「真の権威による自由」 ルカによる福音書20章1~8節
わたしたちは、この世の様々な権威に支配されているのが事実であろうと思います。 権威どころではなく、様々なものに無意識のうちに囚われ縛られているのが現実です。 その時の常識であったり、価値観であったり、周囲の目や置かれている立場であるかもかもしれません。 残念ながら、そうしたものがわたしたちを刷り込み、支配しているのが現実です。 そういう意味では、わたしたちが何に拠って立っているのか、何を信じているのか分からなくなる時があります。 イエスが、いつものように民衆にみことば教え、福音を告げ知らせていた日常生活のある日、出来事が起こりました。 「イエス、あなたは何に拠って立っているのか」という問いが突然迫ったのです。 迫って来た人々とは、ユダヤの最高法院を構成する指導者たち、祭司長、律法学者、長老たちでした。 今ある秩序に築き上げられた権威の上に安住する者たちでした。 ユダヤの権威にひざまづかせ、従わせようとした彼らに、イエスは、「ヨハネのバプテスマは、天からのものだったか、それとも人からのものだったか。」と逆に問い返します。 彼らは、バプテスマのヨハネは神から遣わされた者でもなく、そのバプテスマも天からのもではないとしていましたが、ヨハネを信じて込んでいた民衆を恐れて「分からない」と逃げたのです。 イエスは、その彼らの真の姿を、ぶどう園の農夫たちの姿に譬えて浮き彫りにしました。 イエスは、すべてのものは神から出ている。 収穫が得られるよう、神が預けておられる。 神は、そのことを知らせようとして忍耐をもって待っておられる。 何度も機会を与えてくださる、 そのためにみ子さえも遣わしてくださる。 そのことをぶどう園の主人を神に、農夫たちを彼らになぞって語られたのです。 神からでてくる真の権威は、人間が努力してつくり上げた権威や、形だけの権威や、偶像をことごとく破壊していく力があります。 神からわたしたちに託された真の権威は、この世の権威からまったく自由です。 そのことをイエスはご存じであった。 父なる神が、神の時に、神のふさわしい場で、明らかにしてくださるという確信を与えられていたのです。 ですから、イエスは、ユダヤの権威に動じません。 わたしたちもまた、この世の権威に恐れることもないし、しがみつく必要もありません。 パウロは「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父なる神とによって使徒とされた」と断言しています。 神から出ている真の権威こそが、人間を偶像から解放してくださるのです。