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「和解の福音を語る」  コリントの信徒への手紙二 5章16~21節

2016-07-24

 コリントの教会は、パウロが開拓伝道して築き上げた教会でした。 その教会に後から入って来た人たちによって、パウロの教えが排斥されるようになったのです。 パウロは、このコリントの教会の人たちとの「和解」を求めてこの手紙を書いています。 しかし、私たちが考えるような人間的な手立てを用いて、険悪となってしまった関係の修復をパウロが求めているのではありません。 「今後だれも肉に従って知ろうとはしません」とパウロは言います。 パウロの言う「今後」とは、「よみがえられた復活の主イエス・キリストに出会った後は」という意味です。 パウロはこのイエスに出会うまでは、キリストを傷つける者でした。 そのパウロに、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」とよみがえられたイエスの言葉が臨みます。 キリスト者を傷つけ、排除しているのは、私を迫害していることだと言われたのです。 その呼びかけを聞いた後のパウロは、キリストを迫害する者からキリストの福音を告げ知らせる者の姿に変えられたのです。人々はこの変身したパウロのことを、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」とまで言っています。 パウロは、この復活されて生きて働いておられるイエスに出会ったその日から、その生涯は一変しました。 生まれ変わり、新しい人が創造されたと言ってもいい大転換です。 聖書は、これを「救い」と言います。 「だれでも、自分たちのために死んでくださったイエス・キリストによって再び新しく創造される」 「だれでも、新しく創造された者なのです。 古い者は過ぎ去った、新しいものが生じたのです。」とパウロは言います。このことこそ、神がキリストによってこの世をご自分と和解させてくださって、私たち人間の罪の責任を問わないようにしてくださった神の福音だと言っているのです。 自分を「神に似たかたち」に創ってくださったお方を忘れて、奢り、高ぶり、自分を神として生きるようになってしまったことを、聖書は「罪」と言います。 命の根源である神のもとから離れて、的外れに生きることになってしまった私たちのことを、聖書は「罪人」と言います。 ですから、私たちの方から神と和解することはできないのです。 神が差し出してくださる「和解」を受け取る以外には、神との交わりを回復することができないのです。 「神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させた」とパウロは表現しています。 ですから、「キリストに代わってお願いします。 神と和解させていただきなさい」と言うのです。 神のもとを離れたことのないキリストを、神は私たちのために罪に定められました。 それによって、神はご自身の方から、人との交わりを求めて、キリストによって和解の道を開いてくださいました。 私たちは、このキリストによって神との新しい関係が創られたのです。 ですから、「神と和解させていただきなさい」とパウロは言うのです。 この神との「和解」をもって、パウロはコリントの教会の人たちとの和解を求めているのです。 神との交わりの回復が無いところに、まことの「和解」はありません。 パウロは続いて言います。 「神は、その和解の言葉をわたしたちにゆだねられた。」 この十字架につけられ、よみがえらされたイエス・キリスト、これが「和解の言葉」そのものの姿です。 この「和解の言葉」が、パウロにも、コリントの教会の人たちにも、また私たちにもゆだねられ、告げ知らせるようにと託されているのです。 この神との「和解」の福音に生きること、持ち運ぶこと、これが「和解」の福音を語ること、仕えることであると、パウロは勧めているのです。 この「和解」に与かることができるのは聖霊の働きによりますが、この「和解の言葉」が語られなければ、救いのみ業は起こらないのです。



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