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『主に結ばれた者のしるし』 テサロニケの信徒への手紙一5章12~22節

2023-11-05

 パウロは第一に、生まれたばかりの教会の群れ(エクレシア)の「交わり」について語ります。 このエクレシアは、ペンテコステの出来事によって誕生した、神の救いの証言者、担い手として選ばれ集められた群れです。 どのような敵意、迫害、攻撃に晒されようと、希望を失うことがないようにと、聖霊の働きにより神ご自身が造り上げた群れです。 自ら目覚め、努力を重ねた人たちが集まって造り上げたものではなく、初めから霊的な力によって霊的な秩序をもったキリストの体として出発した群れです。 そこに、一人一人のキリストに結ばれた者が加えられ、育まれていく。 ですから、「霊の火を消してはいけません。 預言を軽んじてはいけません。 良いものと悪いものを識別しなさい。」と語るのです。 聖霊に満たされること、みことばを豊かに蓄えること、自らの罪深さを神の前に知り、聖なるものと聖ならぬものを識別できるようになることを願い求めなさい。 そのことで、ひとりではないキリストの体を全体として築き上げると言うのです。 第二に、「だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。 お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。」と言います。 イエスは「復讐してはならない。」(マタイ5:38-42)と言われました。 寛容をもった無抵抗を語っているのでしょうか。 「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。 あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。」とも言われる。 復讐心や報復の連鎖の恐ろしさを越えて、決して黙って耐えるのではなく「左の頬をも向けなさい。 上着をも取らせなさい。」と激しい神のご愛と赦しのみ心を語るのです。 パウロもまた、「悪に負けることなく、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:21)と言います。 愛なる神は、義なる神でもあります。 独り子を引き裂いてまで愛し抜かれる神は、決して罪に妥協することのできないお方です。 このままでは滅んでしまう存在であるこの世の私たちが、一人も滅びないで永遠の命を得るために忍耐をもって働いてくださっているのです。 神によって造り上げられた教会の群れは、裁きに値する罪や咎や過ちがあったとしても、赦しと和解の場であるようにと聖霊によって導かれるのです。 このことを、パウロは「終わりの日」、再び主イエスが来られる救いの日を用いて語ります。 この地上の世界は、その時に備えて待ち望む時である。 たとえ肉体の死を迎えたとしても、それは「眠り」であって目覚める時がくる。 目覚めていても、眠っていても主イエスと共に生きるようになると言うのです。 第三に、「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられること」としてパウロが語った「結びの言葉」として、「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。」と記します。 一人一人のキリスト者の姿だけではない、キリストに結ばれた者どうしが織りなす「交わり」を通してキリストの体としての群れ全体の姿を表現するのです。 今まで自分への愛によって縛られていた私たちが、すべて神の赦しと救いに委ねることのできた喜びと感謝に満たされている。 パウロはこの喜びと感謝の間に、「絶えず祈りなさい」と結びつけます。 私たちは、イエスのみ名によって祈り、神との交わり、神によって用意された群れに、聖霊に導かれ加えられていく。 この「祈り」の積み重ねが、喜びと感謝を生み出していく。 神のみ言葉が蓄えられ、神の霊が注がれているところに、私たちの「祈り」が起こされ、喜びと感謝に満たされる。 神のご愛が注がれるところに、私たちの信仰による働きが起こされ、霊性が研ぎ澄まされていく。 私たちの思いがけない労苦が、私たちの忍耐を起こし、希望を生み出すのです。



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