったのではないでしょうか。



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