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「不安の中にある砦」 詩編46編2~12節

2016-01-17

 聖書が証言している歴史上の出来事を見ますと、今の私たちの「不安な時代」とまったく同じです。 自然の脅威におののいています。 この世の大きな力に圧倒され、虐げられています。 命をかけた、たったひとりの信仰の戦いもあります。 それらが繰り返されています。 しかし、聖書は、そこに、すべては神の言葉によって造られている。 神のみ心によって始まっている。 神がすべての秩序をつくり、支配しておられる。 そのことを、絶望の淵に立たされても神に信頼を置き続けた人々の姿によって聖書は語っています。 そこに神がおられる。 神が働いておられる。 神のみ心があると語っている信仰者の賛美、凱旋歌のような詩が、今日の聖書箇所です。 宗教改革を推し進めたマルティン・ルターは、この詩編46編に支えられました。 神はルターの人生を変えました。 彼の信仰を通して、世界を変えました。 絶望の淵に私たちが立たされた時、神はみ言葉を与え、信仰を回復させ、奮い立たせて、励ましと力を与え、ご自身のみ心通りに成し遂げられるのです。 
 詩編の詩人は、「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦」と歌います。 口語訳聖書では「神はわれらの避け所また力である」と訳されています。 いくら地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るような、また海の水が騒ぎ、湧き返り、山々が震えるような驚きの出来事が起こったとしても、「わたしたちは決して恐れない」 なぜなら、「苦難のとき、必ずそこに神がいまして、助けてくださる。 神はその中におられる都は揺らぐことがない。 夜明けとともに、神は助けをお与えになる」からだと賛美しています。 イスラエルの民の苦難の歴史の中から響き渡って出てきた賛美の声です。 エルサレムを取り囲んだアッシリア軍を目の前にして、ヒゼキヤ王とイザヤの祈りによってイスラエルの民は、「恐れてはならない」という神のみ心を知りました。 主なる神の生きる川の流れ、命の水は途絶えることはありませんでした。 エルサレムの都は揺らぐことはありませんでした。 神がおられるところこそ、「神の都」であると知らされました。 神への信頼を取り戻して与えられたこの「神の平和」が、全地にもたらされたと歌っているのです。 「大河とその流れは、神の都に喜びを与える。 主はこの地を圧倒される。 地の果てまで、戦いを断ち、弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。」 ですから、私たちは「主の為し遂げられることを仰ぎ見よう。」 「力を捨てよ、わたしは神」と言われる「万軍の主はわたしたちとともにいます。 わたしたちの砦の塔」と信頼を表明したのです。 この「力を捨てよ、わたしは神」というみ言葉は、口語訳聖書では「静まって、わたしこそ神であることを知れ」となっています。 主は、何度も私たちに、新しく生まれ変わるために警鐘を鳴らしてくださっています。 そのような時にこそ、神がおられる。 神が働いておられる。 神が助けてくださる。 この主なる神へ信頼する信仰を、私たちは回復させていただきたいと願います。  イスラエルの人びとは、不安な時代、絶望の時代の「夜明け」を、主なる神とともに味わうことができました。 闇を経験しなければ、夜明けを味わうことなどできません。 この信頼を、ヒゼキヤとイザヤの祈りによって取り戻しました。 「静まって、神であることを知ること」によって回復させられたのです。 ルターも同じでした。 私たちの神への信頼の復興こそ、私たちの周りを変えていくのではないでしょうか。 この小さな回復が、神のみ心によって全地に「神の平和」を届けるのではないでしょうか。 この神の言葉こそ、イエス・キリストであるという新約の新しいイスラエルの時代を、そして新しいエルサレムの都に私たちは生きています。



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