「イエスのみ業を承き継ぐ教会」 使徒言行録10章34~43節
聖霊が降って、力を得て語り出した弟子たちの働きにより、ユダヤ、サマリアへとその宣教が拡がり、信者の数が増えていきました。 その有様を使徒言行録は、1章から12章まではペトロを主人公にして、13章からはパウロを主人公にして語っています。 34節に、「そこで、ペトロは口を開きこう言った。」 「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。」 「どんな国の人でも、神に受け入れられるのです。」と、コルネリウスという異邦人の家で福音を語り始めました。 コルネリウスはローマの軍隊の百人隊長であり、ユダヤ人ではありません。 しかし、「信仰あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」ほどの信仰者でした。 そのコルネリウスに、神の言葉が届きます。 「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられた。 今、ヤッファへ人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。」と、神は促したのです。 一方、そのペトロにも同じように、神の言葉と幻が届いたのです。 大きな布のような入れ物の中に、いろいろな動物が入っていた幻でした。 その中には、地を這っていく動物など、ユダヤ人にとって食べてはならない動物が混じっていたのです。 その不思議な幻の中で、神は言います。 「ペトロよ、身を起こして、それらを屠って食べなさい。」というものでした。 そのような汚れたものを食べたことがありませんとペトロが答えるしかない、神のご命令であったのです。 しかし、神は「神が清めた物を清くないなどと、あなたは言ってはならない。」と譲りません。 なぜそのようなものを食べなさいと言うのだろうかと思案に暮れていたペトロに、コルネリウスから差し向けられた者が尋ねて来たのです。 その時、神の霊が「ためらわないで、この者たちと一緒に出発しなさい。 わたしがあの者たちをよこしたのだ。」と、ペトロを促したのです。 ユダヤ人が異邦人を尋ねて、交わるということは律法違反です。異邦人と交われば汚れると教えられて育ったペトロでした。 最初のころの教会は、ユダヤ人以外には福音の宣教などしなかったのです。
そのような時に、ペトロはこの幻の意味を初めて知りました。 「神が清めた物を清くないなどと、あなたは言ってはならない。」と神が導いている。 民族を越え、違いを越え、宗教を越えて、汚れたものと映るところに遣わされようとしている。 そのために、神の導きにより自分が招かれていることに気づいたのです。 ペトロは決断しました。 当時考えられない大きな溝を越えようと決心しました。 律法に従った生活を捨てようと、神の幻とみ言葉による導きによって一歩踏み出しました。 コルネリウスもまた、犬猿の仲であった民族の壁を越えようとして、ペトロを招きました。 ですから、ペトロは「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。」 「どんな国の人でも、神に受け入れられるのです。」と語り始めたのです。 そして、イエスご自身の生涯を語り出します。 「神がイエス・キリストによって、平和を告げ知らせてくださった。 御言葉を送ってくださった。」 その「イエスは方々を巡り歩いて人びとを助け、悪魔に苦しめられている人たちをすべて癒された。」 私たちはその証人ですと、イエスのみ言葉を忠実に承き継いだのです。 イエスの行ったみ業もまた、「イエス・キリストが癒してくださる。」と忠実に承き継いだのです。 ペトロに特別な力が与えられたのではありません。 ペトロは、イエスによって命を受けることができるようにと、ただひざまずいて祈っていただけです。 天に昇られたイエスが見えない姿となって、イエスの業をペトロに注いだのです。 ペトロが承き継いだイエスのみ言葉とみ業が、私たちにも承き継がれているのです。 ひざまずいて祈り、イエスによって命を与えられる生きた教会とされたいと願います。