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「復活の喜び」 ルカによる福音書24章1~12節

2017-04-02

 ルカによる福音書は、主イエスの十字架の一部始終を見ていた人物として、ふたつの存在を登場させています。 ひとつは、「本当に、この人は正しい人だった。」と告白した、ローマの百人隊長の存在です。 もうひとつは、「ガリラヤからイエスにずっと従ってきた婦人たち」の存在です。 当時のユダヤ教の社会では、処刑された者が通常の埋葬など赦されているはずはありません。 「死体の捨て場」と言われてもいいようなところにもっていかれていたようです。 しかし、神はそこにひとりの人物を備えます。 アリマタヤのヨセフという議員です。 この地方の有力な人物であったのでしょう。ローマ総督ピラトに直接会うことが赦されているほどの人物です。 このヨセフが、ピラトが本当にイエスは息を引き取ったのかと疑い、百人隊長に確かめさせたほど素早くイエスの遺体の引き取りを願い出ているのです。 すべては、神のご計画です。 これから引き起こされる、人類が経験したことのない「復活」の証言のためです。 この世界で最初の「復活の証言」を託されたのが、この「イエスの十字架の一部始終を見ていたガリラヤからイエスにずっと従ってきた婦人たち」です。 
 イエスの遺体に人並みに香料と香油を注ぎたい。 その遺体の前で涙を流し、愛するイエスを偲びたい。 せめて、今、自分たちができることを精一杯しようとして、このヨセフが行った埋葬までも見届けた。 その墓の場所と、イエスの遺体が納められた有様を見届けた。 そして、安息日を終えると直ちに、イエスの遺体に香料と香油を注ぐようにと準備までした。 墓の入り口にある大きな石をいったいだれが取りのけるかなど、思いも及ばないほど彼女たちは駆り立てられていたのです。 もうどうすることもできないと諦めている人には接することのできない、触れることのできない出来事に、これから彼女たちは出遭うのです。 
 驚くべきことは、当時の社会では顧みる価値のない者として位置づけられていた彼女たちを、わざわざ神はその「復活の最初の決定的な証人」として選んだのです。 その驚くべき働きを、そのような人物に委ねた、託したと福音書が語っているということです。 「復活する」ということは、終わりの日にはそうなると教えられていたかもしれない。 しかし、今の私たちと同じように信じることなどできませんでした。 墓のところに行ってみると、墓石がわきに転がされていた。 事前に見届けていたはずのイエスの遺体がなかったことに気づいて、途方に暮れた。 愛するイエスとの最後のお別れに、弔い、悼み、悲しみを心から味わうことができなくなってしまった。 そこにみ言葉が語られたのです。 「あの方は、ここにおられない。 なぜ、生きておられる方を死者の中に探すのか。」 この語りかけに、彼女たちは地に顔を伏せるほど恐れたけれども、「必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている」というイエスが語られたみ言葉を思い出した。 その時からです。 墓に出かけて行った彼女たちは、墓から戻ってきたのです。 死者の中にイエスを捜していた彼女たちは、向きを変えて生きる世界へと帰ってきたのです。 そして、ほかの弟子たちにその一部始終を知らせたのです。 これが、最初の復活の証人として立てられた瞬間でした。 この時、「たわ言」のように思った弟子たちが変えられていったのはどうしてでしょうか。 この復活の主イエスに出会ったからです。 実体験したからです。 今まで耳で聞いて、頭で聞いていたイエスのみ言葉に、十字架の死と復活の出来事によってイエスの命が注がれたからです。 そして、彼らが、イエスが約束してくださった父なる神の贈り物、聖霊を受け取ったからです。 この十字架こそ、自分たちのためであったと気づいたからです。 イエスを、今よみがえられて、生きて働いておられるお方であると信じる以外に、私たちの信仰はありません。 信じた者だけが、この生きた神の働きと喜びを知ることができるのです。 



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