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「福音の宣教」 使徒言行録13章1~12節

2020-02-09

 エルサレムでのキリスト教徒の迫害という苦難が一変して、福音がエルサレムから異教の地へ、ユダヤ人から異邦人へと伝播していくきっかけとなっていきました。 福音の担い手が、ペトロやヤコブなどの12使徒たちから、ギリシャ語を話すパウロたちへと移っていきます。 その働きの中心拠点となったのが、シリア州にあったアンティオキア教会でした。 その主な指導者の名前が5人記されています。 「バルナバ」はキプロス島出身のユダヤ人です。 エルサレム教会から派遣された人物です。 「ニゲルと呼ばれるシメオン」は、アフリカ出身です。 「キレネ人のルキオ」もまた、北アフリカの都市の出身です。 キレネはギリシャの植民地で、その人口の大部分をギリシャ語を話すユダヤ人が占めていたと言われています。 「領主ヘロデと一緒に育ったマナエン」は、キリスト教を迫害したヘロデ大王の子と同じ乳母によって育てられた人物です。 そのような身分の高い人物が、アンティオキア教会に加えられていたことに驚かされます。 「サウロ」は、キリキア州タルソス出身のローマ市民権をもつユダヤ人です。 ユダヤ名でサウロ、ローマ名でパウロです。 アンティオキア教会には、様々な人種、出身、身分の人たちが集められてひとつとなっていたことがよく分かります。 そのような状態のなかで、安息日に会堂に集まって、律法と預言者のみ言葉に聴き、断食して祈り、礼拝をしていたアンティオキア教会の人たちに聖霊が語りかけたと言います。 「わたしが前もって決めておいた仕事に当たらせるために、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい」という呼びかけでした。 教会の中心人物であったふたりを、教会は神の呼びかけに応え祈りのうちに送り出すのです。 福音宣教の務めは、教会が祈り、賛美し、ひとつになっているところに聖霊の呼びかけが届き、そこに応えていこうとするところに起こされるものであることがよく分かります。 教会が思い立って計画してつくり上げるものではありません。 神はひとつとなってひざまずいて祈るところに、神は憐れんでくださってその祈りに応えてくださるのです。 私たちにみ言葉を求める渇きがなければならない。 喜んでささげる礼拝、聖霊の呼びかけに応える備え、包み隠さず自分を差し出す祈りがなければならないのです。 そこに神は聖霊という姿をとって出会ってくださいます。 私たちはそのために教会に招かれ、集められたのです。 
 ふたりは、最初の宣教地であるキプロス島で「偽預言者」と「地方総督」に出会います。 この「偽預言者」は「魔術」をもって、「地方総督」を信用させ自分の権威と信頼を勝ち取っていたのでしょう。 現代においてもこの「魔術」は形を変え、もっと巧妙に私たちを取り囲んでいます。 サウロはこの「魔術」を見破って、「あらゆる偽りと欺きに満ちている」と言います。 「魔術」と言われた「偽りと欺き」という言葉には、「餌をつけて魚を釣る、機会を巧みに操作し人の心をつかむ」という意味合いの言葉が使われています。 サウロはその「偽預言者」に、「お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう」と言います。 サウロはかつての自分を告白しているのです。 目が見えなくなって初めて、自分の弱さを知らされる自らの体験を語ったのです。 「主のみ手がお前に下る」とは福音の訪れです。 「時が来るまで」とは福音の希望です。 「地方総督」は、サウロの言ったとおりに「偽預言者」の目が見えなくなった出来事を見て、「ふたりの語る主の教えに非常に驚き、信仰に入った」とあります。 「地方総督」はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとしていた人物です。 神に備えられて、ふたりの語る福音を受け入れて信じたのです。 福音の宣教とは、神に集められた者が整えられ、神の呼びかけに応えて、再び遣わされて行くことではないでしょうか。 



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